2021年03月11日

今日で東日本大震災から10年・・・

毎年そうさせて頂いているけど、2時46分・・・、どこにいても、黙祷させて頂こう。

でもって、サッカーの国際試合の客席で「日本の大地震をお祝います」(原文のまま)という垂れ幕を掲げた韓国人(韓国)を私は赦さない。中国と並んで世界で最も倫理観が欠如しているクズ国家だから。


ところで、今日、Yahoo! JAPANから「3.11」と検索すると、一人に付き10円寄付されるとか。うちは夫婦二人で検索させてもらいました。宜しければ、皆さんもご協力ください。9時現在で150万人ほどが検索して寄付に参加しています。

posted by poohpapa at 08:46| Comment(2) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 6

これ、Facebook でも届いておりますが、NPO法人百人の会が「宣伝してくれ」と言うので、こちらの記事はNPO法人百人の会からの転載、ということに (^◇^)


川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)

84、胡散臭くなった人権と言う言葉(拡散希望)

 多くの日本人は人権という言葉に過大な幻想を抱いているようです。これさえ大事にしていれば自ずと明るい未来が開けてくるように信じているのでしょう。しかし、その人権があまねく浸透した今、社会はどうなったでしょう。

現代の人権は自分が気に入らない人間を攻撃する道具に成り下がっているのではありませんか。

 人権社会は不用意に他人に近づけばいつ相手から切りつけられるかも知れない怖い社会です。人間どうしの絆を深めるはずの人権も、原理主義に走れば「人権ナチズム」となり荒んでくるのです。「痴漢に間違われないように両手を上げてつり革につかまる」などは最早笑い話です。

どうしてこんなことに、と思われるでしょうが、実はこれは当たり前のことです。

日本人は「人権」と聞けばその中に崇高な理念が込められているように思うでしょうが、それは幻想に過ぎません。実は人権は自分の縄張りを主張するだけのものです。つまり「ここからは自分の領分、勝手に入るな」というだけのものです。

 狩猟民族にとっては縄張りは大切なのでしょうが、協調・共働で生きてきた稲作農耕民族である日本人からは生まれようのない概念です。第一「ここからは自分の領分」と主張するのは日本の村社会では無理なのです。

ところで、人権と道徳はどう違うのでしょう。同じもののように思われるかも知れませんが、本質は全く異なります。それどころか正反対な面もあるのです。権利は外に向けて主張しますが、道徳は内省的で自分に向けられます。権利は法的裏付けがあり強制力を伴いますが、道徳は法とは無関係で人に強制しません。人権どうしは時に衝突して対立を生みますが、道徳どうしは衝突しません。

 ある評論家が「人権が完全に守られるなら道徳は必要ない」と言いましたが、全く的外れです。これは裏返していえば「法に触れなければ何をやっても良い」と言っているに等しく、行き着く先は弱肉強食の荒んだ社会でしかありません。

以前私は「我が国には人権という概念はなかったが、義理・人情があった」と述べました。これを読んだ人の多くは「時代錯誤」と大笑いしたことでしょうが、実は義理・人情は日本人の古典道徳と言ってもよく、目指すところは人権よりも遙かに次元が高いのです。日本のお国柄を考えれば我が国は人権大国より道徳大国を目指し、道徳を軸とした健全な人権文化を広め、品格のある国家を目指すべきではないでしょうか。

 社会ではよく反戦・平和・人権などの言葉が飛び交います。実に美しい言葉です。しかし、これらをリベラルが好んで使うようになってからは、何となく胡散臭さを感じるようになりました。私だけでしょうか。



原文のままですが、改行は私が入れさせて頂きました。


「私は人権アレルギー」と何度も述べていて、私みたいな一介の市民ではなく、校長先生までなられた川内先生が主張なさると私なんかより遥かに説得力があります。まさに「我が意を得たり」です。

義理人情・・・、私は仕事でもプライベートでも、この「義理人情」を大切にしています。お年寄りに部屋を紹介する時に、いちいち「高齢者や弱者の人権に配慮して・・・」なんてことはありません。家主さんにも同じく人権がありますしね。間に入って落としどころを探る、なんてことはしょっちゅうです。どなたかが仰っていましたが、不動産屋は仲介業ではなく仲裁業なんですね。それに徹しています。

ついでに、私は「グローバル化」なんて言葉にも嫌悪感を持ちます。あ、もっと嫌いなのが「男女平等」です。「男女公平」「男女同権」なら賛成しますが、声の大きな連中が主張する内容の男女平等を推し進めたら、世の中、限りなく不公平な社会になります。今でも十分に女のほうが得をしているのですから男女格差が拡大するだけです。声の大きな連中の真の目的は「男女平等ではなく日本社会の崩壊」ですね。

ジェンダーフリーを訴える気違いたち、「オリンピックなどスポーツの国際大会で男女一緒に走らせろ、闘わせろ」とは言いませんし、ガソリンスタンドや居酒屋なんかの「レディースデイ」に文句をつけることはありません。女が得をすることにはダンマリを決め込んでいて、ダブルスタンダードです。

奴らがやっていることは、「学校のトイレや更衣室を男女で分けるな」くらいのもの。差別と区別、平等と公平、その違いも解かっていません。「頭が悪い」と言うより「気違い」なんですよ。

能力がある女性をしかるべきポストに登用しないのなら差別ですが、最初から「何割は女性に」などと目標設定するのは愚の骨頂。善良で良識ある市民は、そんなことで大声を上げません。声の大きな者どもに配慮してるんでしょうが、政治家や役人や公務員、何に怯えているのやら。

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