2021年02月18日

拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 3

昨日に続いて川内先生の記事のご紹介、


川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
http://100prs.info/katudoukiroku/nakama/R2-1-17kawauti/top.htm

81、暴走する人権が生む「悪平等」(拡散希望)

 欧米から持ち込んだ人権文化は暴走し、学校現場に「悪平等主義」をもたらしました。「競争=悪」とする考えが蔓延し、子供を競わせること自体を否定するようになりました。「ゴール手前でみんな仲良く、お手々繋いでゴールイン」の徒競走は以前よく笑い話として話題になりましたが、今もなくなっていません。

 長女が小学生だった時、足が遅いはずの我が子が徒競走で2着になったと喜んでいたら、何のことはない、長女は最も足の遅いグループで走った、と言うことでしたからがっかりしました。何であれこれでは親は自分の子がクラスでどれくらい足が速いのか遅いのか、子供に聞かなければ分かりません。

早い話が今の学校は子供に差をつけることを本能的に否定するのです。足の遅い子供が傷つくから、差別につながるから、と言うのが理由のようです。

 子供の中には「成績は良くないが足の速さなら負けない」という子供がいます。そう言う子供にとっては運動会は数少ない晴れ舞台であり、親に晴れがましい姿を見せることが出来る数少ないチャンスです。「お手々繋いでゴールイン」はそんな子供からクラスの英雄になれる機会を奪っているとも言えるのです。

言わずもがなですが、競争のないところに成長はありません。そして子供は他の子供と競争し比べられることによって、自分の優れている点、劣っている点を自覚できるのです。言い換えれば自分の個性が理解できるのです。

それを言うとある種の先生達は「足の速い子供ならそれでも良いが、成績も悪く足も遅い子供の気持ちはどうなるのか」と屁理屈を言います。
なんと馬鹿なことを・・・子供の能力は幅が広いのです。絵のうまい子、話し上手な子、力の強い子、字の上手な子、友達に好かれる子、正義感の強い子、リーダーシップのある子・・挙げればきりがありません。

子供はそれぞれ光るものを持っています。それをクラスの中で輝かせて見せてやるのが教師というものです。子供はみんなそれぞれ違っているのに、ひとまとめにして「みんな同じだ」とするのは平等でも何でもなく、個性の否定です。こう言えば、ある種の先生は「何の取り得もない子はどうするのだ、傷つくではないか」と、またまた屁理屈です。

私はこんな時「それくらいの傷はあってもいい、かまいません」と言います。これからの長い人生、傷つくことなしには生きられないのですから少々の傷はむしろプラスになるのです。現代の子供はすぐに挫折し、回復力が弱いと言われますが、これは子供時代に適度な心の傷を受けてこなかったことが原因ではないでしょうか。



ほんと、「なんでも人権」がいかにくだらないか、よく解かる。私の兄貴たち、長男は社会人駅伝で区間賞を獲っていて、次男は学年で一番足が速くて番長、三男は(当時は不良の溜り場である)サッカー部に入っていて、陸上部の選手より足が速かったのでNHKの放送陸上(当時は高校生以上しか対外試合は認められていなかったから意味不明な放送陸上なんて大会のみあった)に学校代表として短距離(100m)に出て、地方大会だと思うんだけど優勝してしまって、やはり番長。

男の兄弟で私だけがスポーツ音痴の引き籠り。小学校に入るまで家からほとんど出なかった。私は、成績はドン尻でも運動会で輝く兄貴たちに凄く憧れていた。年に何回か、そういう日があっていいと思う。それが、事前にタイムを計って、身長順でなくタイム順で(差が出ないように)グループ分けして走らせる・・・。それでも最後は競争させるのだから、教師なんて愚かの極みでしかない。

ならばオリンピックも箱根駅伝もやめちまえ、と思う。東大も希望者全員を入れてやればいい。世の中、競争があるからこそ進歩も進化もする。負けて傷ついても這い上がる、学校でそういう人間に育てなくてどうする!?、と思う。人間、必ず取り柄があるから、そこを伸ばしてやればいい。

今回も、川内先生のご意見に賛同 (^◇^)


でもって、コメントの返信、もうちょっとお待ちください。



posted by poohpapa at 06:07| Comment(2) | おすすめサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする