ロッテが日本人殺害セット販売!『ロッテオン』で伊藤博文暗殺セットや日本兵降伏死闘セットなど!
私の毎日の訪問先、「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」さんから。
ご近所は仲良く、なんて(お人好しの)幻想。ヨーロッパなんて隣国同士仲良くしていた例も歴史もない。こんな国とは早く国交断絶してほしい。ロッテのチョコ、もう買わない。うん、決めた。
こちらも、相済みません、コメント欄は設けますが返信はご容赦ください。
コメントはご自由にお書込みください。
2021年02月26日
拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 4
82、ほどよい傷は生きるための薬!(拡散希望)
「子供の心を傷つけてはいけない」、これは教育現場においても社会においても鉄則のように考えられています。果たして正しいのでしょうか。確信を持って言います。間違っています。子供が適度に傷つくのはむしろいいことです。子供が立ち直れないほどの心の傷はあってはなりませんが、少々の傷なら子供の将来にとっては有益なのです。私はこの点については体の傷も心の傷も同じだと思っています。
公園の遊具で子供が怪我をする事故があれば、翌日にはその遊具は撤去されるか使用禁止になります。再び事故が起こっては管理者の責任が問われるからです。
昔の話になりますが、ある小学校で「子供がどんなにはしゃいでも絶対怪我しないように」と、柱の角や階段の手すりなど、子供が怪我をしそうな箇所すべてにスポンジを巻き付けて安全対策をしたところ、確かに学校内での怪我はなくなりましたが、学校外での怪我が大幅に増えたということです。
これもまた古い話ですが、私の郷里で操業中の船から若い漁師が海に転落し、溺れ死ぬという事故がありました。何と漁師の息子でありながら泳げなかったのです。実は郷里の海はほとんど全てが遊泳禁止になっており、波の音が聞こえるほど近いところに海があるのに子供が泳ぐことが許されていないのです。つまり、危ないから泳がせない、泳がせないから泳げない、泳げないから溺れて死んだ、ということなのです。私はこの事故を知って「子供の安全指導とは一体何だろう?」と考えさせられました。
安全指導はその場限り、その時だけの安全ではなく、子供の将来を見据え、将来にわたっての安全につながるものでなくてはなりません。怪我をしてはいけないからとして、子供の周囲から危険と思われることを全て排除し、子供を安全地帯に囲い込むことは実は危険なのです。子供は適度な怪我をし、痛い思いをすることで危険回避能力を身につけるのです。
私は心の傷もこれと同じだと考えています。つまり子供は適度な心の傷を受けてこそ精神的耐性を身につけ、将来心に傷を負った時の復元力が養われるのです。
教師が子供を指導する中で、子供の心を傷つける言動があれば、世間はそれを鬼の所業でもあるかのように非難します。大間違いです。学校の教師や教育関係者、そしてマスコミも子供が傷つくことに対して敏感になりすぎているのではありませんか。教師は「子供の心を傷つけるのか」の言葉の前には、まるで水戸黄門様の印籠を見せられた如く怯んでしまいます。これも教育現場で人権が暴走していることによるものでしょう。ともあれこれでは子供に厳しい指導など出来ません。
わざと子供を傷つける必要はありませんが、子供が傷つくことを怖れて必要な指導を手控えていては教育は出来ません。特にいじめの加害者への指導は教師の指導が手ぬるいように思われます。いじめの被害者は不登校になったり、あるいは自殺することもあるのです。加害者にも少しくらいは傷ついてもらわなければ、被害者ばかりが傷つくことになります。あまりにも理不尽です。
○お願い!この投稿をシェアして拡散して下さい。
○詳しい資料(教育イノベーション)をご希望の方はkaicho71369@yahoo.co.jpまでご連絡ください。無料です。
川内先生のお話は、いちいち納得がいきます。私ごときが甚だ失礼ながら、非常にマトモな見識をお持ちかと存じます。今の世の中、そういう方は極めて希少です。なので、このシリーズは今後も続きます。
でもって、たいへん申し訳ありませんが、コメント欄は設けますが私からの返信は(体調の関係で)できないかと・・・、ご容赦ください。もちろん、自由に意見を書き込んで頂いてかまいません。
「子供の心を傷つけてはいけない」、これは教育現場においても社会においても鉄則のように考えられています。果たして正しいのでしょうか。確信を持って言います。間違っています。子供が適度に傷つくのはむしろいいことです。子供が立ち直れないほどの心の傷はあってはなりませんが、少々の傷なら子供の将来にとっては有益なのです。私はこの点については体の傷も心の傷も同じだと思っています。
公園の遊具で子供が怪我をする事故があれば、翌日にはその遊具は撤去されるか使用禁止になります。再び事故が起こっては管理者の責任が問われるからです。
昔の話になりますが、ある小学校で「子供がどんなにはしゃいでも絶対怪我しないように」と、柱の角や階段の手すりなど、子供が怪我をしそうな箇所すべてにスポンジを巻き付けて安全対策をしたところ、確かに学校内での怪我はなくなりましたが、学校外での怪我が大幅に増えたということです。
これもまた古い話ですが、私の郷里で操業中の船から若い漁師が海に転落し、溺れ死ぬという事故がありました。何と漁師の息子でありながら泳げなかったのです。実は郷里の海はほとんど全てが遊泳禁止になっており、波の音が聞こえるほど近いところに海があるのに子供が泳ぐことが許されていないのです。つまり、危ないから泳がせない、泳がせないから泳げない、泳げないから溺れて死んだ、ということなのです。私はこの事故を知って「子供の安全指導とは一体何だろう?」と考えさせられました。
安全指導はその場限り、その時だけの安全ではなく、子供の将来を見据え、将来にわたっての安全につながるものでなくてはなりません。怪我をしてはいけないからとして、子供の周囲から危険と思われることを全て排除し、子供を安全地帯に囲い込むことは実は危険なのです。子供は適度な怪我をし、痛い思いをすることで危険回避能力を身につけるのです。
私は心の傷もこれと同じだと考えています。つまり子供は適度な心の傷を受けてこそ精神的耐性を身につけ、将来心に傷を負った時の復元力が養われるのです。
教師が子供を指導する中で、子供の心を傷つける言動があれば、世間はそれを鬼の所業でもあるかのように非難します。大間違いです。学校の教師や教育関係者、そしてマスコミも子供が傷つくことに対して敏感になりすぎているのではありませんか。教師は「子供の心を傷つけるのか」の言葉の前には、まるで水戸黄門様の印籠を見せられた如く怯んでしまいます。これも教育現場で人権が暴走していることによるものでしょう。ともあれこれでは子供に厳しい指導など出来ません。
わざと子供を傷つける必要はありませんが、子供が傷つくことを怖れて必要な指導を手控えていては教育は出来ません。特にいじめの加害者への指導は教師の指導が手ぬるいように思われます。いじめの被害者は不登校になったり、あるいは自殺することもあるのです。加害者にも少しくらいは傷ついてもらわなければ、被害者ばかりが傷つくことになります。あまりにも理不尽です。
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川内先生のお話は、いちいち納得がいきます。私ごときが甚だ失礼ながら、非常にマトモな見識をお持ちかと存じます。今の世の中、そういう方は極めて希少です。なので、このシリーズは今後も続きます。
でもって、たいへん申し訳ありませんが、コメント欄は設けますが私からの返信は(体調の関係で)できないかと・・・、ご容赦ください。もちろん、自由に意見を書き込んで頂いてかまいません。