2019年04月05日

参加しないけど、中学時代の同窓会が間もなく開かれる

毎年4月29日と日にちを定めて中学時代の学年の同窓会が田舎(愛知県半田市)で開かれる。

出席者は、亡くなった仲間を含めて381人のうち50名程度で、参加者の顔ぶれは変わらない。まあ、同窓会に出てくる(出てこられる)奴は今がそこそこ幸せな奴で、貧困に喘いでいたなら出てこない。

そういうことでなく、「一度出席したけど居場所がなくて・・・」という友人もいた。「じゃあ、僕にピッタリくっ付いてなよ」と勧めたら、一度は参加する意思を示してくれたが「やっぱりやめとくよ」と断りが入った。彼の中では「懲りた」という印象でしかないんだろう。私も、顔を合わせたくない奴がいる。悪い噂(事実と違う、あるいは自分にとって不都合なことは隠した話)が広まっているが、いちいち説明するのも面倒。解かってくれている奴が何人かいればそれでいい。誰に何を言われようがかまわない。

勝ち組か負け組か、ということで分けるなら、私は間違いなく勝ち組。生活は楽ではないけど今も仕事を持っていて、何より、大勢の良き友だちや仲間がいる。親友の数も、男女を問わずたくさんいるし、私が52歳で再婚した相手は「これ以上の女房はいない」と断言できるのだから。

年齢は16歳と8ヶ月も離れていて、出会った時はうちのが28歳。もちろん、当時のほうが若くて綺麗で、容姿的には衰えていたとしても、お世辞や惚気ではなく今のほうが出会った頃より断然好き。当たり前の話だが、長所も短所も互いに受け入れられるから全く気にならない。同窓会に連れて行って自慢したいくらい。

以前も書いたけど、歳を取って勝ち組と負け組がどこで分かれるか、と言ったら、「老後の資金が潤沢にあるかどうかも大切だが、自分の話を聞いてくれる人がどれだけいるか、互いに気に掛け合う人がどれだけいるか」ということ。それは一つの物差しでしかないとしても、一理あるだろう。だから、妙なコンプレックスなんか持たずに堂々と出てきて、現状を正直に明るく語ればいいのに、と思ってしまう。

まあ、中には、口には出さなくても「こいつは俺より下」と見下す奴もいるだろうけど。


で、こんな記事、

格差目の当たり「同窓会」という残酷物語 PRESIDENT Online

内容にところどころ異論もあるけど参考にはなる。同窓会は、そもそも不幸だと自覚している奴は出てこないから、ちょっと幸せな奴が心の中で「自分より上か下か」を天秤に掛けて一喜一憂する集い。

私くらいの年齢になると、同窓会なんかで久しぶりに会うと、「うわっ、すっかりジジイ(ババア)じゃん!」と思える奴もいる。私は今も電車の中で席を譲る側にいるけど、目の前に立ったら間違いなく席を譲られるであろう奴もいる。髪の色(白髪)や本数(禿げ具合)でなく漂っている雰囲気の差だろう。

何をもって幸せと感じるか、の価値観は人それぞれだと思うけど、尺度や基準を替えて見たなら、傍目からは、今まで幸せだと思えた奴が実際には不幸だったり、その逆もあったりして。人の幸せ話を聞いた時に心から「良かったね、羨ましいな、おめでとう」と祝福できる奴こそが本当に幸せな勝ち組なんだろうな、と思う。

posted by poohpapa at 07:36| Comment(8) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする