2018年11月19日

生きていて一番辛いことは何だろう・・・

自由が無いことも、食べる物が無くて日常的に空腹であることも、貧乏であることも、信用を失うことも、みんな辛いことではあるけど・・・、




私の価値観からすると、一番辛いのは・・・、

「人から誤解を受けること」、だと思う。

独裁国家で命の危険に晒されながら生活しているなら話は別だけど、「自由が無い」なら自分の置かれている状況の中で楽しみを見つければいいし、飢えも貧乏も子供の頃に経験しているから今と比べたら屁でもない。商売をしていて「信用」こそが最も大切なモノで、それを失ったら店を畳むしかなくなる。だけど、たいていの場合、それは自己責任。うちの店、例の気違いから「これでもか」とばかりにネットで誹謗中傷されているけど全く影響は無い。そんなのより30年掛けて築いてきた信用のほうが勝っている。それで潰れるようなら「自分の商売の姿勢が間違っていた」ということだろう。

人によっては、こちらの誠意が伝わらないこともあるし、僅かな目先の利益で裏切られることもある。それは仕方ないことだと思っている。時に、今までの付き合いは何だったのか、と言いたくなることもあるけど、それが人間社会というもの。良いことも悪いことも受け入れて生きていくしかない。

ただ、他人から、とくに自分が大切に思っている相手から誤解を受けて、それに対して弁明の機会が与えられなかったり、相手が「聞く耳」を持ってくれていないケースは辛い。私と何かでトラブっている相手から先に情報が与えられていて、それを聞いた人によって(間違った)噂を拡散されてしまったりして。人間て、最初に聞いた話を先ず信じるもの。それを覆すのは並大抵の苦労ではない。自分の生活に影響がないなら放っておけば良いが、そのまま放置しておけないケースも多々ある。

久しぶりに会った知人の目が明らかに依然と違っていて、「あ、この人、(私とトラブっている相手から)何か聞いてるな・・・」と容易に解かることもあった。自分の頭で、「どちらが正しいかでなく何が真実なのか」を考えればいいのに、一方的に片方の言い分を信じて決めつける人もいる。それが付き合いを切れない相手だとキツイ。誤解って、こちらがもがけばもがくほど逆効果になったり深みに陥るものだし。

私の経験上は、誤解に対しては何もしないのが一番。焦って「状況を改善しよう」と動くと、たいていの場合、事態は更に悪化して失敗する。しばらく経ってから、タイミングを見て「実は、あの時はこういうワケがあったんですよ」とゆっくり話すのが最も効果的。そう解かっていても心は焦るもの。

空腹や貧乏は自分の努力と忍耐力でどうにでもなるし、今の日本でなら「自由が無い」と言っても程度問題。信用を失うのも、相手によりけりで、どう頑張っても誠意や努力が伝わらない相手というものは一定の割合で周りに必ずいるもの。所詮はそれだけの相手、と納得すればいい。こちらを誤解している相手も「そう思えばいい」ことになるが、誤解をされたまま離れていかれるのは気分が良くない。

中には、誤解でなく、自己保身の為に意図的に事実と違う情報を流す奴もいる。

ではあるけど、幸いなことに私の周りには、いちいち説明しないでも阿吽の呼吸で解かり合える友達が大勢いて、それで援けられているから鬱にはならないけど。今まさに「誤解」で気になっている人がいて、さて、どうやって(何か)誤解しているか確かめればいいやら・・・。時間は掛けられないしなあ・・・。

posted by poohpapa at 05:55| Comment(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする