2021年01月05日

また一人、いぶし銀の役者さんが亡くなった

「5万回斬られた男」俳優の福本清三さん死去…「ラストサムライ」「水戸黄門」鮮やかな斬られ方で人気
読売新聞  2021/01/04


この顔に ピーンときたら 110番 (じゃなくて)時代劇

と言ってもいいくらいの役者さん。お顔を見れば、誰もが「ああ、この人・・・」と判ることだろう。

昨今は笑いの質が悪いバラエティ全盛で、質の良い時代劇は再放送でしか観られなくなった。

私と長男が家を買った時の担当者さんが二足の草鞋を履く現役の俳優さんで、「水戸黄門」や「遠山の金さん」に、よく岡っ引き役で出ていたので、福本さんをお縄にしたこともあったかも知れない。

コロナでなく肺がんで、とのこと。ご冥福をお祈りしたいと思う。

posted by poohpapa at 14:56| Comment(0) | 芸能・アイドル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

拡散希望、とのことでご協力、もちろん私も概ね同感

川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)

75、教育は学者の専有物ではない(拡散希望)
これまでジェンダーフリーのカルトぶりを述べてきましたが、
一体全体、なぜこんなグロテスクな考えに社会がなびいたのでしょう。
それは多くの国民が男女平等と男女共同参画とジェンダーフリーの
三者を明確に区別していなかったからではないかと思います。
当初「ジェンダーフリー」という耳慣れない言葉に出会ったとき、
多くの人達はこれを「男女平等の延長」くらいに思っていたのでしょう。
そして「何であれ平等ならいいことだ」と安易に受け入れたのではないでしょうか。
男女平等は誰が何と言おうと絶対に正しいものです。男女共同参画の考えは少々行き過ぎもありますが
概ね正しいと言えましょう。
しかしジェンダーフリーは科学を無視したカルトであり、絶対に教育現場に持ち込んではいけないのです。
カルトめいた考えを信じると、正常な感覚が麻痺し、異常な教育が平然と行われるようになります。
かつて問題にされた過激な性教育もその一つです。小学生も高学年ともなればそれなりに性教育も必要でしょう。
しかしセックス人形を使って、男女が交わっている部分を露骨に見せる必要がどこにあるのでしょう。
ジェンダーフリーの考えがどういう屁理屈で過激な性教育に結びつくのか知りませんが、
こうした常識外れの教育を見過ごすわけにはいきません。
ここで大事な話をします。それは教育関係者の学校教育に対する姿勢についてです。
得てして教育界の人、特に教育学者達は学校教育を自分たちの独占的領域と考え、
自分たちが思うように進めてよいと考えているようです。しかしこれは大きな間違いであり、思い上がりです。
学校教育は大多数の親の願いに沿っていなければいけないのです。
それを理解するには学校のそもそもの発生起源を知らなくてはなりません。
人類が動物を獲って生活していた原始の時代は、
親が子供に狩りの道具の作り方や獲物の捕り方、村の決まりなどを教えていましたが、
社会の進化・発展とともに教える内容が膨大になりますと親の手に余るようになり、
江戸時代には豊富な知識を持った寺子屋のお師匠様が親に成り代わって子供に教えるようになりました。
その後明治期になって教育制度が整えられ、現代のような学校教育になりました。
しかし教育制度がどう変わろうとも「親に成り代わって学校が子供を教育する」という原点は変わりません。
つまり学校教育は多くの親の願いに沿っていなければいけないのです。
こういう視点に立てば、過激な性教育もジェンダーフリー教育も、そして「ゆとり教育」もあり得ない話です。
教育関係者は今一度親や国民の願いを真摯に受け止め、それを踏まえた教育をしなければなりません。
教育は学者の専有物ではなく、また机上の空論を弄ぶ玩具でもないのです。
とは言っても国の未来を見据えた国家戦略も必要ですから無制限に親の希望に添うことは出来ませんが・・・。
 最後に男女共同参画についてひとつ・・・
よく耳にすることですが、ある特定の職業について「女性の割合が少ない、欧米では○%が女性なのに我が国では」と
批判していることです。なんと馬鹿なことを!それぞれの国にはお国柄(国民性)があります。
自己主張の強い欧米の女性と違い、日本女性は目立ちたがらず、万事控えめに生きることを好みます。
そう言う国民性を無視して、なぜ欧米基準に合わせる必要があるのでしょう。欧米は欧米、日本は日本なのです。


(改行もせず、原文のまま)


男女平等は誰が何と言おうと絶対に正しいものです。男女共同参画の考えは少々行き過ぎもありますが
概ね正しいと言えましょう。


ここだけは私と違う考え方。私は「男女平等にするのが間違い」、と思っている。世の中、完全な男女平等が実現したならもの凄く不公平な社会になってしまう。平等と公平は似ていて非なるもの。

10人の子供がいて、パンを同じ量で分け与えるのが平等。満腹の子や腹ペコの子の度合いに応じて分け与えるのが公平。もっとも、どうして満腹の子と腹ペコの子がいるか考える必要があるけど。

ジェンダーフリーに関しては、私は「気違いの思想」と思っているので激しく同意。男は男らしく、女は女らしく、で当たり前。体のつくりが違っていれば社会の中での役割も違っていて当然だし。

(割合としては女のほうが多いだろうけど)ジェンダーフリーを唱える男たち、自分のおチ〇チンと金〇マを切り落としてから主張しろよ、と言いたい。人間は雌雄両性にはならないしなれない。男女の違いを認めたうえで、平等ではなく、公平性を求めるのなら正しいのだが。私なんか、夫が育児休暇を取る、なんてのも「子供の将来にとって良くない」と思っている。男は母親にならなくていい。

「企業における女性管理職の割合が」とか「閣僚に占める女性の割合が」なんてナンセンス。有能で適任と思われる女性がいたら起用すればいいだけのこと。割合を目標にする・・・、アホだと思う。


posted by poohpapa at 06:44| Comment(6) | 日記・コラム・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする