TVer で古いドラマを再配信していて、そのうちで、私が最も好きな番組「イノセンス 冤罪弁護士」の配信が今日終了します。宜しければ、最終回だけでもご覧頂けたらと思います。
私は・・・、最終回だけでも10回は視ました。今日21時59分配信終了、とのことです。その前の9話からご覧頂くと流れが解かっていいのでしょうが、最終回だけでも感動モノです。
うちのが夕食の支度をする時、「ああ、おとうちゃんが泣いてるからもうすぐ終わるな」と判断して準備を始めていたとか。全く、デリカシーも可愛げもない女です <`〜´>
「イノセンス 冤罪弁護士」最終回
このドラマで川口春奈ちゃんを見て、大ファンになりました。細くないのがいいですね。
2021年01月13日
マイノリティ(少数派)による「人権」という名の暴力
1月5日づけの記事、「拡散希望、とのことでご協力、もちろん私も概ね同感」を読んだ友人から電話があって、「なるほど、そういうこともあるか・・・」と驚き、納得もしたのでご紹介したい。記事の中で私はジェンダーフリーについて批判的に書いていて、友人は実体験を聞かせてくれた。
友人はいつも通り仲間(女性)とウオーキングをして、帰りに Jonathan's でお茶を飲んでいて、相手がトイレに行ったんだと。すると、そこに、女性の格好をしているけど明らかに男と思われる人物が・・・。女性は(用を足したくてトイレに来たのに、そんなのがいたからといって用を足さずに戻るのは不本意だから)とボックスに入って、その人物がトイレから出ていく気配を待って用を足したとか。
洗面所の鏡の前で化粧でも直していたものか、でも、そんなのがいたらさぞかし驚くことだろう。その人物が単なる女装趣味なのか、LGBT の 「T」、つまりトランスジェンダー(性同一性障害)かは不明で、そういう雰囲気を醸し出しておいて盗撮や悪趣味な録音をしようとしているのかも知れない。相手がもし「私はトランスジェンダーなのよ」と言ったなら許容しなくてはならないのか、疑問である。
性転換の手術をして、おチン〇ンやタマ〇マを切り落としていて、誰が見ても女性と認識するのならともかく、ゲイバーにいるような、明らかに「アンタ、本当は男じゃん!?」と直ぐ判るようなのが女子トイレに入るのは如何なものか。そういうのが男子トイレに入っていても、男性なら「おおおっ」と思っても受け入れると思うが、逆は無い。個人的には、まだおチン〇ンやタマ〇マが付いているなら、いくら女性の格好をしていても女子トイレを利用すべきではない、と思う。確認しようがないけど。
ファミレスなんかで用を足したくなったら、スタッフに事情を話し、トイレの前で待機していてもらうとか、他の客に迷惑を掛けない方法、マイノリティの側が配慮できる方法が何かあると思う。
昔は大多数の「普通の人」(そういう問題を抱えていない人)の陰に隠れて生きていたのが、人権活動家のお陰で「LGBT 」の人たちも大っぴらに権利を主張できるようになってきた。そのこと自体は悪いことでは無いが、被害者意識が強すぎて、度を越して権利を主張しているような。
部落差別問題と似ている。「今も差別がある、差別されている」と主張する人たちがいて、利権に目を付けた人たちに後押しされて国や自治体に補償や特権を求めたりしている。筋違いも甚だしい。
少数派にも人権があって、多数派は少数派にも配慮するのが当然だとしても、少数派による権利のゴリ押しは一種の暴力。まあ、公共施設でのトイレに「男性用」「女性用」の他に「B・T用」があれば解決するのだろうけど、スペースも費用も必要。だいいち、そんなのを設けたら「入る時に好奇の目に晒された」と文句を言うことだろう。
現代は、いろんな場面で、もう「少数派=弱者」ではない。声の大きな弱者が(本当は理解しているワケでなく利権に群がる)支援者の後ろ盾を得て、(誰もが反論しにくい)「人権」を盾に、多数派(自然に普通の人たち)の権利を侵害して不快な思いをさせている。
これ、少数派の人たちが「私は極めて少数派の人間であって、多数派の人たちに少なからず不快な思いをさせているかも知れない。そのことを認識してなるだけご迷惑を掛けないように生きていこう」と考えているのが伝わってくるなら、多数派の人たちも快く受け入れられると思う。それが今では「そうだよ、私たちにも人権というものがある!」と声高に権利を主張し始めると不快になる。
炎上覚悟で言うと、車椅子や要介助の人が国会議員の選挙に当選したことで、国会議事堂の中の階段をスロープにしたり、様々な改修工事が必要になるが、衆議院議員465人のうちの一人のために、であるから、自分が国会議員になろうとするのでなく、ちゃんと理解をして代弁してくれる支援者になってもらおう、と、どうして考えないものか。もちろん、権利は有るのだが、いつでもどこでも権利を行使していい、にはならないもの。少数派が遠慮すべき場面、というものは有ると思う。
川崎市のヘイトスピーチ禁止条例が典型的な例だが、逆差別が世に蔓延っている。嫌な時代だ。
友人はいつも通り仲間(女性)とウオーキングをして、帰りに Jonathan's でお茶を飲んでいて、相手がトイレに行ったんだと。すると、そこに、女性の格好をしているけど明らかに男と思われる人物が・・・。女性は(用を足したくてトイレに来たのに、そんなのがいたからといって用を足さずに戻るのは不本意だから)とボックスに入って、その人物がトイレから出ていく気配を待って用を足したとか。
洗面所の鏡の前で化粧でも直していたものか、でも、そんなのがいたらさぞかし驚くことだろう。その人物が単なる女装趣味なのか、LGBT の 「T」、つまりトランスジェンダー(性同一性障害)かは不明で、そういう雰囲気を醸し出しておいて盗撮や悪趣味な録音をしようとしているのかも知れない。相手がもし「私はトランスジェンダーなのよ」と言ったなら許容しなくてはならないのか、疑問である。
性転換の手術をして、おチン〇ンやタマ〇マを切り落としていて、誰が見ても女性と認識するのならともかく、ゲイバーにいるような、明らかに「アンタ、本当は男じゃん!?」と直ぐ判るようなのが女子トイレに入るのは如何なものか。そういうのが男子トイレに入っていても、男性なら「おおおっ」と思っても受け入れると思うが、逆は無い。個人的には、まだおチン〇ンやタマ〇マが付いているなら、いくら女性の格好をしていても女子トイレを利用すべきではない、と思う。確認しようがないけど。
ファミレスなんかで用を足したくなったら、スタッフに事情を話し、トイレの前で待機していてもらうとか、他の客に迷惑を掛けない方法、マイノリティの側が配慮できる方法が何かあると思う。
昔は大多数の「普通の人」(そういう問題を抱えていない人)の陰に隠れて生きていたのが、人権活動家のお陰で「LGBT 」の人たちも大っぴらに権利を主張できるようになってきた。そのこと自体は悪いことでは無いが、被害者意識が強すぎて、度を越して権利を主張しているような。
部落差別問題と似ている。「今も差別がある、差別されている」と主張する人たちがいて、利権に目を付けた人たちに後押しされて国や自治体に補償や特権を求めたりしている。筋違いも甚だしい。
少数派にも人権があって、多数派は少数派にも配慮するのが当然だとしても、少数派による権利のゴリ押しは一種の暴力。まあ、公共施設でのトイレに「男性用」「女性用」の他に「B・T用」があれば解決するのだろうけど、スペースも費用も必要。だいいち、そんなのを設けたら「入る時に好奇の目に晒された」と文句を言うことだろう。
現代は、いろんな場面で、もう「少数派=弱者」ではない。声の大きな弱者が(本当は理解しているワケでなく利権に群がる)支援者の後ろ盾を得て、(誰もが反論しにくい)「人権」を盾に、多数派(自然に普通の人たち)の権利を侵害して不快な思いをさせている。
これ、少数派の人たちが「私は極めて少数派の人間であって、多数派の人たちに少なからず不快な思いをさせているかも知れない。そのことを認識してなるだけご迷惑を掛けないように生きていこう」と考えているのが伝わってくるなら、多数派の人たちも快く受け入れられると思う。それが今では「そうだよ、私たちにも人権というものがある!」と声高に権利を主張し始めると不快になる。
炎上覚悟で言うと、車椅子や要介助の人が国会議員の選挙に当選したことで、国会議事堂の中の階段をスロープにしたり、様々な改修工事が必要になるが、衆議院議員465人のうちの一人のために、であるから、自分が国会議員になろうとするのでなく、ちゃんと理解をして代弁してくれる支援者になってもらおう、と、どうして考えないものか。もちろん、権利は有るのだが、いつでもどこでも権利を行使していい、にはならないもの。少数派が遠慮すべき場面、というものは有ると思う。
川崎市のヘイトスピーチ禁止条例が典型的な例だが、逆差別が世に蔓延っている。嫌な時代だ。