島根県の立正大淞南高校サッカー部でクラスターが発生して96人が陽性だったとか。それを受けて、学校側が謝罪したり、知事が会見で不満を漏らしているようだけど、なんで???
そもそも、誰に謝るの?
芸能界で不倫が発覚した際、会見を開いて「世間をお騒がせして・・・」と謝罪する人がいるけど、世間は何も迷惑していない。謝罪すべきは伴侶に対してと仕事の関係者だけ。それと似ているような・・・。
生徒は何も悪くないし責任も無いと思う。知事が学校の対応に不満を漏らせば誹謗中傷に繋がるのではないか。岩手県の感染者0の時に達増知事が 早くから「最初の一人を責めない」と宣言していたのとエライ違い。コロナ感染 = 悪、ではないのだし。早く判れば、その分、予防に繋がるとしても、どこが悪かったのかを検証するのは事態が落ち着いてからでいいのでは・・・。
青森で60歳の男性が祖先の墓参りで実家に帰省したのを「なんで帰ってくるのか」などと非難して玄関前にチラシを置いたのも情けない。日本人て、いつからこんなになってしまったものか。ほんとに日本人なのか、と疑ってしまう。コロナで日本人の本当の姿が浮かび上がったのか、変わってしまったのか。
そうそう、前の記事で書いた今日のランチは延期になりました。残念ですが仕方ありません。
2020年08月11日
ようやく少しずつ回復
脱水症状かも、と目星をつけて、2日間、コンスタントに水分を補給したことで、頭がフラフラする症状がだいぶ改善されてきた。昨晩から、医師に処方された薬を再び飲み始めたが、その薬の影響は感じられない。てことは、やはり熱中症の初期症状だったかも。もう少し様子を見よう。
昨日は、高校時代の1年先輩のM君から冷蔵便で葡萄(3種類)が届いた。いずれも、うちのと二人で伊勢丹や高島屋の地下で、「こんなの自分のカネじゃ買えないよね」と言いながら横目で見てスルーしている品種の葡萄である。もちろん、デラウエアではない (^◇^)
その昔、書いているが・・・、
M君、高校時代に生徒会の役員をしていて、どういうワケか私のことを凄く可愛がってくれた。貧乏な家庭で育った私が生まれて初めてカツ丼を食べたのはM君の家に遊びに行った時で、お母さんが出前を取ってくれて、「世の中にこんな美味いモンがあるのか」と感動したのを覚えている。
高校卒業後に就職で上京した際、勤務先が一戸建てをそのまま社員寮にしていたのだが、新入社員の私が寝ている枕元で先輩たちが煌々と灯りを点けて麻雀をしていた・・・。寝られたモンじゃない。一番の先輩Aが幅を利かせていて、トイレ(和式)で大をしても流さず、次に入った者に流させる、なんて嫌がらせも受けた。楽しいこともあったんだけどね、夜中にAが「おい、今から讃岐うどんを食いに行くぞ」と皆を起こし、会社の車で文京区から杉並のうどん屋まで食べに行ったりして・・・。
ただ、もうどうにも我慢できなくてM君に相談したら、「それなら俺のアパートに来ればいいがや」と言ってくれて、寮を飛び出してM君のアパートに転がり込んだ。4畳半の風呂無し、トイレは共同、というアパートで、夏休みで帰省したM君が帰京して「坂口よ、俺、ここ出るわ。アンタはそのまま住んどりゃええが」とのことで、20歳で結婚するまで、その家賃7500円の池袋のアパートで過ごした。私も「我が強かった」ので、善意で呼んでくれたM君を追い出しちゃった形だが、厚誼は今も頂いている。
その後、早稲田の応用物理を出たM君は帰京して会社を興し、地元ロータリークラブの会長や市の教育長にまでなっているのだから面白い。陽の当たらない4畳半で一緒に寝ていたM君が・・・、と感慨深い。M君のことだから、私が田舎に残っていて喰い詰めていたなら「だったら俺の会社に来ればいいがや」と言ってくれたに違いない。部活の後輩のミツカン酢の現会長に対して優しくしなかったことも後悔しているが、もっと上手く立ち回れば今頃はいずれかの会社の役員だったかも。
さて、今日はある方とランチの約束をしている。以前に駅前でティッシュを配っていたお姉さんと、そのお母さん。半年ちょっと前、たぁさんから送ってもらった「かもめの玉子」をたまたま1個ポケットに入れていて、ティッシュを頂いた時に「寒いのにご苦労さま。これ、美味しいから食べてみて」と差し上げたら凄く喜んでくれて、ティッシュを10個くらいくれて。以来、顔を見掛ける度にお菓子とティッシュの物々交換。たまに立ち止まって世間話をさせて頂いたりもした。
凄く人柄が良く、早くにお父様を亡くされていて、お母様と一緒に頑張って生きていらっしゃったようだ。数ヶ月前に転職なさったので「じゃあ、お祝いに食事でもしませんか?」とお誘いした次第。何日か前に「実は引越しを考えています、相談に乗って頂けますか」とのメールがあったので、その話も伺う。ただし、もし「引っ越さないほうが良い」と思えたなら引越ししないように勧める。
お菓子・・・、お母様の分も差し上げていて、電話で丁寧にお礼を言われているので、お会いしたことは無いが話したことはある。なので「お母様もぜひご一緒に」とお誘いした。
昨晩メールがあって、どうやら彼女も軽い熱中症みたい。ランチ、実現したら嬉しいんだけど・・・。
でね、互いに気に掛け合う人がいる、何人もいる、ということは素晴らしいことだと思う。相手のこと、誰のことも気に掛けなければ自分のおカネが減ることもないけど、(投資なんかをしていたとしても)自分が稼いだ以上には残らない。でも、誰かのことを気遣えば何かの形で必ず何倍にもなって返ってくる。どっちがどれだけカネを使ったか、どっちが得したか損したか、でなく、凸凹があっても必ず両方が得をするもの。だから、互いに気に掛け合う人がいっぱいいる人はそれだけで勝ち組、幸せだと思う。
恩着せがましい話になるけど、私がこの3ヶ月くらいの間に、あちこちに激励の意味でお届けしたお菓子、金額で言えば17万くらいになったけど、自分が「そういうことができる状態」にあるのは幸せ。見下しているのでなく、昔は極貧で一方的に助けてもらうだけの立場だったけど、ようやく対等の立場になれたかな、と思えるから。当てにしているのでなく、そんなの後から何倍にもなって返ってくるしね。
昨日は、高校時代の1年先輩のM君から冷蔵便で葡萄(3種類)が届いた。いずれも、うちのと二人で伊勢丹や高島屋の地下で、「こんなの自分のカネじゃ買えないよね」と言いながら横目で見てスルーしている品種の葡萄である。もちろん、デラウエアではない (^◇^)
その昔、書いているが・・・、
M君、高校時代に生徒会の役員をしていて、どういうワケか私のことを凄く可愛がってくれた。貧乏な家庭で育った私が生まれて初めてカツ丼を食べたのはM君の家に遊びに行った時で、お母さんが出前を取ってくれて、「世の中にこんな美味いモンがあるのか」と感動したのを覚えている。
高校卒業後に就職で上京した際、勤務先が一戸建てをそのまま社員寮にしていたのだが、新入社員の私が寝ている枕元で先輩たちが煌々と灯りを点けて麻雀をしていた・・・。寝られたモンじゃない。一番の先輩Aが幅を利かせていて、トイレ(和式)で大をしても流さず、次に入った者に流させる、なんて嫌がらせも受けた。楽しいこともあったんだけどね、夜中にAが「おい、今から讃岐うどんを食いに行くぞ」と皆を起こし、会社の車で文京区から杉並のうどん屋まで食べに行ったりして・・・。
ただ、もうどうにも我慢できなくてM君に相談したら、「それなら俺のアパートに来ればいいがや」と言ってくれて、寮を飛び出してM君のアパートに転がり込んだ。4畳半の風呂無し、トイレは共同、というアパートで、夏休みで帰省したM君が帰京して「坂口よ、俺、ここ出るわ。アンタはそのまま住んどりゃええが」とのことで、20歳で結婚するまで、その家賃7500円の池袋のアパートで過ごした。私も「我が強かった」ので、善意で呼んでくれたM君を追い出しちゃった形だが、厚誼は今も頂いている。
その後、早稲田の応用物理を出たM君は帰京して会社を興し、地元ロータリークラブの会長や市の教育長にまでなっているのだから面白い。陽の当たらない4畳半で一緒に寝ていたM君が・・・、と感慨深い。M君のことだから、私が田舎に残っていて喰い詰めていたなら「だったら俺の会社に来ればいいがや」と言ってくれたに違いない。部活の後輩のミツカン酢の現会長に対して優しくしなかったことも後悔しているが、もっと上手く立ち回れば今頃はいずれかの会社の役員だったかも。
さて、今日はある方とランチの約束をしている。以前に駅前でティッシュを配っていたお姉さんと、そのお母さん。半年ちょっと前、たぁさんから送ってもらった「かもめの玉子」をたまたま1個ポケットに入れていて、ティッシュを頂いた時に「寒いのにご苦労さま。これ、美味しいから食べてみて」と差し上げたら凄く喜んでくれて、ティッシュを10個くらいくれて。以来、顔を見掛ける度にお菓子とティッシュの物々交換。たまに立ち止まって世間話をさせて頂いたりもした。
凄く人柄が良く、早くにお父様を亡くされていて、お母様と一緒に頑張って生きていらっしゃったようだ。数ヶ月前に転職なさったので「じゃあ、お祝いに食事でもしませんか?」とお誘いした次第。何日か前に「実は引越しを考えています、相談に乗って頂けますか」とのメールがあったので、その話も伺う。ただし、もし「引っ越さないほうが良い」と思えたなら引越ししないように勧める。
お菓子・・・、お母様の分も差し上げていて、電話で丁寧にお礼を言われているので、お会いしたことは無いが話したことはある。なので「お母様もぜひご一緒に」とお誘いした。
昨晩メールがあって、どうやら彼女も軽い熱中症みたい。ランチ、実現したら嬉しいんだけど・・・。
でね、互いに気に掛け合う人がいる、何人もいる、ということは素晴らしいことだと思う。相手のこと、誰のことも気に掛けなければ自分のおカネが減ることもないけど、(投資なんかをしていたとしても)自分が稼いだ以上には残らない。でも、誰かのことを気遣えば何かの形で必ず何倍にもなって返ってくる。どっちがどれだけカネを使ったか、どっちが得したか損したか、でなく、凸凹があっても必ず両方が得をするもの。だから、互いに気に掛け合う人がいっぱいいる人はそれだけで勝ち組、幸せだと思う。
恩着せがましい話になるけど、私がこの3ヶ月くらいの間に、あちこちに激励の意味でお届けしたお菓子、金額で言えば17万くらいになったけど、自分が「そういうことができる状態」にあるのは幸せ。見下しているのでなく、昔は極貧で一方的に助けてもらうだけの立場だったけど、ようやく対等の立場になれたかな、と思えるから。当てにしているのでなく、そんなの後から何倍にもなって返ってくるしね。