2012年05月30日

ご心配をお掛けしてすみません

100%の本音で書きます。

体調・・・、あまり良くありません。それでも、以前は同じような体調でも記事の更新をしていましたし、コメントの返信もしていました。それより、tarepu-さんがお書きくださってるようにメンタル面で張り詰めていた糸が切れています。いろいろな方にご心配を頂き、まことに申し訳ありません。

私の場合、ストレスで「鬱」になることはありませんが、自律神経失調症となって表れます。意識的には平気でも体は正直に反応するものなんですね。何がストレスか、と言いますと・・・、

記事に対して真摯に反対意見を書いてくださるのはとても有り難いことですが、ちゃんと読まずに「失礼なコメント」を入れられると、必ず返信する主義の私でも「こんな奴にも返信しなくちゃいけないのかな」と悩んでしまいます。不本意ながら、さっき、いくつかのコメントを削除しました。実はもう1件「削除したいコメント」がありましたが、それに対しては今後のことも有りますので返信をします。と言っても、申し訳ありませんがしばらく先になります。コメントから一月近く経っていますが、私は今も物凄く怒っています。言うまでもないことですが、反対意見に対して、ではありません。そういうことでは怒りませんから。

ブログなんて自分の体調を崩してまでするものじゃないし、管理人の判断でコメントの削除をしてもかまわないもの、と思いますが、自分の主義を変えるのは辛いものがあります。悪意の人物を相手にしていてマトモな反論や意見を書いてくださる方への返信が疎かになるのも失礼だし・・・、ずっと悩んでいました。

記事のストックも300ほど溜まってしまっていて、鮮度も落ちてくるのでボチボチ再開したいとは思いますが、もうちょっと休ませてください。コメントの返信の下書きも出来ていますが、そのままの文章で良いかどうかもじっくり考えたいと思います。って、それほどたいそうな返信でもありませんが・・・。

正直なところ「さぼりグセ」がついてしまっていまして・・・たらーっ(汗)

でも、ブログはやめません。やめたらきっと、もっとストレスが溜まりますから(*^^)v





posted by poohpapa at 17:13| 連絡事項 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月12日

思考能力がついていけない^_^;

普通に生活しているものの真っ直ぐ歩けない(ふらふらしている)状態で、何より、思考が回りませんふらふら

記事の更新よりコメントの返信のほうが気になっていますが、今しばらくご猶予ください。真摯に内容と向き合ってコメントしてくださった方には申し訳ないのですが・・・。ひょっとすると関連した「新しい記事」という形で(その中で)返信させて頂くかも知れません。

ここ数日の間にも面白い出来事がありましたが、それもまたいずれ(*^^)v
posted by poohpapa at 06:18| 連絡事項 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月10日

相次ぐ訃報に気分は少々落ち込みぎみ

GW前後に複数の家主さんのご家族が相次いでお亡くなりになりました。つい最近まで全くそんなご様子は無かったのですが・・・、健康や命って解からないものですね。田舎の同級生の訃報も入りました。

だから、ということではないのでしょうが、GW前からの体調不良を引きずっておりますので記事の更新を休ませて頂きます。それと、コメントの返信、しばらくお待ちください。仕事には行きますけどねわーい(嬉しい顔)

あとで伊勢丹の京都物産展にでも行って気晴らししてこよう(*^^)v
posted by poohpapa at 05:12| 連絡事項 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月08日

若い女性に是非お読み頂きたい記事 3

一日空きましたが、引き続き「えんだんじのブログ」さんの記事のご紹介。


保育園育ち

現在日本政府や大都市の地方自治体は、保育園に入園するための待機児童が一人もいなくなるように保育園数を増やすために懸命です。女性の社会的進出の欲望、貧困化、それに応える形での保育園の増加、少子化傾向が続いているいため、いずれ日本中どこでも待機児童もなくいつでも保育園に入園できるのも時間の問題でしょう。私に言わせれば、これはまさに国家的規模で行われている日本民族劣化推進政策以外のなにものでもありません。しかしだからと言って保育園が我々の日常生活に密接に結びついているため、保育園を拒否して生活は営めません。だからこそ保育園教育のどういうところに欠陥があるのか指摘し、その対策を講じなければいけないのではないでしょうか。幼児教育は、大人なってから学ぶ能力開発とか資格を獲得するための教育などとは比較にならないほどの重要です。幼児教育は人によっては生涯にわたって深い影響を及ぼし、大人になってから容易に変更などできません。幼児教育に失敗したら、ほとんど取り返しがつかないし、その子供にとっても親にとっても不幸としかいいようがありません。「幼児教育と脳」という本を書かれた澤口俊之氏は、0歳から8歳までは母親は家にいるべしなどと発言しています。

どうしても保育園が必要な家庭の事情もある人もいるでしょう。しかし多くの人は、保育園にあずけるのが当たり前の感覚になっているのではないでしょうか。幼児教育などという堅苦しい言葉を使いましたが。もっとくだけた話をしましょう。今から50年前までの主婦は、ほとんど専業主婦、だから自分の子供には一年中毎日24時間たっぷり母親の愛情をそそげることができました。ところが現在の主婦は一年中毎日どころか一週間のうち休日の24時間しか母親の愛情をそそげることしかできないのです。どちらが子供にとって良いか悪いかは誰でもわかるでしょう。だからと言って私は、女性の社会的進出に猛反対しているわけではありません。保育園には欠陥があります。その意識すらもなくただやみくもに保育園に入れてしまえばそれでいいという安易な気持ちが恐いしまたそれを非難しているのです。保育園の欠陥を意識すれば、親の心構えも違ってくるでしょうから、まずその欠陥を列挙しましょう。

1.子供は親が育てるもの。
現在は子供が生まれれば保育園に預けるのが、ごく当たり前のようなってしまったため、どうかすると今の若い両親は、子供は保育園が育ててくれるものと思い込んでいると言っても過言ではないような気がします。保母さんは、母親にはなれません。子供は親が育てなければいけないのだが、経済的事情とか、女性の社会的進出の願望の強さとが合い重なって止むを得ず保育園にあずけるのだという意識を持ってもらいたい。このやむを得ず子供の保育園にあずけるのだの意識が薄いため、子供に申し訳ないという気持ちもわかず、その結果として無意識のうちに自分の子供の子育て責任が薄くなり、さらにひどくなると子育て責任を感じなくなってしまうのです 恐ろしいことです。保育園というものは、大人にとっては便利なもので利用価値はありますが、子供にとっては残酷なものなのです。幼児がもし言葉がしゃべれたら、「ママのそばがいい、保育園はいやだ。」と言うに違いありません。皆さん、そう思いませんか。こういうことを心底意識して保育園に入れるのと、こんなことも意識せず、ただ自動的に子供を保育園に入れるのとでは、幼児教育に大変な差が出るのです。

2.母性愛の減少。
胎児はおよそ10ヶ月と10日間母親の体内にいます。10ヶ月と10日が母性愛の育まれる直接の原因にもなるわけです。この期間で父性愛は、母性愛に決定的な差をつけられのですが、しかし母性愛は、この10ヶ月と10間だけでは不十分なのです。赤ちゃん誕生後、昔の母親は、一年365日何年間も手塩にかけて育てていくからこそ母性愛がさらに、さらに強くなっていくのです。昔から世話のやける子は、可愛いといいますが、それだけ母親が面倒みなければなりません。それがまた愛情を産みさらに母性愛が深まるからです。現在の母親は、保育園入園後、休日だけしか手塩にかけないのですから当然母性愛が薄くなるのは皆さんも理解できると思います。昔の人は母性愛が強いから進んで子供の犠牲になろうとします。しかし現在の母親は、子供の犠牲になるのを好みません。子供を手塩にかけて育てる時間が少なすぎて母性愛が強まらないからです。保育園の存在が母性愛の減少を生むのですが、その傾向にさらに拍車をかけるものがあります。戦前の日本人には弱く、戦後の日本人に強くなったもの、すなわち個人の権利の主張です。個人の権利の主張もけっこうだが度がすぎると我がままになります。ただでさえ母性愛の減少に、個人の権利の主張が加わりますから、現在の親は、子供の犠牲になるのを好まないどころか、親が平然と自分の子供を親の犠牲にしてしまうのです。このことが幼児や児童を平気で虐待する原因の一つにもなっているのです。親の児童虐待について皆さんに話したいことは、私が子育てしていた頃には、親の幼児、児童虐待などはほとんどありませんでした。あったとしてもそれは大ニュースになったのです。ところが現在は親の児童虐待は日常茶飯事。なぜかその傾向を探ってみると、保育園育ちの男女が大人になって子供を生むようになってから急激に増えた現象なのです。これは私の年代だからこそ言える事柄なのです。

3.親の責任感の欠如
およそ50年前まで続いた専業主婦時代には、保育園などという発想そのものがありませんでした。そのため親が子育てをしなかったら、誰がやるのかと親の責任感が生まれてくるし、責任感も強くなります。しかし現在のように誰も自動的に保育園にあずけるとなるとどうしても親の責任感が薄れてくるものです。最近大阪市で2児の虐待死事件が起きた。24歳の母親は、長女(3歳)と長男(1歳)が衰弱しているのを知っていながらごみと糞尿が散乱する部屋に置き去りにし外出し帰宅しなかった。このまま必要な食事を与えなければ死亡するとわかりながら、帰宅せず餓死させて殺害してしまったのだ。今流行りのと言わなければならいほど繰り返される「育児放棄」です。あまりにも残酷と懲役30年の判決が下された。「育児放棄」は親の責任放棄と言っても過言ではありません。動物にも劣る人間の父親、母親の続出です。人間社会も落ちぶれたものになってしまいました。

4.過保護
保育園は動物園と同じです。動物園に飼われる動物は、お客さんに見せる商品です。従って動物たちをケガさせたり、病気にかからせるわけにいきません。大事に大切に飼われます。動物どうしでけんかすれば檻を変えて引き離されます。保育園の園児も全く同じように飼われるようなものと言っても言いすぎではないでしょう。病気している園児を預かることはしませんから、保育園にとって一番怖いのは、園児にケガさせることでしょう。園児に度々ケガさせると保育園の悪評になりかねません。幼児どうしのけんかがあってもすぐ引き離されてしまう。動物園の檻の中のけんかと同じです。幼児にも持って生まれた幼児なりの闘争心の芽が摘み取られてしまうのだ。私は男だから、園児の男の子をみると可哀そうでなりません。男の子は、女の子と比べて遊び方が荒っぽいのが当たり前なのです。私が子供の頃は、外に出れば私と同じような年齢の子、少し年上の子、少し年下の子、いわゆる不特定多数の男の子があつまり、女の子が決してしない荒っぽい遊びを親の監視ぬきで遊ぶ子供の世界があった。現在の子は男も女も、子供の世界を体験することなく大人になってしまうのです。そのため園児は無意識のうちに過保護に育てられてきたことを大人になってもわからないのです。

幼児教育は、専業主婦にはかないません。そして保育園には上記のような欠陥を伴うのです。そのことを社会全体で無視していると言っても過言ではありません。私は学校でセックスを教えるなら、教室で自分たちが保育園で育てられた過程にはこういう欠点がありますと、それこそ公民教科書で教えるべきではないかと考えております。保育園で育てられてきたからこそ、早い段階で母親、父親への自覚を教育することが大切だと思うのです。

ところで話はがらりと変わりますが、最近話題の本を紹介しましょう。「女性宰相待望論」(自由社)です。今世紀は女性の世紀。もうそろそろ日本にも女性の首相が誕生してもおかしくありません。日本で女性首相が誕生するなら、この9人の女性代議士の中から間違いなく出るだろう。選ばれた9人の女性代議士のインタビュー本です。何故私は、この9人の中に選ばれなかったのかとカリカリしている女性代議士もいるらしいです。選ばれたこの9人、けっこう皆さん日本のために仕事していますね。時間があればちょっと読んでみるのもおもしろいですよ。


まったく同感ですね。職業がら社会に出て働かなければならない人もいるでしょうが、旦那の稼ぎを補うためにパートに出る、その為に保育園に預ける、母親が子供と接する時間が少なくなる・・・、危険な話です。

私は、保育園も幼稚園も経験しておりません。いきなり小学校入学です。それで適応力が無くて困ったか、と言えば、そんなことはなく、誰よりも早く学校に馴染みました。小学校に入るまでは専業主婦の母親にベタベタ甘えて育ちました。それで今、犯罪者になっているワケでもありません。昔は、だいたい祖父母が同居していて、親の目が届かないところで叱ってくれたりもしていたんですよね、私は経験していませんが。

保育園は無くていい、入れるな、女性は働くな、と言っているのではありません。保育園が足りなくて子供を預けられない、だから女性の社会進出が進まない、少子化に繋がる、という短絡的な発想に異を唱えているだけのことです。少子化は保育園不足が最大の原因ではありません。教育が狂ってきているのが一番の理由です。いくら保育園を増やして全員が入れるようにしたところで、出産適齢期の人たちの意識が変わらなければ何も解決しません。根本は教育にあります。もちろん、学校だけでなく家庭の責任でもあります。

記事の中でお勧めの本「女性宰相待望論」は読んでいませんが、稲田朋美さんは当然に入っているでしょうね。女性議員の中では一番「いい仕事」をしてますもんね。あと、山谷えり子さんとか・・・。

近いうちに読んでみます。

さて、明日も続きます。
posted by poohpapa at 06:39| Comment(20) | おすすめサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月06日

私にとっては嬉しくて涙が出た記事

昨日の続きの記事をアップする予定でしたが、変更させて頂きます。

続く病気で臥せっていたり、田舎にも行っていたので、昨日ようやく、いつもの訪問先サイトを巡回できるようになりまして、ある記事を読ませて頂いたのですが・・・、感激して涙が出ました。

宅建協会の町田支部長の社長ブログに私のことが書いてありました。と言っても、立川支部の支部長選挙問題とは全く関係がありませんので念のため。

町田支部長のお店には立川支部の広報委員として2度ほど取材に伺わせて頂いております。その際にいろいろ勉強になるお話を伺って、「社長ブログ」を開設していらっしゃると知りました。以来、拝読させて頂いてましたが、4月6日付けの記事で「アメリカで、タイガーウッズと関係を持った12人の愛人の似顔絵入りゴルフボールが販売され、是非とも入手したいと思ったけど販売差し止めになっていて果たせなかった」とありまして、「もしかすると、そのうちヤフオクで出品されるかも・・・」と思い、ずっとウォッチしていたところ4月24日に出品されているのを見つけ、2ダース落札して送らせて頂きました。2ダース、というのは、ゴルフにはロストボールが付き物で、意に反して池や林に打ち込んで無くなるものだから、であります。

ひょっとしたらもう熱も冷めていらっしゃるかな、とは思いましたが、最近になって書かれているのできっと喜んでくださるもの、と考えて迷わず落札いたしました。もちろん、私と町田支部長の間には何の利害関係もありません。私は取材でお世話になった恩返しをしたに過ぎませんし、一つの「ご縁」なんですね。

私が感激した理由は、記事の中で、支部長が私のことを「友人」と書いてくださっていたから、です。同じ支部の支部長や役員なら、我々の代表者というだけのことで支部の一般会員と対等の立場、と考えていますが、他支部の役員さんであれば話は違います。間違っても「ただの同業者で対等」などとは考えません。実際、気さくに話させて頂いていても一目置かせて頂くのは当然のことです。それが、町田支部長は一介の同業者でしかない私をそのように表現してくださいました。そのことに感激したのです。

もちろん、「逆」はありません。たとえ町田支部長が私のことを友人と仰ってくださったとしても、私が町田支部長のことを友人と言ったなら身の程知らずのアホです。それくらいはわきまえております。それでも、尊敬している方から親しくそう仰って頂けたことが何より嬉しく思えました。私からすれば、オバマ大統領から「友人」と言われているようなものなんですね。ま、べつにオバマさんは尊敬してませんけど・・・。


ところで、町田支部長、もうお仲間さんとゴルフに行かれたでしょうか・・・。行かれたならきっと、箱を開けて「好みのタイプの愛人さんのボールを取りなさいよ」と笑いながら仲間に勧めたことでしょう(*^^)v

特注で日本でも作れるなら、今頃、私の似顔絵入りのゴルフボールを注文している人もいたりしてわーい(嬉しい顔)

そういうの、思い切り叩き飛ばしたらスカッとするでしょうね。私も、似顔絵入りゴルフボールを作りたい相手、何人かいますけど(爆)
posted by poohpapa at 10:18| Comment(0) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

若い女性に是非お読み頂きたい記事 4

3日続きましたが、「えんだんじのブログ」さんの記事の転載です。やっと追いつきました^_^;

えんだんじさんの記事を読ませて頂くと、私なんかより遥かに「気骨がある」と解かりますね。それだけご苦労なさっている、ということなんでしょう。


貧乏若夫婦、5年でまとまったお金をつくるには

大東亜戦争終結時(1945年)私は7歳、小学校一年生だった。両親と私と妹二人の家族は、川崎に住んでいた。米軍の無差別空爆で全財産焼失。戦前から結核を患っていた父は、戦時中の無理がたたって重症。終戦直後に強制入院。結核菌をばら撒き人に感染させるからです。戦後の大混乱時代、働き手がいない我が家は極貧状態。現在の若い人には想像できない極貧状態だ。それでも私は県立高校に入った。母が一人息子の私にかける気持ちは充分に理解していた。高校入学してから、小学一年から母の苦労を見てきた私は、もう母の苦労を見るのがつらくしのびがたかった。「よーし、俺が働く」と大学進学をあきらめ高卒後働きだした。それ以来およそ45年反乱万丈の人生だった。
現在ワーキングプアと言って、一生懸命働いてもなかなか生活にゆとりがなく貧乏状態が続いている若者が多いいと聞いています。貧乏を脱出するにはできるだけ若い方が良い。30代のうちに脱出すべきだと思う。体力に自信のある人だったら人の3倍働くことだ、私は体力に自信がないので期限を区切って徹底的に社会の中の孤立化を選択した。時代が違うので、この方法が現代でも通用するかどうかわかりません。しかし参考になるのではないかと思い、私の体験を語らせてもらいました。

以下は私の体験談です。
俺は26歳の時結婚した。結婚した時、女房は妊娠四ヶ月だった。いわゆる「できちゃった婚」だった。二人の結婚には俺の両親は反対、女房の母親(母子家庭)も反対。俺は自分が惚れた女と結婚してなにが悪い、結婚式は自分の金で挙げるから、出席したくなければ出席しなくてもかまわないで押し通した。公共施設を利用して、ささやかすぎるほどの結婚式をあげた。俺の両親、妹、身内は式に参加した。女房の身内は誰一人参加しなかった。理由があった。ここではそれを書く目的ではないので省きます。

結婚式の費用を払い、生活必需品の冷蔵庫と電気洗濯機を買い、お産の費用を除くと二人の貯金がほとんど底をつきかけていた。俺は独身の時、株式投資を少しかじっていた。株式投資を本格的にやって儲けたい。それにはまとまった金がほしい。貯金だけにたよっていてはらちがあかない。もっと毎月の貯金を増やすにはどうしたらよいか。当時は乳幼児をあずかるどころか、保育園すらほとんどなかったのだ。5歳から通える幼稚園はあった。最低少なくとも5年間女房は働けない。そこで俺が貯金を大幅に増やすために考えたのが、二つの方法です。一つはこれは誰でもやれることだ、自分の収入よりはるか下の水準の暮らしをすることです。そこで6畳一間のボロアパートを借りた。風呂なし。トイレと台所はあった。台所は狭く冷蔵庫を置くと、冷蔵庫の半分近くが6畳の部屋にはみだしていた。洗濯機は外のベランダに置いた。冬の洗濯は寒いのだ。
二つ目は、5年間徹底して社会の中で孤立すること。すなわち社会的つきあいを一切絶つことだ。ほとんどの場合、つき合いには金がかかるからです。社会的つきあいを一切絶つといういくつかの例をあげましょう。まず私は会社での同僚とのつきあいを絶った。夜のつき合いを絶った。昼食はいつも同僚と一緒にしていたが、結婚してからは女房に毎日弁当を作らせ会社で一人で食べた。忘年会なども費用全部会社もちでなければ参加しなかった。同僚が会社をやめての送別会にも出席しなかった。要するに同僚とは金のかかるつきあいはすべて絶ったのです。そのやり方があまりにも徹底していたため、当時の俺は、会社では変わり者と言われていたことにはまちがいない。俺は同僚には金を作るためにつきあいを辞めるのだと公言していたし、金をためてなにをすると聞かれた時、株を買ってもうけるのだとはっきり公言した。こうして俺の少ない個人的な友達とも交際を絶った。勿論5年間だけの期限付きと宣言していた。

俺は妻にも同じ事を要求した。つきあいをやめるのは5年間だけだ。五年たつと子供が幼稚園に入る。みなと同じようなつきあいをしていかないと子供がかわいそうだ。貧乏脱出にはこの5年間を撤退的利用しなければだめだ。だから五年間だけがまんしろ。その間に株でもうけるから、マンション買う頭金ぐらい儲けるからと説得した。妻も貧乏人の出、それに家出もしているから背水の陣、積極的に承諾した。妻の身内は、結婚式に出席しなかったから問題は生じなかったが、問題はおれの両親、特に母が問題だった。俺は妹も両親とも5年間はつきあいをやめた。私が実家に行ったり、母が私のアパート来たりするとお金がかかるからです。絶縁のような状態は、金を作るための5年間だけだと言っても理解はしてくれなかった。「あまりにも非常識だ」、「お前がこんな薄情な子供とは知らなかった」などとも言われた。
私の決心は変らなかった。半年後子供が生まれる予定でしたが、一番の問題は、母乳が出るかどうかだった。当時は人工ミルクが全盛で、馬鹿げたことに人工ミルクは子供の頭を良くするなどと言われていた。俺は女房に、「お前に母乳が出ないと、赤ちゃんは餓死することになる。我が家の家計にはミルク代の予算はない。母乳が出るあらゆる努力をしろ」と言ってやった。女房も必死だった。本屋で立ち読みしては、母乳の出る方法や母乳が出る食べ物などを学んできた。妊娠後期にもなると黒ずんだ乳首を女房が一生懸命しぼるようにしていた。乳首の先端から水分みたいのがにじみ出てきた。女房に言わせると。乳腺を刺激して赤ちゃんがおっぱいを吸いやすいように線をつけとくのだと言っていた。

俺は女房に母乳が出なければ人工ミルクがあると安易に考えるのを恐れ、「母乳が出なければ、生まれてくる赤ちゃんは餓死。我が家の家計にミルクの予算はなし」と何度も口にした。女房もその言葉を何度も聞かされると、なんと白状な夫と考えてしまうのだろう。「一度言えばわかります。何度も言わないでください」とえらいけんまくで俺にくってかかってきたことがあった。あの時の俺は、まさに守銭奴だった。自分で何度も5年間だけの守銭奴と言い聞かせては、徹底して守銭奴を押し通した。とにかく金が出ていくことを極端にきらった。出産後女房の努力が実ったのでしょう、おっぱいがわき出るようによく出た。あまり出過ぎるため、毎夜女房は台所で自分の乳をしぼっては捨てていた。あるときその乳を飲んでみたが、おいしものではなかった。ただ温度は、一定していてさすがは天の采配と感心したことを覚えています。

退院後、赤ちゃんは毎日風呂に入れなければなりません。自宅に風呂がないから風呂屋に行かなければなりません。女房は怖くて一人で風呂屋の風呂に入れられないと言う。赤ちゃんの首がぐらぐらして固定していないからです。つきあいを絶っているので母に手伝いに来てくれとも言えないし、来たところで6畳一間のアパートでは母の寝る場所もほとんどない。そこで俺が毎晩会社から帰宅すると、6畳の一間の真ん中にビニール製のござを敷き、その上にたらいを置き、その中にお湯を入れ、一人が両手で赤ちゃんを抱いて湯につけ、もう一人が赤ちゃんの体を洗う。これを毎晩くりかえし、三、四ヶ月ぐらいたつとあかちゃんの首が座ってくる。そのころになると妻は、安心して赤ちゃんを風呂屋につれていくようになりました。こうして世間から遮断されたような親子三人になって、私はますます金作りにはげんだ。その頃コンビニなどなかった。八百屋さん、魚屋さん、肉屋さんなどいろいろな個人店が多かった。そこで毎夕妻は、一軒一軒の店をまわり少しでも安いもの買ってきて晩御飯の支度をした。私はタバコは無論、あまり飲むほうでなかったが酒もたった。無論自分のお金で買うことを絶っただけで、他人からのおごり、例えば上司のおごりの時には、タバコも酒も遠慮なくいただいた。
こういう経験したせいか現在ホームレスや生活保護を受けている人間が、タバコすったり、酒をのんだりしているのを見ると腹がたってきます。5年の間俺は女房や子供をどこへも遊びにつれていっていません。映画を見るどころかテレビも家になかった。6畳一間ではテレビの置く場所さえなかった。電車の行き帰りや休みの日は、英語の勉強をしていたので、時々英語関係の本を買う以外、小遣いは全く必要なかった。それでも財布には毎日一万円さつが一枚入っていた。男として万一恥じをかかないため、使うことのない予備費です。

そんな時俺は一瞬総会屋になろうと思った。きっかけは、誰が書いたか名前を忘れてしまったが、ある総会屋が書いた「総会屋一代記」という本を読んだのです。数々の株主総会をとりしきった経験が書いてありました。面白かった。それを読んだ俺は、「俺も総会屋になろう」と考えたのです。当時、総会屋は暗いイメイジはありましたが、現在のように暴力団のようなイメイジはありませんでした。本の最後には、著者である総会屋の住所が書いてありました。東京の市ヶ谷でした。俺は市ヶ谷の自宅へ伺って彼の弟子にしてもらうつもりでいた。総会屋は市ヶ谷のちょっと洒落た家に住んでいた。俺は彼の家の門の前をいったりきたりして入ろうかどうか躊躇していました。意を決して家に入っていった。奥さんらしき人が現れた。
「私はえんだんじと申しますが、先生の書かれた本を読み、感銘を受けましたので、弟子にしてもらいたい思い、本日参上いたしました。先生はご在宅でしょうか」とこんなような言葉をかけました。
すると奥さんは、「主人はいま出張中で一週間ぐらい帰って来ません」という返事でした。
「それではまた一週間後に来ます」と答えて辞去しました。俺の思いつきの考えで出た行動ですから、一回で目的を達せなければあきらめに変ってしまいます。二度と総会屋になろうと考えませんでした。
あの時総会屋の本人が在宅していて、俺が総会屋の弟子なっていたら、また違った人生を送っていたかもしれません。人生は出会いともいいますが、そういう面は多々ありますね。
俺の月給よりはるかに低い水準での6畳一間の生活、徹底したつき合いの排除で、毎月かなりの額の貯金ができた。毎月証券会社で割引債券を買い続け、たまると株式投資に変えていきました。こんな守銭奴のような生活していても子供三人つくる計画は変えませんでした。現在でもそうかもしれませんが、当時はネコも杓子も、子供は一人か二人、三人というのがめずらしかった。子供好きな面もあったかかも知れませんが、俺には天邪鬼のところがあった皆と同じということをあまり好みません。だから結婚した時から、子供三人と決めていました。

二年後に次女が産まれました。6畳一間に4人はさすがにせまい。それでも次女を押入れの下に寝かせて過ごした。世間から隔離されたみたいな親子4人だけの生活。誰も我が家に訪れる者なし、親子そろってどこへも出かけない、出かけるところはいつもの小さな公園。公園では俺は長女と思いっきり遊んでやった。子供とは一銭もかけなくても充分遊ぶことができるのです。こんな閉ざされたような生活に女房はよく協力してくれた。女房は、食糧、衣料等あらゆる物を一円でも安いものを求め、バス亭の一駅や二駅を歩きとおすのは日常茶飯事でした。女房も貧乏出だから協力できた面もあったでしょう。

とうとう長女が保育園に入る日がやってきました。待望の5年が経ったのです。女房との約束どおりつき合いを正常にもどし、常識的な家庭にもどりました。そしてすぐ女房は三人目を妊娠しました。もう6畳一間で親子五人は暮らせません。2LDKの新築の一戸建て借家に引越したのです。女房は喜んだ。今考えて見ると俺の経済基盤は、新婚およそ6年ぐらいの間にできたような気がします。日本は高度経済成長ひた走り、月給も増えたが、株もあがった。新築の一軒家に引っ越してから三、四年間で3LDKのマンションをついに買った。ついに順風満帆の人生がやってきたかと思った。しかし今まで以上の波乱万丈の人生が待ち構えていたのだ。

以上が体験談です。最後にアドバイスしたいことがあります。現在、経済的に苦しんでいる若い人よ、現在の貧乏を決して時代のせいや、社会のせい、国家のせいなどと他人のせいなどにするな。恵まれた人をうらやむな。自分がはいあがる努力しなくて、誰がそれをやってくれるのですか。



私は、えんだんじさんほどではありませんが、やはり結婚資金(披露宴、新婚旅行、新居の契約金など)も全部自分たちで出したし、24歳と10ヶ月で新築の3LDKのマンションも購入しました。必死にカネを貯めていた1年間は土曜の夕食を会社で食べてから月曜の朝食まで何も食べないこともよくありました。

私の子供たちに「俺と同じことをしてみろ」とは言いません。私とは別の人格ですし、果たして「そうまでしてカネを貯めた」ことが正しかったのかどうかも解かりません。「親を経済的に当てにしないのと、自分たちの力で可能なものを求める」と決めていたことだけは間違いではなかったのでは、と思っていますが。

私は、私より優秀な(多くの)同級生より早く自立心を持っていた、とは思います。学業で勝てない分、社会に出て同級生より早く人生の駒を進めたい、という思いは非常に強かったのです。そうすることで同級生を見返してやれる、と本気で信じていました。社会人になってからの大半はフルコミッションの営業生活で、いい給料を取ってましたが、今は「食べていければ不足は無い」と考えています。たしかに「カネに関する欲には際限が無い」人間のほうが圧倒的に多いものでしょうが、「カネは有れば有るように出て行ってしまうし無ければ無いで何とか生きていけるもの」です。自分がおカネを生かして使っていれば、そのおカネはいつか自分のところに戻ってきます。人を当てにはしませんが、私が本当に困った事態になったらきっと友だちは放っておかないと思います。どこかから必ず助け舟が出てくることでしょう。今までそうでしたから。

いろんな体験をして「カネは過不足なく有ればいいや」と思うに至りました。店で従業員を使ってない分、売り上げを心配することもありませんから気楽ですしね。何人も従業員を雇っている経営者を見ると「凄いなあ」と、それは本当に尊敬します。今の私にはできません。

カネはどれだけあっても邪魔にはなりませんが、余計にあると不都合も起きるもの、とよく知っています。だから子供たちには何も遺しません。売るほどある私の失敗談こそが唯一「子供たちに遺せる財産」だと思っています。幸い、私の子供たちもカネに関しては全く欲は有りませんしね。

老後の資金を貯えなければ、と考えていない分、今の僅かな収入でもパアっと好きに使えます。だから人様からすれば「ゆとりがある」ように見えるのでしょう。貯蓄などせずギリギリの生活を送っていますが、凄く楽しくて幸せな人生です。チマチマ貯金したところで、どうせ老後の資金に足りるハズなど無いのですから今を楽しく生きたほうが勝ち、だと思っています。それは、うちの(二人目の女房)も同じ価値観です。

ま、当時は若かったから無茶もできた、ということでしょうね。私自身は苦労などしてなくて、子供の頃から「親が苦労しているのを間近で見ていた」だけのことですが。

えんだんじさんの記事を読んで、「ああ、私は苦労をしていたワケではなかったんだ・・・。人様よりいろんな体験をした、というだけのことなんだ」と気が付きました。良い記事との出会いに感謝しています。


 コメントの返信、少々お待ちください。後ほどゆっくり書かせて頂きます。
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若い女性に是非お読み頂きたい記事 2

以前、当サイトでご紹介した「えんだんじのブログ」さんの記事の続編です。私が寝込んでいた間に(4)まで出ていました。一つ一つの記事が長いので今日から3回に分けて全文を紹介します。リンクを貼ってしまえば一度に全文が読めますが、その・・・、面倒で飛ばない方もいらっしゃるもので・・・^_^;

ちなみに、「えんだんじのブログ」さんはリンクフリーで、記事は「拡散・転載希望」とのことです。

「若い女性たちに告ぐ(その1)」の続編であります。


選択的夫婦別姓

現在、民主党政権は、選択的夫婦別姓制度を柱とする民放改正案を成立させようと計画しています。現行民法は、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」(750条)とあります。すなわち姓の選択の自由は女性にも認められ、法律上での平等がきちんと実現しているのです。それでも夫婦別姓を主張する人たちがいるのは、三つの理由があるからだと思います。
1.法的には男女平等になっていても、現実には男性優位になっていると、左翼の女性やキャリアウーマンとして成功している女性の中には、そのことを極端に嫌う人たちがいます。例えば前法相の千葉景子は「法律には『どちらの姓でもいい』となっていながら何で98%も女性が変えざるを得ないのか。それも本当は問題だと語り、社民党党首福島瑞穂は、「私は男の人と女の人が半分ずつぐらい変えていたらこれほど違和感を感じなかった」(明日への選択、平成22年4月号)と言っています。実際には女性の社会的進出増につれて夫が改姓する割合が増えている現実を無視しているのです。それに法的に女性の姓を名乗れるようになっているのですから、たまたま男性の姓の方が多いいと文句を言ってみたところではたがとやかく言えるすじあいのもではないはずです。この二人は強力な夫婦別姓推進者です。

2.結婚後改姓によって職業上不便が生じる。
これは充分あり得る話ですし、理解できます。昨年結婚した私の姪は、仕事では旧姓を使い続けると言っています。自民党議員、高市早苗氏も旧姓で議員を続けている女性です。旧姓使用の現実生活について、彼女はこう語っています。「パスポートについては、併記が可能で、私のパスポートには、『ヤマモト(タカイチ)サナエ』と記載されていますが、運転免許証、健康保険証、印鑑証明は『山本早苗』と戸籍名のみで発行されています。」(明日への選択、4月号)彼女は、結婚前の旧姓をどうしても通称使用したいかたは、現在の戸籍に「旧姓通称使用の届出」の一行を加えるだけでの法改正で済むことと主張していますが、私も全く同感、賛成です。

3.家族軽視。
夫婦別姓支持者は、「家族軽視」などとは絶対に言いません。東北大震災で、家族の絆の強さが改めて強く認識されているからです。そんな時に家族崩壊をもくろむなど絶対に言えません。そこで表向きには(1)や(2)の理由をあげながら選択的夫婦別姓を主張しているのです。なぜ夫婦別姓が家族の崩壊につながる原因になるか説明しましょう。夫婦別姓も夫婦二人だけならあまり問題はないでしょう。しかし子供が産まれたら妻の姓にするのか、夫の姓にするのか決めなければなりません。子供の姓選びで夫婦げんかしないよう第一子を妻の姓、第二子を夫の姓としましょう。夫婦で姓も違い子供(兄弟姉妹)同士でも姓が違うのです。三番目が生まれたら、その子の姓はどちらを選ぶのでしょうか。これでは家族の絆は弱まることがあっても強まることはありません。妻の姓をAとしましょう、夫の姓をBとしましょう。夫(B)が先に死にました。妻(A)は、自分が死んだら当然夫のお墓に入ろうと思っていました。ところが夫の親族が反対しました。夫婦別姓を選んだのだからB家の先祖のお墓に姓の違う人は入れられませんと断られました。妻は自分のA家のお墓に入ることに決めました。子供たちは、お墓参りのとき、二箇所のお墓に行かなければなりません。両親のお墓がお互い近ければ問題ありませんが、遠ければ一日では無理です。結局母の姓を名乗った子供は、母親の墓参り、父親の姓を名乗った子供は父親の墓参り、これでは家族の絆は弱まるばかりです。そう思いませんか。少なくとも夫婦同姓には、家族の姓を決め、家族の絆を強める目的があります。夫婦別姓の目的はなんですか。何もありません。ただ自分の姓を主張したいだけの話でしょう。彼らの主張はナンセンスです。夫婦別姓を主張する人たちが、あまり表沙汰にしないで隠していることが二つあります。
(1)「選択的」夫婦別姓という呼び名
この「選択的」という言葉が曲者なのです。「選択的」と言うといかにも「同姓が否定されているわけではない」とか「夫婦別姓は選択肢の拡大に過ぎない」とか言って同姓派が反対する理由がないと吹聴していますが、これは恐るべき詭弁です。いいですか、夫婦は同姓ということは生まれてくる子供のことを考えて家族全員が同姓を使用すること、すなわち家族の姓、家族全体の姓なのです。夫婦同姓は、即ち家族を考えての性なのです。それに対して夫婦別姓は、家族のことを考えていません、あくまでも個人の姓で家族の姓ではないのです。従って親子で姓がちがうのは当然です。従って私のような夫婦同姓派は、家族としての姓に意味合いがなくなってしまうから、いくら選択的と言っても夫婦別姓など賛成できないのです。

(2)婚外子に相続権を認める
最初に触れましたように民主党政権は、選択的夫婦別姓を柱とする民法改正案を国会に提出しようとしていますが、あくまでも夫婦別姓は民法改正の中の一つなのです。その民放改正の中で選択的夫婦別姓と同じように女性にとって非常に関心がある事が改正案の中に入っていることです。現在の法律では、夫が妻以外の女性との間で生んだ子供(婚外子)には、夫の死後の財産相続権はありません。それを改正して婚外子にも実子と同等の相続権を与えようというのです。皆さんは、この改正に賛成しますか。夫婦二人で一生懸命働いて、それなりの財産を築き、夫の死後、夫に隠し子がいたことがわかりました。その隠し子が実子と同じ相続権を持つのですよ。「生まれた子供には罪はないから」しょうがいなわ、と言って同意できますか。こんなことが許されたら金持ちの夫は、若い女性にもてるようになります。子供を生んだらこっちのものだと。
選択的夫婦別姓を主張している人たちは、この民放改正にも賛成しているのです。ここでも彼らは、ある意味家族の崩壊を狙っているとも言えます。千葉景子は法務大臣の時、こう言っています。「結婚届けを出していようが、いまいが、女性がいて男性がいて、そこに子供がいれば、子供は本来同じ権利を保障されるべきです。それが婚外子差別の問題につながるわけです」(明日への選択 3月号)千葉景子は、結婚届など完全に無視し、彼女の頭の中には家族という認識が一切ないのです。夫婦別姓推進者は家族という共同体を一切認識しようとしないのだ。だから婚外子も家族の一員にしろと主張しているようなものです。そのうちに婚外子も同じ家に住む権利があると言い出すでしょう。

夫婦別姓の問題は、最近話題になったのではありません。数年前からありました。数年前のある日、私は、女房に「お前は、夫婦別姓についてどう思う」と問いかけました。その時彼女は、「私はあなたの姓が名乗れるのがうれしかったけど」となんのてらいもなく答えたものです。私の女房はもう年で昔の可愛げのある容姿は衰えましたが、年に似合わずこういう可愛げのあるセリフがよく出たものだと感動したのを思い出します。千葉景子や福島瑞穂に聞かせたい言葉じゃないですか。そこで皆さんに質問があります。こういう言葉を吐く女性を、皆さんはどう思われますか。こんな古臭いセリフを吐く女性がまだいるのかと軽蔑しますか、軽蔑とまでいかなくてもちょっと古すぎると考えますか、あなたがたが結婚する時、彼氏の名前を名乗れるのがうれしいと、そこまで考えることはないと思いますか。実は現代の若い女性も、私の女房のような考えもつことを知って、私はまだ日本の将来はすてたものではないと少し安心しています。実は、厚労省が平成18年度に婚姻に関する統計を発表しています。その世論調査によると姓が変わったことで「新たな人生が始まるような喜びを感じると思う」が(47.1%)最も高く、次に「相手と一体となったような喜びを感じると思う」が30.2%と続いています。「いままでの自分が失われてしまったような感じを持つと思う」がわずか9.9%に過ぎません。私に言わせれば皆さん方は、姓についてはまだまだ健全な考えかたをしていると安心しています。結婚し姓を決める時は、単に夫婦がどちらの姓に統一するのかを決めるのではなく家族の姓を決めるのだということを強く認識してもらいたいと思います。家族皆同じ屋根の下に住みながら、夫婦で姓が違い、親子で姓が違い、子供どうしで姓が違っては家族の絆が強まるどころかバラバラになる傾向になっていくことはさけられないでしょう。民主党政権は、擬似共産党政権です。彼らは、堂々と公表することなく隠れてあるいは表現をぼかして、日本の歴史、伝統を破壊しようとする革命政権と言っていい。本当に要注意の危険な政権です。

現在は家族の絆の強調されている時期なので、選択的夫婦別姓制度を含む民法改正法案が、国会に提出される可能性が低くなりました。しかし夫婦別姓制度、外国人参政権、人権擁護法案は、法務省がなんとしても成し遂げたい三大法案ですので、いずれまた、家族の絆の熱が冷めたころ夫婦別姓制度がまた頭をもたげてくる可能性がでてきます。要注意事項です。



えんだんじさんは非常に的確に問題点を捉えていらっしゃいますし、主張も理路整然としています。私も、是非とも多くの方にお読み頂きたいと願っています。

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2012年05月05日

支部総会での質問、第3項目

あまりアレコレ質問しても内容が希薄になるだけなので質問を3つに絞っての3項目。

一、現在の支部事務所が「なかやま本社ビル」にあるのは何故か、その経緯と契約内容を明示せよ

これについても、長坂幹事長からは予想通りの回答が返ってきました。つまり、

会員さんから「栄町に支部があるのは不便」という声が上がったから移転した、というもの。

そういう声は無かったハズ、とは言いません。あってもおかしくありませんので。現に、私個人は栄町より現事務所のほうが便利が良いのですから。ただ、理事さんたちの間では、「以前の栄町の支部事務所の時は駐車場がタダで使えたし、駐車場を探さなくて済んだので便利だった」という声も上がっています。理事さんは立川駅周辺の方ばかりではないのです。立川支部は、立川市、昭島市、東大和市、武蔵村山市の会員業者で構成されているので、むしろ、車で来る人のほうが多かったくらいです。なので「不便だ」という声が上がったから、というのは詭弁ですね。

複数の会員さんから聞いているところでは、元支部長の中山氏の意向で半ば強引に「なかやま本社ビル」に移転させた、とのこと。私が支部に加入する前の話なので、中山氏が支部長時代か退いてからかは不明です。私が問題にしているのは「どうして移転することになったか」でなく「決め方」です。

もし支部の移転が必要だったとします。私が支部長なら、理事会の中に「支部移転のための小委員会」を設置して検討に当たらせます。その際、「4〜5件くらいの候補物件に絞って、その中から公正に決定してくれるよう」指示を出します。もちろん、自分の持ち物件を候補に入れる、ということは避けたほうがいいでしょうが、委員会で公正に検討されるなら「入れても可」ですね。なかやま本社ビルが他の物件より優れているなら最初から外す必要もないでしょう。「うちの物件も入っているけど一切気にせず検討してくれればいい」と委員たちに言っておけば良いだけの話です。ただし、中山氏の人柄によっては、委員は気を遣わざるを得なくなるものでしょう。そう言われていても「他の物件を選択する」ことなどできませんよね。

で、いくつかの候補物件で検討されることは無かったそうです。最初から結論ありき、だったとか。

そこがおかしいんです。現か前かは不明ですが、もし理事さんから、例え「支部長んとこのビルも長く空いてて大変でしょう。今の支部を支部長のビルに移転してはどうですか」と声が掛かったとしても、並の判断力のある人なら、と言うか、支部長たるもの「そうはいかないよ。苦しいのはどこも同じなんだから」と受けないものでしょうね。それを中山氏は自ら率先して理事さんたちに有無を言わせず決定させてしまった、ということなんですね。中山氏が当時の現職の支部長であっても退いていても「やってはならないこと」に変わりありません。今の各地の支部で「支部長の持ちビルに支部事務所がある支部」、他にはないでしょうね。

率直に言って、今の理事会は機能していない、と思います。心の中では「それはおかしい」と思っていても、誰も支部長の意向に異議を唱えられないのですから。ただし、私は各理事さんたちを責める気はありません。狭い業界の中でそれぞれにいろんな付き合いがあるものでしょうから、後々商売で不都合が起きることを考えたら、意見を言って気まずくなるより今後の付き合いを大切にしたとしても当たり前のことです。それでも私は言いますが、言えない人を非難するつもりはありません。


で、司会者の「質問に対する回答には一切の質問や意見を認めない」というのは、不公正な選挙のやり方が暴かれることより、むしろ、支部の中で今も権力を握っていて強大なる影響力がある(?)中山氏に気を遣っての話だと思っています。何と言っても時間が無くて、この項を追求することはできませんでしたが。

長坂幹事長、最後に「間もなく、いくつかの支部事務所が統合されることになるので今の支部も移転になる可能性があります」と言っていて、「だから今さら追求しても無意味だよ」と言いたかったのかも知れませんが、それとこれとは話は別です。最初から最後まで、計算し尽くした嘘と詭弁でしかありませんでしたね。

私も60まで生きているのですから正しいことだけして生きてきたワケではありません。間違ったこともしていますよ、そりゃあ。ですが、友人や仲間を踏み台にしたことはただの一度もありません。私は今、執行部の連中のやってることを見て思っています。「こいつらのような人間にだけはなりたくない」と・・・。


posted by poohpapa at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 宅建組合の行事と活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月04日

組合問題は一休みして、GWの岩手帰省のお話

他愛もない帰省のお話^_^;

お婆ちゃんの6回忌を兼ねて、うちのと岩手に帰省しました。と言っても、寂しがり屋のノルンに留守番させているので、1日の夕方に実家に到着して3日の昼前には岩手を発つ、という強行スケジュールたらーっ(汗)

バス停から実家に向かって歩いていたら、バスが行った音で、両親が家から出て迎えに来てくれました。うちのも2年ぶりの帰省なので待ちかねていたんでしょう。一息入れて、直ぐご先祖様の墓参りに行きました。翌日からは天気は荒れ模様の予報だったので、初日に行って正解でした。

1日の夜には、(数日前に親友に連絡していたのにも拘わらず)うちのが「旦那を連れて帰ってくる」ということで、実家の裏のお好み焼き屋さんで同窓会がセッティングされていて、15人ほど集まってくれました。そのうち、下戸は私と男子一人のみ。あとは男も女も飲むわ飲むわ、ほとんど底なしわーい(嬉しい顔)

入籍直後に帰省した時もやはり同窓会を開いて祝福して頂いていて、その時とは半分以上は違うメンバーでした。電話で連絡を回して、来れる人が来る、という感じ。仕事を終えてから駆けつけてくれる人も何人かいましたね。私とは歳が離れていますが、何の気兼ねも無くすっかり解けこんでました(*^^)v

お好み焼き屋さんの営業時間は22時迄ですが、お開きになる気配も無く、ご主人も何となく辛そうな感じでした。私が飲まないので会費は2人で4千円。それで足りるワケがなく、申し訳ないことをしました。

2日は朝ご飯を食べて直ぐ横になり、お昼を食べて横になり、で、夕食後も6時半には布団に入って2時までグッスリ寝込んでしまって、うちのの実家に行ったのに「食っちゃあ寝、食っちゃあ寝」状態。朝食後も昼食後も2時間くらいは寝てましたね。病み上がりの長距離移動で疲れが出たのかなあ・・・。

2日の昼食は「今回の帰省の目的」の一つ、地元の食堂「二見屋」さんにラーメンを食べに行きました。田舎の食堂にしては凄く美味しいのですよ。ラーメンは昔懐かしい味でスープにもコクがあって最高です。ここのラーメンとよく似ているのが立川高島屋の地下の飲飲菜菜の(カウンターの)ラーメンですね。

二見屋さんを出て、土産のお菓子を買いに隣の「青葉屋」さんに。ここのお菓子はデパートの東北物産展に出してもいいくらいに美味しいです。何点か購入して実家から着替えと一緒に発送してもらいました。

3日は朝食を食べたら直ぐに帰り支度。うちのも久しぶりに帰ったのですが、ゆっくりできなくてお母さんには申し訳なかったですね。家に帰ると、ノルンはしっかり留守番できてたみたいなので、来年のGWも一緒に帰れそうに思いました。あ、我々の留守中、ノルンの世話をしてくれる人はちゃんといます。

私は知らなかったのですが、実家のある藤沢町は昨年9月に一関市に統合されていたんですね。以前近隣の町や村が一関市に統合された際、藤沢町だけが「財政事情が悪い」ということで仲間外れになっていて、東磐井郡は藤沢町だけになってましたがようやく吸収されたようです。一関市が広大になりました。

そうそう、実家で岩手日日新聞社が出している東日本大震災の写真集(二種類)を見せてもらいました。さすがに生々しくて、地元にどれだけの爪跡を残したのか実によく解かりました。私も取り寄せるつもりです。お母さんは当時の新聞も全部保管していました。地元の方々からすれば特別な思いがあることでしょうが、遠く離れた地域に住む我々もまた「忘れてはならないもの」だと思いますね。

東京の人の今の関心は「首都圏にいつ直下型大地震が来るか」ですが、地元では3.11はまだ終わっていません。支援が先細りになるのは致し方ありませんが、同じ痛みを忘れずに共有することが復興にとって最も必要なこと、と思えてなりません。今、瓦礫の受け入れを拒否している自治体、もし自分たちの地域が大震災に遭ったなら、他県に「瓦礫を受け入れてくれ」とは言えませんよね。

さて、弾丸帰省ツアーでしたが、お陰さまで内容はとても充実していました。大感謝、です。
posted by poohpapa at 06:24| Comment(0) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月01日

支部総会での質疑について、2項目

第一項目の回答に引き続き、下記の質問について私が説明をしました。もう「回答に対する質問や意見は・・・」なんて司会者の話は吹っ飛んでましたね。私が続けて話してしまったもので。

一、今回の支部長選挙は支部長が仕組んだ著しく不当ならびに不公正な選挙であるから
   支部長選挙のやり直しを要求する


今回の支部長選、公示前の理事会で前支部長の山田氏から「自分の後継者は福本氏ということで、理事は協力するように」との指示があったと言います。それについては理事さんの中で一人だけ異議を唱えたようですが、結局は支部長の意向通りに話が進んだようです。そもそもそれが間違いですね。

前回の支部長選挙では支部創立43年間で初めて対立候補が出ました。その時の立候補規約は「推薦人10人を要す」というもの。今回は更にハードルを上げて「理事5人を含む15人の推薦人を要す」になりました。つまり、造反をしないよう締め付けておいて、他に立候補者が出ないように仕組んでいます。それでいて「立候補者が一人なら投票は行わない」としています。市長選や知事選、補欠選挙などではよくあることですが、それは「立候補の機会が平等に与えられている」という前提での話です。対立候補が出られないようにしておいて「立候補者が一人なら無投票で」は無いものですね。

造反させないために推薦人名簿は直ちに公開されます。それもおかしな話です。もし対立候補が出た場合、どちらとも付き合いが有る人は「一方の推薦人」にはなれないものでしょう。どちらかを断ったら後々の付き合いに支障が出るのですから、複数の候補者の推薦をしても良いことにして推薦人名簿は非公開にすべきです。と言うか、本来、推薦人など不要だと思います。どこの◎◎不動産、と聞いただけで皆が知ってるワケですから。だいいち、正会員335社で15人もの推薦人がどうして必要なんでしょう。4.47%にもなりますよね。もしこれを立川市長選に当て嵌めると、候補者は6115人もの推薦人を集めなければならないことになります。15人という数もですが「理事5人を含む」というのが不公正の根源です。

立候補の受け付けは2日間でしたが、初日の午前中に、福本氏が理事20名の推薦を集めて受付を済ませました。立川支部の理事は23名。これに専務理事、副専務理事を足して25名。その上の支部長や副支部長などで5名。合計で理事以上は30名です。この中から選挙管理委員になった6名が抜けていて、福本氏本人も理事で、残り23名のうち20名を推薦人にしてしまったんですね。別の事情があって福本氏の推薦人にならなかったのは3名だけ。これでは他の候補者が「理事5人を含む」という条件を満たすことはできません。推薦人署名用紙を支部に取りに来た人もいたようですが、福本氏が理事20名の推薦を集めたところで選挙は終わっているのです。それで私が「選挙というのは投票で決するものであって、先着順で決めるものではないでしょう」と噛みついたワケです。ここまでの話を司会者に言われるまでも無く簡潔に話しました。

総会終了後にもう一人の司会者、参与の斉藤氏が私の傍にやってきて、「あんたも事実誤認をしてるよ」と怒るので、「どういうことですか?」と訊くと、「20人の理事の推薦を先に集めたほうが勝ちに決まってるだろ。先に集められない力のない奴なら選挙に出る資格なんか無いんだ」と言い切りました。ならば選挙の必要はなくなります。「先に理事の過半数の推薦人を集めた者が勝者」とすれば済む話になってしまいます。私が「それだと先着順になってしまいますよね。選挙は先着順でするものではないでしょう」と反論すると、「だいたいが、俺はアンタのバックに誰が付いてるか分かってんだよ」と言います。「私の後ろには誰も付いていませんよ。私は私の意志で動いています。誰かから背中を押されて動いたりはしませんよ」と返すと「ああ、そうかい!」と吐き捨てましたから、理論は破綻してるし、もう滅茶苦茶です。

これ、もっと解かりやすく例えます。時間の制限があって総会では言えなかったんですが、

中華の食べ放題に行ったとします。「フカひれの姿煮も食べ放題」と聞いていたのに、会場に行って「フカひれの姿煮」の鍋を覗き込んだらほとんど空っぽになっています。従業員に「次の鍋は直ぐ出るの?」と訊くと、「いいえ、これでお仕舞いです。先に来たあちらの方が一人でほとんど食べてしまったもので・・・」という指先に視線を移すと、福本氏が「ああ、食った食った」とお腹をさすっています。これ、福本氏が「どんどんお代わりが出てくるもの」と思っていたのなら福本氏だけを責められません。ですが福本氏はレストランの経営者から「最初の鍋だけだから早く来て食べてしまえ」と知恵を付けられていたのですね。自分が20枚食べてしまったら他の人の分が無くなると知っていて食べたのですから、そんな人が我々の新しいリーダーとして相応しいでしょうか、という話です。一番悪いのは「そんな食べ放題を企画した人」ですが。

言うまでも無く、今回の選挙は「立候補の規約」からしてインチキなものですが、実は、そうであっても公正に選挙をしようと思えば出来たのです。それは、

福本氏が「理事の推薦人」を5人で止めておけば良かった、ということです。もし福本氏が支援者に「私は忙しいので、皆で手分けして推薦人の署名を集めてきて欲しい」と依頼していたとします。集まった理事20人の署名を見て、「これはマズイ。これでは他の人が立てなくなるから、15人は辞退しよう」としたなら、福本氏はなかなかの人物、ということになります。つまり、制度は不公正でも、どう対峙するかで八百長にもなるし(どうにか)公正な選挙にもなる、ということですね。別の例えで言うなら、

通学路に「速度制限60キロ」の交通標識が立っていたとします。もちろん、60キロで突っ走ったら事故は頻発するでしょう。ですが、全てのドライバーが「ここは法的には60キロ出してもOKだけど徐行運転しなければ危険」と知っていて徐行運転していたなら事故は防げます。制度に不備があっても常識や知恵で補うことができますよね。

選挙規約もヒドイものですが、確定的に八百長選挙にしてしまったのは、他ならぬ福本氏自身ですね。

私は、何が何でも選挙をやれ、と言っているのではありません。どうしても選挙せずに福本氏に継がせたいなら、「このような事情で今回は選挙をせずに福本氏に禅譲したいのでご理解頂けないか」と会員に率直に説明すれば良かったのです。それを、さも「公正に選挙で決めようとした」ふうを装っているところが問題なのです。選挙をするのであればインチキを仕込んだりせず公正にやりなさい、と言っているのです。

それと、福本氏は分かっている範囲でも過去5年ほど不動産取引の実態がありません。売買も賃貸も管理も、売り上げゼロ、ということです。要は「宅建業の免許を受けているけど宅建業は営んでいない」ということです。そういう意味からも、果たして「そういう人が我々の代表として相応しいでしょうか」と皆さんに問いたいです。少なくとも、不動産業をしてなくても食うのに困らない人が会員業者の為に働いてくれるのか、甚だ疑問です。どこの世界に「医師の免許は持っているけど診療はしたことがない人を医師会の会長に据える」なんて話があるでしょうか。

今年免許の更新を受けていますが、本来は免許の更新は認められません。都に理由書を提出してどうにか免許が下りています。そういう人を何故インチキまで仕組んで支部長にしなければならなかったのでしょう。

多勢に無勢、私一人がどう騒いだところで執行部が「申し訳ありませんでした。選挙をやり直します」などと認めるワケがありませんので私も直ぐに引き下がりました。今まではずっとシャンシャン総会だったものが初めて「ハッキリ文句を言う会員」が現れたことで次の選挙では同じことは出来なくなるものでしょう。ま、中には「そんなに文句があるなら自分で立候補すれば良かったじゃねえか」と考える人もいるでしょうが、私はトップには向いてません。それに、若い会員さんの中には情熱や志を心に秘めている人もいるでしょう。私も60歳です。自分が先頭に立つより、若い人を支えて見守ることができる人間になりたいのです。もう「年寄りで順送りする支部長選び」は止めるべきです。

で、思いました。総会で会員に向かい合う位置で(役員を退いた)相談役だの顧問だの参与という人たちが並んでいましたが、そういうやり方に反対意見の一つも言えない(言わない)ようでは役立たずですね。肩書が「年寄りのオモチャ」になっています。そういう長老が代々に亘って支部をダメにしてきたのです。

我々の業界を見渡せば、礼金の上乗せやAD(営業担当者ボーナスや広告費)の要求、果ては管理物件の横取り等々・・・、自分だけ得すればいい、という人間で溢れています。広く社会に目を向ければ、被災地の瓦礫の受け入れを拒否する自治体があったりして世も末です。こういう時代だからこそ「自分さえ良ければいい」という人でなく会員皆の利益を公平公正に考えられる人がリーダーとして必要だと思います。

福本氏、就任の挨拶で「この度、はからずも支部長に・・・」と言っています。「ご冗談を!」と言いたいです。しっかり計算ずくだったのですから。さらに「私のモットーは、和をもって貴しとす」とも・・・。誰との和、でしょうか。少なくとも、会員のことなど全く意識の中には無いでしょうに。


さて、今日から3日まで、うちのの実家(岩手)に行きます。PC環境・・・、ありません^_^;

この続きは4日以降に書きます。あと、コメントの返信もできませんのでご了承ください。



posted by poohpapa at 00:00| Comment(7) | 宅建組合の行事と活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする