2018年01月12日

「裁判のニュース」あれこれ

夫殺害、82歳妻に法定刑下回る判決 「絶望的な状況」

責任能力に関する判断も的確で、被告人の情状も十分に酌んでいて人間味あふれる判決。

様々な裁判の判決でけっこう「おいおい」というものがあったりするが、京都地裁は(今回は)良い判断を下したと思う。東京地裁立川支部(?)はヒドイなんてモンじゃないけど。

もしも、うちがこの老夫婦のような状況になったら・・・、「いつでも殺してくれていいよ。誰もうちのを責めないでほしい」との遺言書を用意して「その時」に備えよう。それもエンディングノートに書いておかなければ・・・。


いっぽう、最近では最高裁で「裁判所の許可を得ず『警察のGPSを使った捜査』は違法」なんて判断が出たけど、もし凶悪犯の捜査をしていて、緊急性もあって他に方法が無かったとしても、それで集められた証拠は無効で無罪、なんてことになって凶悪犯が放免されることと国民が安全に暮らせる権利を天秤に掛けたら、どちらが重要かは明らか。裁判所は「警察の捜査権の乱用」を危惧しているのかも知れないが、容疑者に拷問を加えていたならともかく、裁判所が捜査の方法に足枷を加えるのは如何なものか。人権ボケの極みであろう。いちおう被告人には有罪判決(懲役5年6月)が出たが、問題山積の判決。

裁判所は「そういう判断」を下したことで「自分たちの判断や権力こそが最上位」という優越感に浸っているのではないか、と疑いたくなる。裁判官には「捜査現場で1年くらいの研修」を義務付けたほうが良い。この判決を下した裁判官には「馬鹿じゃないの、オマエら現実を見てみろよ」と言いたい。こんな訴訟を起こす者や弁護士も資質を疑いたくなる。一種の社会的不適合者ではないか。


そういえば、過去にはこんな事件と裁判もあった。私が今も忘れることができない事件。

そして男性は湖に身を投げた〜介護殺人 悲劇の果てに〜

母親を殺めた息子は誰よりも親孝行な息子だったと思う。自分のことしか考えない若者は多いが、献身的に母親の介護に尽していて、極限まで追い込まれての犯行。自分も死ぬ気でいたが死にきれず・・・、執行猶予が付いたのは当然。以前も書いたが、「裁かれるべきはこの息子ではなく社会ではないのか」、と思える。

懸命に生きていたが6年ほどして自ら琵琶湖に入り命を絶った・・・。裁判長は「自分で自分をあやめることのないように、お母さんのためにも幸せに生きてほしい」と声を掛けたが、息子からしてみれば「母親を手に掛けていながら自分が幸せになって良いものか」という葛藤に苛まれていたに違いない。たとえ母親がどんなに息子の幸せを望んでいたとしても、である。

周りの人が、後でよく「どうして言ってくれなかったのか」と発言したりするけど、それは無理。そういうのは周りが気付いてあげなければならないもの。私みたいに「顰蹙をかう」のを何とも思わず人の心の中に土足でズカズカ入っていける性分ならともかく、普通は気付いていても出来ない。そうじゃなくてもプライバシーだの人権だのがうるさくなっている現代、どうしても自己責任になってしまう。

大切なのは「気付き」だと思う。「どうして言ってくれなかったのか」という消極的な反応でなく、「様子が変、おかしい・・・」と思ったら無理にでも聞きだすこと。それで答えてくれなければしょうがない。後になって「あの時ああしてあげていたら」という後悔をするのは最悪。判断は難しいけど、相手が生きていて「余計なことをするな(言うな)」と怒ったら自分が謝れば済むこと。私はそういうことで頭を下げるのは平気。何かあって自分が謝るハメにならないよう保身に走るのが一番いけない。

世の中には「聞いてしまったら自分が何かしなくちゃならなくなるから」と逃げる奴もいて、話は聞いても気持ちは後ろを向いて「逃げの態勢」になっていたりして。そういう奴は友達には成り得ない。

生活保護、という選択肢は無かったのかなあ・・・。収入がどうの、ということより、この場合、診断書が出ているかどうかでなく精神的な側面から判断して保護する必要があったように思う。


これから益々「介護疲れによる殺人」が増えることだろうけど、今起きていることが何の教訓にもなっていないのが悲しい。我々不動産業界も「何かお手伝いできることがあるのでは」と思うのだが、自ら手を挙げて行政に提案することはしていない。私が支部に提案しても無視しているし。それで公益法人??

良くも悪くも、裁判所の確定判決は前例となるから、これからも個々の裁判の判決に注目していたい。

posted by poohpapa at 07:01| Comment(4) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする