2020年05月27日

親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない

体調が良くないし、老い先も短いので、近々「遺言となる記事」を纏めておこうと思っていて・・・、

纏めるつもりで最初から脱線 (^^;

次男にとっては、この話は蒸し返されたくないだろうけど書いておく。

次男が川崎の読売新聞販売店で新聞奨学生として新聞配達をしながら専門学校を二つ出て、そのまま新聞配達を続けていたのだが、奥さんのご両親(千葉在住)が高齢で、先々自分たちがお世話をさせて頂くことになるかも、とのことで、新聞販売店を辞めて千葉に移り住むことを考えているみたい。それに伴って、転職もしなければならないのだが、もう42歳・・・、そこにきてこのコロナ不況で、簡単に就職先が見つかるワケがない。だからと言って、ウーバーイーツも出前館も勧められない。

次男だけのことを考えたら、次男は私なんかより遥かに環境適応能力に優れていて、どんな逆境にも耐えられるから、ホームレスをしながらでも生き延びられると思うのだが、男として一家の主として家族を養っていかなければならないから正職に就く必要がある。それは入籍前に言っておいたのだが・・・。

新聞販売店、いや、新聞社そのものが先細りで、マスコミ界の不動産王である朝日新聞を除けば新聞業界に将来は無い。早めに見切りをつけて転職すべきだったのだが、なんせ順応性が高いことが裏目に出た。いくら、「現状を受け入れられる人は楽しめる分だけ得である」、と言ってもなあ・・・。

私がたまたま多摩都市モノレールに乗っていて、多摩都市モノレールの「職員募集 1年後に正社員登用の道あり」という求人広告を見て、ギリギリ年齢制限内だし次男に向いている、と思い、次男に電話して勧めると、「そうだね、履歴書を送ってみるよ」と言っていて、数日後に「履歴書を送ったのか」訊くと、「ああ、あれ、やめたわ」とのこと。理由を訊くと「彼女が『立川に住みたくない』と言ってるから」だと・・・。

べつに、多摩都市モノレールに就職したからと言って「立川に住まなければならない」ということは無い。そういうつもりでなかったとしても、「義父さんの側になんか行きたくない」と言っていることにもなる。それで次男に「これから自分の夫になろうかという相手が新聞配達のアルバイトを辞めて正職に就こうとしているのに、そんな理由で反対するような女なら結婚しないほうがいい」と怒ったので、まあ、それをそのまま彼女に伝えたんだろう、入籍して8年(?)、一度も挨拶に来ない。それは次男も悪いと思う。

だからお祝いもしていない。元妻のところには挨拶に行っているようだし、千葉ではお披露目の会も催してくれたようだが、私にその気は無い。孫が生まれたとしても可愛いとも思わないだろう。

それで私と次男の関係が壊れたのか、と言うと、そんなことはない。何かあれば普通に電話してくる。先日も「向こうでの求人広告を見てるんだけど、お父さん、エイ〇ルって、あまり良くない不動産屋だっけ?」と電話してきた。まあ、年齢制限の無い求人は「使い捨ての営業」くらいのものだろう。

「お店によって差があるね。多摩地区のエイ〇ルはどこも割と感じがいいよ。ただ、社員は定着していなくて、久しぶりに電話すると『ああ、〇〇は退職しました』と言われることが多いから、そういうことでも内容は判るんじゃないかな。採用されたとしても、オマエは宅建士の資格を持っていないから辛いと思うよ」と伝えた。以前に私が試験を受けるよう勧めて取ろうとしたことがあるけど断念している。

転職のことも気掛かりだが、もう一つ、懸念していることがある。先々、奥さんのご両親の老後のお世話をするつもりのようだけど、これは私の実体験で、これだけは言っておきたい。

一緒に暮らしてか近所に暮らしてか、は知らないけど、どんなに人柄の良い両親(とか義父母)と暮らしていても、一緒に暮らしている人間にしか解からない苦労や辛さというものは必ず有るもの。私の時は、義父母も元妻も妹たち夫婦もまるで解かっていなくて、我慢の限界に達していたので、うちのと知り合って交際を始めてその後に家を飛び出した。みんな「女ができたから出て行った」としか思っていないが。

私なら、「2世帯住宅の1LDKに5人で暮らしているのだから夫婦生活も儘ならないだろうな」と考えて、一万円札でも渡して「たまにはラブホでも行っといで。行かないなら美味しいものでも食べてくればいい」と言うんだけど。同居を始めたのが35歳の時で、男の絶頂期だったんだけどね。

私は思っている。元義父母は「遺産は要りません。老後のお世話をさせて頂きます」と言ってくれている婿を、どういうワケか知らないけど大切にせずに逃げられたのだから、取り返しのつかないミスを犯した、と。財産など遣い切って「ああ、幸せな人生だった」と逝ってくれるのが望みだったのに。

これから次男は昔の私と同じ苦労をするだろうけど、まあ次男ならどんな苦労にも耐えられるだろう。

時には鬱陶しい親父だろうけど、「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない」・・・、この言葉の意味が解かる時が来たらいいな、と思う。ま、無駄はなくても、ちょいちょい間違うことはあるけどね。

私は、もし、うちのに追い出されたり逃げられたりしてホームレスになったとしても、それで「お父さんの面倒を見なければ、などと考えなくていい」と伝えてある。親が我が子の足手まといになったりするのだけは嫌だから。自分も好きなように生きてきたから子供も好きなように生きてくれればいい。


と、ここまでは私の(子供に対する)考え方の話、ここからは、世間に目を向けると・・・、

核家族化だの個人の自由だの権利だのと言って、そこそこの収入があっても子供たちが親の老後の面倒を見ずに福祉に任せて自分たちは人生を謳歌しているケースは多い。福祉なんて、真面目に生きてきたけど何かの事情で「もうどうにもならなくなった人」が受けるもの。無責任にチャランポランに生きてきたり生きている者どもが受けるものではない。生活保護の申請をする際、子供がいれば「親を扶養する意志」の確認をするが、特段の理由も無く拒否したなら保護決定後に子の住民税を加算すべきと思う。

援けなくていい者まで福祉で面倒を見ていたなら、国は、戦争でなく福祉で崩壊することになる。

posted by poohpapa at 06:38| Comment(6) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする