2020年05月04日

同じ思い (^◇^)

「パチンコ屋の倒産を応援するブログ」さんの今日の記事「嘘つきは共同通信のはじまり」でも、昨日当ブログで取り上げた元毎日新聞の「とんでもジャーナリスト」尾中香尚里のことを書いている。同じ思いの方がいらっしゃって安堵。左翼の仲間内の評価は違うだろうけど、誰の目から見てもクズはクズ。

ジャーナリストって、自分で名乗れるんじゃなくて宅建士みたいに試験を設けて合格した人間だけが名乗れるようにすればいい、無理だとは思うけど。我々不動産屋は相手に損害を与えてしまったとしてもせいぜい数万から数億。悪意の自称ジャーナリストが国家に与える損害はそんなモンじゃないから。

もちろん、いろんな意見があっていいと思うし、自分と違う意見だから排除しようというのではない。だが、こんなクソみたいなババアが「私はジャーナリストです」と言っていられるのは納得いかないなあ。

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ちょうど50年前の今日、5月4日・・・ (他愛もない思い出話)

50年前の今日は・・・、高校を卒業して就職のために上京して猛烈なホームシックに悩まされていて、最初のGWに、「社員の見聞を広める目的」で交通費を会社が全額負担して社員全員に随時「大阪万博」に行かせる制度を利用(悪用)して、大阪まで行かずに途中の名古屋で降りて最初の里帰りをした日。

当然に社長にバレて大目玉を食らったけど、それも懐かしい思い出。私にとっては万博なんか見学するより友達に会えることのほうが遥かに重要。何人かの同級生が名鉄「知多半田」駅の改札で待っていてくれて、母校の半田高校に移動。そこで同級生や後輩たち20人ほどで準備して開いてくれた歓迎会に。たまたま生徒会室の隣に中池に面した20畳ほどの広さの和室「茶法室」があって、そこが会場。

もちろん、携帯電話なんか無かった時代、よく連絡を取って集まってくれたものと思う。

最初の年は1年で5回も帰省していて、その度に歓迎会という名目で集まってくれていた。当時の同級生は全員、そして後輩たちの半分は今も交流がある。中には年賀状だけで続いている人もいるが。

卒業式の日は後輩たちから「一度に持ち帰れない」ほどのお祝いの品を頂いていて、えへん!、けっこう慕われていたんだろうな、と思う。どういうワケか、当時からいろいろ恋愛相談なんかを受けていて。

なんか、「50年、半世紀って、こんなに早く過ぎるものなの?」と感慨深い。不思議なことに、いつも、数年前の思い出より50年前の思い出のほうが「最近あった出来事」のような錯覚に陥っている。より印象深く、鮮明に覚えているからだろうか。そっか、上京してからもう半世紀以上たっているのか・・・。

私も友だちも50年の間にはいろいろあった。それをリセットして、ここから残りの人生を有意義に送りたい。昔からの友人はほぼそのまま残っていて、上京して以降、転々と職を変えたけどそれらのどの職場にも付き合いが残っている人たちがいて、この歳でも良き友だちは今も少しずつ増え続けている・・・。

たぶん、「ご縁」を大切にしているからだろうな・・・。人付き合いを「面倒くさい」 「鬱陶しい」と思わない性格だし。そもそも面倒くさいだけの相手なら付き合いを残さないけどね。今付き合いが残っている人たちは皆「素晴らしい人間性の持ち主」ばかり。私のほうが先に逝くかも知れないけど、これから歯が抜けるように一人また一人と欠けていくだろうから、今あるお付き合いを大切にして生きていきたい。

あ・・・、だから、私から「面倒くさい」 「付き合いきれない」と思われるようなら「よほどに問題ありの性格」だと思ってもらいたい。今までに何人かいて、我慢の限界で私から切らせてもらったけど。

それにしても、人付き合いはさほど面倒とは思わないけど、コロナとの付き合いは面倒なものだね・・・。

posted by poohpapa at 05:22| Comment(2) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする