昨日は、うちのの、ン歳の誕生日。4時前に起きて、私のヘソクリの中から1万円札のピン札5枚を(適当な袋が無かったので)銀行の袋に入れて、表に「お誕生日おめでとう」と書いて、枕元に・・・。
うちのが7時過ぎに起きてきて、「有り難う、こんなにいいの?」と喜んでくれた。そのおカネ、一昨年、元娘から返させた70万のうちの一部である。これで、現在の残りは15万・・・。うちのにそう伝えると「そんなこと言われたら使いにくくなるよ」と嫌な顔していたけど。その70万を小出しに使っていて、お菓子のバラ撒きなんかも、ほとんどはその70万から。自分のことでは最高機種のウオークマンとイヤホン(両方で15万ほど)を買ったくらいで、あとは他の人たちの為に使っている。
ここぞ、と言う時にはパアッと使うけど、元々があまり「カネ遣い」が荒いほうではなくて、むしろ堅実に「生かして使う」タイプだから、ヘソクリの残りが15万もあれば1年以上はもちそう。
でもって、昨日はルミネでケーキを買って、夜は1年の無事に感謝して、高いワインで祝杯 (^◇^)
一昨日の記事で、「うちの子供たち、私が義父母にいろいろ尽くしているのを見ているハズだけど、私や元妻に対してお小遣いをくれたりしたことは一度も無い」と嘆いたのだが、ほんと、冷たい。ボーナスが入ったなら、たまには小遣いをくれても良さそうなものだが、自分のことしか考えていない。ちっとも報われていないのを見ていたから、と言えなくもないけど祖父母と私は違う。それが解からないかねえ・・・。
私がどうして「子供たちから小遣いをもらいたい」と思っていたか、と言えば・・・、
私が子供の頃、小学校の高学年とか中学の頃、親父の誕生日なんかに、お年玉を貯めていた中から「おとうちゃん、はい、これ」と、たまに千円札を渡していた。そうすると親父は凄く喜んで、遠慮なんかしないで受け取ってくれていた。ま、パチンコ代が出来た、ということなんだろうし、私もそれで良かった。当時の千円、大卒初任給が2万円くらいだったから今の1万円くらいには当たるかな。
数日後、親父がパチンコで獲ってきたお菓子を「これ、食べろ」とドーンとくれる・・・、ま、いつものこと。半沢直樹ではないが「倍返し!」である。親父は元々そのつもりで私から千円を受け取っている。問題は、その時の親父の顔、である。
私から千円札を受け取った時の笑顔より、私にお菓子を渡して私が喜ぶのを見た時の笑顔のほうが何倍も嬉しそうな笑顔だった。子供心にもよく解かった。それが親心というものだろう。
子供たちが私に何かしてくれたなら、私は何倍にもして返すことだろう、その時の子供の笑顔が見たい、そういう機会を与えてくれないのだから、うちの子供たちは親不孝だということ。当たり前だけど、子供の生活を苦しくさせてまでカネや物が欲しいワケではない。子供たち、まだまだ苦労が足りない。
子供たち、この記事を読むだろうから、それでお小遣いをくれたとしても、私は断固辞退するけどね。
親子関係だけでなく、私は誰かから何かして頂いたら、倍返しとまでいかなくても、最低限、して頂いたことと同じくらいはお返しするようにしている。だから信頼関係ができる。そうしていると、短期的にも長期的にも、損得なんか全く気にせず付き合える親友も増えてくるもの。逆の立場ではお返しなんかは望んでいない、本当に。私が欲しいものは「心からの笑顔」、それだけ。親父もそうだったんだろうな。
以前も書いているけど、私が今、美味しいものをいろんな人にバラ撒いているのは、一つにはそういう子供の頃の体験が大きいと思う。「そんなの、ただの自己満足だろ」と言われようがかまわない。
ところで、昨日、「ポケットティッシュがご縁」のお姉さんと会って、どうして引っ越ししたいのか理由を伺った。ご結婚だった。しかも、お相手からは「お母さんも一緒に暮らしましょう」との提案を受けているとか。そういうの、凄く嬉しい。いいお相手で良かった。これからご希望条件などをしっかり伺って、間違いのない部屋探しのお手伝いをしたい。それにしても・・・、ご縁というのは不思議なものである。