2018年07月07日

やっと、死刑が執行された

オウム事件:「その時が来た」地下鉄サリン遺族の高橋さん

この記事の中で、

1審公判で松本死刑囚の弁護人を務めた小川原優之弁護士は「心神喪失が疑われる状態で裁判で審理が尽くされないまま、刑が確定してしまった。執行されるべきではなかった」と抗議した。

と、あるが・・・、はあ??、である。心神喪失で無罪、判断能力で減刑、責任能力で起訴猶予、になるなら被害者や家族は浮かばれない。サリンを撒けば大量殺戮に繋がる、首を絞めれば人は死ぬ、刃物で刺せば人は死ぬ、銃で撃てば人は死ぬ、と判っていて行為に及んだ、指示をした、というなら心神喪失を疑う必要も判断能力を問う必要もない。誰もが、人を殺してしまった時点で判断能力を失っているのだから、そんなことを言っていたらどんな凶悪犯罪を犯しても死刑に処せないことになる。

こういう事件で必ず「精神鑑定を・・・」とか言い出す弁護士がいるが、自分の依頼人が容疑者であったとしても、犯罪者の人権にしか配慮できないのであれば、そんな弁護士は弁護士のクズだと思う。

事件から20年あまりは長すぎるが、指名手配犯が多数に及び、全ての容疑者の身柄が確保されなければ公正な裁判が開けないことを考えたら、それも仕方なかったかな、とは思う。

で、海外の(馬鹿な)反応。毎日と AERA の記事だから、少し盛った書き方をしていそう。

EU:日本に死刑の執行停止求める 毎日新聞

甚だしい内政干渉である。

オウム事件が「日本と日本国民にとってつらく特殊な事件であることを認識している」と述べ、テロ行為を非難すると共に犠牲者や遺族に共感の意思を伝えた。

ともあるが、理解も正しい認識もしておらず口先だけの同情。殺された人の中には、どうしても今は死ねない事情があった人や、「何でも言うことを聞くから命だけは助けてほしい」 「子供の命だけは」と必死に懇願した人もいたであろう。被害者やご遺族にも人権があるのに、それを踏みにじった犯人には命の保証がある、刑務所で病気の治療も受けられる・・・、そのほうが不合理で不条理。

じゃあ、戦争で人を殺すのは問題ないのか、EU 加盟国は一人も殺さない戦争をしているのか。戦争で死んでいく人にも人生や人権はあるハズ。勝手なこと言ってんじゃないよ、と言いたい。

死刑には「犯罪抑止効果がない」と指摘し、冤罪(えんざい)による過誤も「不可逆」だとして「いかなる状況下での極刑の執行にも強く明白に反対する」と主張。

死刑制度に犯罪抑止効果があるかどうか、は全く別の問題。私も、(計画的な殺人でなく)今まさに人を殺そうとしている人間が、その瞬間に「いや、待てよ。ここで殺して自分が捕まったら死刑になるかもな。やっぱ、殺すのやめよう」と考え直すとは思っていない。だから死刑制度に抑止力なんて望むのがそもそも間違い。

俗に言う「炎上」を覚悟で言わせてもらうなら、

冤罪は起きてはならないこと。たしかに、以前はよくあったのでは、と思う。だが、現代では捜査の手法も証拠の判定もその為に必要な技術も人権に対する配慮も、昔とは格段に違って進歩している。たとえ1000件に1件の冤罪による死刑があったとしても、それでも死刑制度は必要だと思う。殺された人の中には加害者とは縁もゆかりも無いのに、何ら接点が無かったのに、つまり「恨みをかう理由」が全く無いのに殺されてしまった人も多くいると思う。確率の問題ではない、と言えばそのとおりだが、通りすがり殺人で犠牲になった人と冤罪で死刑になる人とでは、起きる確率は雲泥の差。元々人間社会は不条理なもの。人のすることだからどんなに注意していても間違いは起きる。だから三審制をとっているのだし。一つのミスを避けるために全部やめさせる、そんな価値観のほうが間違っている。

間違いも冤罪もどうしても起こり得るもの、それでも、死刑制度は必要なものではなかろうか。


もう一つの記事、

「ああ言えば、上祐」の言葉を作った記者が語る 死刑執行で神格化された麻原彰晃の危険性 AERA

麻原にもっと事件の真実を語ってほしかった。その意味では残念な思いもあります。

とあって、麻原に真実を語ってもらうために治療を受けさせるべきだったのでは、と主張していて、??である。麻原に治療を受けさせても死ぬまで真実を語ることはないと思う。こちらは「冤罪が起きる危険性」というアプローチでなく、遠回しに死刑廃止を訴えているかのよう。私にはそう思える。

今の日本の法律だと「死刑が確定していても、死刑囚が心神喪失になっていたら法務大臣が執行停止させる」ことになっているそうだが、それは無意味だと思う。自分がしたことに対する罰が死刑と決まったのなら、執行する時に心神喪失になっているとかいないとかは関係ないと思う。

基本的に、私は人を一人殺したなら死刑でいい、と思っているが、時に、殺した側にも事情がある、殺された側にも殺されるべき理由があったのなら、その部分では情状を酌量すべきで、人権に対する配慮はそこまでで良いのではなかろうか。EU 諸国の国民て、家族が理不尽な殺され方をしても死刑は望まないんだろうか。

昔は日本でも「死をもって自ら償う」切腹の文化があったが、そういうのも欧米諸国には受け入れられない、理解できないものなんだろうな。この件ではいつまで経っても主張が平行線になると思う。

ついでに言っておくと、アメリカでの死刑の方法、まず睡眠薬を注射してその後に毒薬を、という(死刑囚を苦しませない、恐怖を感じさせない)執行方法は全くもってナンセンスで人権ボケの極み。犠牲者と同じ恐怖を味合わせるのが当たり前。できることなら犠牲者と同じ方法で死刑にしてほしいもの。そもそもが、公開処刑にしないのであれば、死刑制度は凶悪犯罪の抑止力たりえない。

そして、学校の道徳の授業などで、犠牲者のご遺族だけでなく、加害者(死刑囚)の家族が、その後にどんな悲惨な生活を強いられているか、しっかりと教えてほしい。幼いうちから子供たちの頭に叩き込んでほしい。そのほうがよっぽど凶悪犯罪の抑止力としては有効ではないか。


さて、願わくば、残りの6名の死刑も早急に執行してほしい。

posted by poohpapa at 06:51| Comment(10) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする