2016年06月02日

「ズートピア」に見る差別観??

今朝は、いつもどおり4時に目が覚めたが、三度寝してしまい、起きたのは6時半・・・。

昨日観に行った「ズートピア」、なかなか良かった。ネットでは「差別や偏見に対するメッセージが込められている」とか(観た人の感想が)書かれていたが、私はそんなことは考えずに単純に映画を楽しんできた。人間社会には必ず(立場的にも経済的にも)弱者と強者がいて、差別なんて無くならない。偏見だって、人は過去の経験から判断基準にしてたりして、一概に非難できないケースは多い、と思う。

我々の業界で言えば、過去にC国やK国の人に部屋を貸して大変な思いをしたなら、次にまたそれらの国の人から「部屋を借りたい」と言われた時に家主さんが断るのは仕方ないと思う。

問題になっている(在日の人たちに対する)ヘイトスピーチでも、「死ね」だの「出て行け」だのと言う表現方法が行き過ぎているのであって、「日本人と比較してこれだけの特権や恩恵を受けているのは逆差別と言えるのだから、ここはこう改善すべき、撤廃すべき」と言えば良かったのと、攻撃する対象が間違っている、ということ。先ず責めるべきは在日の人たちではなく、日本の役所や政府であろう。私は、在特会の主張内容そのものは概ね正しいと思う。私も本音では在日の人の部屋探しはしたくない。

もちろん、日本人にも悪い奴はいるし、C国やK国にも良い人はいる。以前も書いたが、私の感覚では「日本人の悪い奴」と「それらの国の良い人」の比率は同じくらい。ま、どちらも5%くらいかな。

過度な表現や過激なデモで主張の正当性を自ら毀損していて、「奴ら本当に日本人なのかな、逆にそれらの国が仕組んでいるのでは?」と思えるくらい。やってることは「日本に対する破壊行為」だから。規制法まで成立してしまって、これからは日本人が(その件で)正論を言いづらくなってしまった。


そして、例のアメリカの動物園でのゴリラ射殺の一件、日本で msn.の記事に寄せられたコメントを見ると、意外にも「動物園の判断は正しかった(仕方ない)」と言う意見が多い。日本人は「人の命は地球より重い」という感覚でいるのだろう。そんなのは「時と場合による」のだが・・・。

もう動物園は要らないのではないか。現物を見なくても、今はテレビやネットでいくらでも見られるし、そういう環境にない人は友だちのところで見させてもらうことも出来る。そういう媒体が無かった頃と現代では社会の環境がまるで違うのだし。大きさは実物を見ないと実感できないとしても、べつに実感しなくても良いのでは、と思う。「この世(全ての国)から動物園を無くす運動」が起きてほしいものだ。

ところで、夜になって、先日お母さんを亡くされた娘さんに電話して、「こういう映画がありますが、ご覧になりますか?。宜しければチケットをお送りしますよ」と伝えたが、「ズートピア」のことはご存知で興味はおありになるようだが、なんせ今はバタバタしていて時間が作れないよう・・・。ま、それはそうだろう。それで「いつまで上映されているかは不明ですが、行けそうになったらお早めに声を掛けてくださいね」とお伝えした。内容的に、きっと励まされることと思う。

posted by poohpapa at 07:32| Comment(6) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする