2020年11月15日

私の好きな言葉

「敵は恐るる足らず、甘言を弄する友を恐れよ」

甘いことを言って(こちらを)その気にさせて判断を誤らせ、何かの責任を取らされることの無い自分は利益に与って、結局は思いのままに操ろうとする奴(ほとんど身内)というのは何処にでもいるもので、一見、良き理解者や味方に見えて、擦り寄ってくる奴こそ警戒しなければならない、という意味。

敵とハッキリ判っている相手には、こちらも充分に身構えて対応するので恐れるには足らない。しかし味方のように思わせて近づいてくる者には油断をするな、真の友かどうかを見極めて交わる知恵を持て、ということだろう。甘言・・・、マラソン選手に沿道からコーチが「いいペースだ、あと5キロだ、大丈夫だ、もう少しぺースアップしろ、先頭は捉まえられる」などと激励するのはOKだけど。

「先頭はもう競技場に入った。3位も500m先を走っている。もうメダルは無理だ。あとは自分のペースで走れ」と本当のことを言ったら気落ちして棄権してしまうかも。そこは、嘘も方便だろうけど。

まあね、部下のお世辞や「大本営発表」みたいな報告を信じてしまう無能な上司も多いけど。

今、1年以上も店舗の賃料を滞納している借主に「纏めて払うよう」言っていて、それが為に恨まれて嫌われたのも知っているが、逆恨みもいいところ。事業継続支援金200万と家賃補助とで併せて240万の補助が受けられたのだから、120万ちょっとの滞納賃料が払えないワケが無い。だいいち、仕入れとかでなく別の借金返済や生活費に回してしまったなら制度の主旨を間違って捉えていることになる。

もう16年もブログをやっていて、初期の頃から私の考えに1から10まで賛同していた人は必ず離れていっている。その時は味方でもあり理解者でもあったとは思う。私も「あなたの考え方は間違ってないよ」と言われれば嬉しいし安堵するけど、100%消えている。「それは違うと思う、こういう見方もできるよ」とハッキリ指摘してくださっている方は今も付き合いが残っている。

ブログがご縁でいろんな相談を受けるけど、相手が期待している、あるいは実は自分なりの結論を持っていて、私が「あなたは間違ってないよ、それでいいと思う」と言って背中を押してくれることを期待してやって来たけど、私が「違う回答」とか本音を言ったことで離れていった人もいるしね。私はそういうことで人から嫌われることは何とも思っていない、それで離れていったとしても気にしない。「来る者 拒まず、去る者 追わず」である。この考え方は、私が尊敬する同業の女性社長から教わったこと。

それと、私が特に親しくしていた友人との別離で悩んでいた時に、横浜のTさんから掛けて頂いた「それは、互いの役割が終わった、ということですよ」という言葉にはもの凄く救われた。互いに、代わって役割を果たしてくれる人が必ず現れるもの、そう考えれば気持ちが楽になる。いや、楽になった。


先日、私が読んでいる「60億人の名言」というメルマガに、こんな言葉があった。

 十人が十人とも悪く言う奴、これは善人であろうはずがない。だからといって
 十人が十人ともよくいう奴、これも善人とは違う。真の善人とは、十人のうち
 五人が貶し、五人が褒める人物である。


                   (孔子 中国の思想家・哲学者)

我が意を得たり、である。まあ、5:5じゃダメで、私は(貶す)2:8(褒める)か、1:9くらいがちょうどいいと思う。私自身も、今まで付き合ったり面識のある人ではそれくらいの比率で好かれたり嫌われたりしていると思っている。私の場合「どちらでもない」は希少だろうな。いや、「だから私は善人だ」と言っているのでなく、「誰からも悪く言われないような奴が世の中に役立つハズは無い」と思っているだけ。

posted by poohpapa at 06:25| 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする