2019年10月16日

一昨日の夜、中学時代の恩師からお見舞いの電話を頂いた

癌が転移したりしているのだが、以前と変わらず元気そうな声だった。

「アンタんとこは大丈夫だったか。弟んとこ(同じく多摩郊外で横田基地がある福生市)は大丈夫みたいだったけど」とのこと。以前も15号の後にお電話を頂いている。中学卒業後52年も経っていて大勢の卒業生を送り出しているのに今も気にかけてくださっているのは嬉しい。もっとも、東京にいる教え子の全員に電話するなんてことはできないから、私に電話して「首都圏のだいたいの状況を把握しよう」ということなんだろう。

ちょうど伊勢丹の立川店では京都展をやっていて、今までなら京都展の度に「茶の菓」とか「竹取物語」とか「翠一福」なんかを送らせて頂いていたのだが、「歳だで糖尿も入ってきたで、まあはい甘いもんも控えとるんだが」とのこと。なので、残念だが、年三回の京都展のお菓子はやめて、年に一度、小樽の武田鮮魚店から毛ガニを送らせて頂くことにした。一杯600gくらいのが一番美味しいとかで、それを先生と奥様の分で2杯。

数年前に北海道を旅行した際に小樽からお送りしたら「ウマかったぞー」と電話があって、本当に美味しかったみたいで、あそこまで喜んでくださると送ったほうとしても感激する。それで年に一度の毛ガニに決めた。

ちなみに、来週の水曜日にTDLに一緒に行く旅仲間の茨城の歯医者さんご夫妻の旦那のほう、北海道出身(高校は札幌一高)で毛ガニが大好物。何かのついでで東京に出た時には御徒町(おかちまち;山手線で上野と秋葉原の間)の吉池に必ず寄って毛ガニを買って帰り、それを「凄く美味しかったです」と写メしてくる。何度も「写真は要らないから現物を送ってきなよ」と言っているのだが現物は届かない。写メはタダで送れるが現物を送るにはカネがかかる。そんな義理も無いだろうから仕方ない (*´з`)

さて、せっかく先生からお電話を頂いたので、気になることを訊いてみた。

「先生、2月の愛知県知事選挙で誰に入れただ?」 (昔からタメ口 💧

「おお・・・、誰だったかいなあ・・・」(呆けているのでなくトボケているだけか)

「大村に入れたんかや?」 (追及する気満々)

「いや、違うと思うわ、誰だったかいなあ」 (てことは無所属の新人だったか)

その追及はいったんやめて、

「ところで、あいちトリエンナーレの一件、先生はどう思って見とる?」と訊くと、

「あれは河村さんがあかんだわ。大村さんが再開したのは正しい。だけど、出されているものは芸術とは言えんようなモンばっかで、そらあ他んとこでも断られるわ。そういうのを集めて問題提起するのはええと思う。いろんな考え方があってもええんだから」とのこと。う〜ん、少しズレてるかなあ・・・。

昔から、私が先生と議論してよく言われていたのは、「そういう考えの人ばっかじゃないで、いろんな意見を聞いたほうがええぞ」ということ。あいトリの中身そのものより「多様な考え方を認める」ということを重視していて、「自分の考えを押し付けないで生徒に考えさせる方針や姿勢」は昔と変わらない。

ただ、先生は自分の考えを押し付けることはしなかったが、左寄りの人だとは思う。以前私に「あの大戦は日本の侵略戦争だったと思うよ」とか「安倍さんは危ないぞ〜」とか言っているから。マッカーサーが後にアメリカ議会で「あの戦争は日本にとっては自衛のための戦争だった」と証言していることも、ハルノートの存在も知らないのかなあ・・・。たいへんな勉強家の先生のことだから知らないハズは無いが。

先生ご自身も自虐教育を受け、その呪縛から今も解き放たれていないのかも。私も、「日本はアジアに侵略しようとして」とか「軍部が独走して」という話を、教科書に載っているんだから、教師が言っているんだから、と何の疑いも持たずに信じていて、「なんか違うのでは・・・」と思うようになったのは割と最近のこと。何かで、A級戦犯とされる東条英機の写真を見て、「この人、戦犯なんかじゃない」と確信したし。

お国のため、と信じて戦って、負けたがゆえに戦犯として裁かれ絞首刑に、というのでは死んでも死にきれない。さぞかし無念だったと思う。それはご遺族も同じ。ずっと「あの東条英機の・・・」と白い目で見られ続けていて。もし日本が勝っていればトルーマンや狂人ルーズベルトが処刑されていた話。

アメリカも今頃、本音では「GHQの占領政策はちょっとやりすぎて失敗だったかも」と後悔しているのではなかろうか。政権は自民党がとっているものの、左翼や日本に深く浸透している中韓を勢いづかせているのだから。私は、「民主主義の形は一つではない、日本人の国民性に合った民主主義の形を模索しても良いのでは」と思っていて、アメリカなどから押し付けられる(誰もが異議を唱えにくい)「自由」だの「人権」によって、日本はどんどん住みにくくなっているように思う。自由や人権には責任や義務が必ず在るものだが、自由と人権、つまり権利だけを声高に訴える輩が日本を破壊しつつある。

で、もしも先生が「表現の不自由展、その後」の展示物を全部ご覧になったなら、違う意見を言ったと思う。まあ、そう信じたい。ただし、先生と私との考え方の違いは、私が先生という人を判断する指標にはならない。そんなものを超越して私は先生を尊敬している。まあ私の親友の中には共産党支持で赤旗を愛読していて「9条の会」の会員になってる奴もいるしね。それでも、ハートがあれば親友でいられる。

話は60年前の伊勢湾台風にも及んで当時の被害の凄まじさを懐かしんだりした。私は小学2年だったが、先生は大学1年だったとか。死体の片づけなんかも手伝っていたとのこと。だから、暮らしていた長屋が屋根まで冠水した私より印象は強く焼き付いているんだろうな。私の小学校だけで74人、全体で5500人以上が亡くなられていて、史上最大勢力の台風19号でも人的被害は伊勢湾台風の2%ほど。

川が氾濫して家が水に浸かっている光景は伊勢湾台風の時と同じ。うちは、当時はテレビや冷蔵庫、洗濯機などの電化製品も家具も無かったから、水が引いた後の片づけは今回の19号とは比較にならないくらい楽だったと思う。着るものと布団だけあれば以前の暮らしに戻れたし、学用品は救援物資でまかなえたから。

そうそう、来年、高校時代の生徒会執行部の同窓会が開かれる際、その前に恩師のお宅に伺うことになっているので、その時にはまた議論を吹っかけてやろう。そのほうが先生も元気でいられると思うから。




posted by poohpapa at 05:40| Comment(6) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする