私は、満開の桜より、散りかかった葉桜が好き。
今年も桜が観られたなあ・・・、散り始めて、「来年も観られるかなあ・・・」と感慨に耽るのが好き。
鬼平の物語の中で、長谷川平蔵が(悪党を捕らえるの功績があった)労咳を病む間取りの万三を捕えずに、呼び寄せていた万三の女とともに駕篭に乗せて、「どこにでも好きなところに行け。桜が咲くころまで元気でいろよ」と送り出すシーンが大好き。桜を見るといつも思い出す名場面である。
って、毎年書いてるか・・・ (*^_^*)
2018年04月02日
患者の心情に向き合えない医師
先日、「目の周りを怪我しているついでだし、もうそろそろ白内障を診てもらおうかな・・・」と思って、立川相互病院の眼科に行ってきた。15時に予約していたが、そこそこ混んでいたので20分ほど待たされた。それは仕方ない。
自分の番号が呼ばれて、最初に視力検査、それから診察。その後に眼底検査。その際には写真撮影のため瞳孔を開くための点眼を受け、何度も強い光を見つめさせられたりフラッシュを焚かれるので視界が異常に明るくなっていて、その後に再び医師の診察を受け、何かの事情で再度眼底写真の撮影、そしてまた診察。何度、検査室と診察室を往復したことか。
そのフロアは眼科と産婦人科という二つの診療科目の待合室があって、15時前に行った時には20人ほどの患者がいたが、16時50分に私が最後の診察を終えて広い待合室に出てきた時には他の患者は誰もおらず、産婦人科の受付はシャッターが下りていた。建物は新しいがゴーストタウン状態。
で、診察に当たった若い眼科医(男)・・・、
私が「やはり左目は白内障でしょうか?」と訊くと、「左も右も白内障です」と言う。「右目は普通に見えていますが、右目も白内障になっていたんですね・・・」と言うと、「50歳過ぎればみんな入りますから」と無愛想に答える。さらに「辛くなってきたらまた来てください」とのことなので、「次はいつ、ということではないんでしょうか?」と訊くと、「見えなくなってきたら来てください」とのこと。いちおう、「こちらの病院でも白内障の手術はなさっているんですか?」と訊くと、「やってるみたいですね」だと。
「やってるみたい、って、アンタ、この病院の医師だろ!?」と言いたくなった。もしかすると、この病院に籍を置いているのでなく、当番医として他の病院から応援に来ているだけ、ということなのか。
それにしても、撮影した写真を基に、「ここが白濁していて、まだ初期の段階ですね、ここから白濁が進んで見にくくなるまでは・・・、そうですね、個人差はありますが、1年から1年半くらいでしょうか。見え方は本人にしか分からないので、あなたが辛くなった時が手術のタイミングということですね。それまでは普通に暮らして、気になってきたらまたお越しください。どうぞお大事に」くらい言えないものかねえ。何枚も写真を撮ったり検査したけど、それらを全く患者に見せないのが不思議。不要な検査で儲ける病院ではないと思うが・・・。
医者も半年くらいは「営業の研修」を受けておいたほうが良かったりして。
少なくとも、患者は「今どうなっているのか、どこまで進んでいるのか、個人差があると言っても手術までのどの段階まできているのか」は知りたいもの。視力検査の結果も知っておきたかったし。点眼液なんかも何も処方されなかったけど、そんなものなのかねえ・・・。目の周りはパンダ状態なんだから、もう少し詳しく診てくれても良さそうなもの。患者が何に不安を覚え、今後の治療はどうなるのか、どこまで知りたいと思うものなのか、医師なら理解していたほうが良いと思うのだが。
その日の朝、家を出る前に奥さんと喧嘩でもしたのかねえ・・・。冷淡で患者の心情に寄り添っていない医師なら、たかが白内障手術であっても、私の手術は任せられない。
昔、腎臓結石で通っていた所沢の防衛医科大学付属病院で、たまたま主治医が不在で代わりに診察した若い医師が「今日から薬を替えますから」と言うので、「どんな薬になるんですか?」と訊いたら、「あなたに説明して解かりますか?」と言われたことがある。その時のことを思い出した。
一方で、外科の中島先生、お若いけど、私は名医だと思った。と言うのも・・・、虎の門病院からの紹介を受けて、初めて診察室のドアを開けて中に入った時、先生は私の顔を見て、「たいへんでしたね」と声を掛けてくださったのだ。今まで、いろんな医師の診察を受けてきたが、初対面では100%「どうしました?」と訊かれている。もうね、中島先生の最初の言葉で涙が出そうになった。
お若いから医師としての経験は浅いかも知れないが、この先生ならどんな手術でも任せられるし、結果がどうあれ納得できる、と思った。眼科の医師とは真逆である。
人は何気ない一言や言葉尻の僅かな違いで受け止め方が変わって、腹が立ったり嬉しくなったりするもの。ふだん注意して言葉を発しているつもりだが、私自身もこれからもっと気を付けよう。
自分の番号が呼ばれて、最初に視力検査、それから診察。その後に眼底検査。その際には写真撮影のため瞳孔を開くための点眼を受け、何度も強い光を見つめさせられたりフラッシュを焚かれるので視界が異常に明るくなっていて、その後に再び医師の診察を受け、何かの事情で再度眼底写真の撮影、そしてまた診察。何度、検査室と診察室を往復したことか。
そのフロアは眼科と産婦人科という二つの診療科目の待合室があって、15時前に行った時には20人ほどの患者がいたが、16時50分に私が最後の診察を終えて広い待合室に出てきた時には他の患者は誰もおらず、産婦人科の受付はシャッターが下りていた。建物は新しいがゴーストタウン状態。
で、診察に当たった若い眼科医(男)・・・、
私が「やはり左目は白内障でしょうか?」と訊くと、「左も右も白内障です」と言う。「右目は普通に見えていますが、右目も白内障になっていたんですね・・・」と言うと、「50歳過ぎればみんな入りますから」と無愛想に答える。さらに「辛くなってきたらまた来てください」とのことなので、「次はいつ、ということではないんでしょうか?」と訊くと、「見えなくなってきたら来てください」とのこと。いちおう、「こちらの病院でも白内障の手術はなさっているんですか?」と訊くと、「やってるみたいですね」だと。
「やってるみたい、って、アンタ、この病院の医師だろ!?」と言いたくなった。もしかすると、この病院に籍を置いているのでなく、当番医として他の病院から応援に来ているだけ、ということなのか。
それにしても、撮影した写真を基に、「ここが白濁していて、まだ初期の段階ですね、ここから白濁が進んで見にくくなるまでは・・・、そうですね、個人差はありますが、1年から1年半くらいでしょうか。見え方は本人にしか分からないので、あなたが辛くなった時が手術のタイミングということですね。それまでは普通に暮らして、気になってきたらまたお越しください。どうぞお大事に」くらい言えないものかねえ。何枚も写真を撮ったり検査したけど、それらを全く患者に見せないのが不思議。不要な検査で儲ける病院ではないと思うが・・・。
医者も半年くらいは「営業の研修」を受けておいたほうが良かったりして。
少なくとも、患者は「今どうなっているのか、どこまで進んでいるのか、個人差があると言っても手術までのどの段階まできているのか」は知りたいもの。視力検査の結果も知っておきたかったし。点眼液なんかも何も処方されなかったけど、そんなものなのかねえ・・・。目の周りはパンダ状態なんだから、もう少し詳しく診てくれても良さそうなもの。患者が何に不安を覚え、今後の治療はどうなるのか、どこまで知りたいと思うものなのか、医師なら理解していたほうが良いと思うのだが。
その日の朝、家を出る前に奥さんと喧嘩でもしたのかねえ・・・。冷淡で患者の心情に寄り添っていない医師なら、たかが白内障手術であっても、私の手術は任せられない。
昔、腎臓結石で通っていた所沢の防衛医科大学付属病院で、たまたま主治医が不在で代わりに診察した若い医師が「今日から薬を替えますから」と言うので、「どんな薬になるんですか?」と訊いたら、「あなたに説明して解かりますか?」と言われたことがある。その時のことを思い出した。
一方で、外科の中島先生、お若いけど、私は名医だと思った。と言うのも・・・、虎の門病院からの紹介を受けて、初めて診察室のドアを開けて中に入った時、先生は私の顔を見て、「たいへんでしたね」と声を掛けてくださったのだ。今まで、いろんな医師の診察を受けてきたが、初対面では100%「どうしました?」と訊かれている。もうね、中島先生の最初の言葉で涙が出そうになった。
お若いから医師としての経験は浅いかも知れないが、この先生ならどんな手術でも任せられるし、結果がどうあれ納得できる、と思った。眼科の医師とは真逆である。
人は何気ない一言や言葉尻の僅かな違いで受け止め方が変わって、腹が立ったり嬉しくなったりするもの。ふだん注意して言葉を発しているつもりだが、私自身もこれからもっと気を付けよう。