2021年03月22日

拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 8

先に、コメントの返信少々お待ちください、申し訳ありません。


3/21 川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)

86,人権社会のなれの果て(拡散希望)

 アメリカは世界一の人権大国です。そして人権は人間を幸福に導くための概念です。
では今アメリカに暮らす人々は世界一幸福なのでしょうか。私にはとてもそうは思えません。
弱肉強食の殺伐とした社会でしかないからです。

アファーマティブ・アクション(社会的弱者を救済する措置)や、ポリティカル・コレクトネス(政治的・ 社会的に公正・中立とされる言葉や表現を使用すること)が浸透していることを見れば確かに人権大国です。しかし、これらによってアメリカ社会がどれほど歪になっているかを考えれば、アメリカは「人権尊重国家」ではあっても、「人間尊重国家」とは思えません。

 アメリカは人権大国であると同時に世界一の訴訟大国でもあります。些細なもめ事でもすぐ裁判になります。当事者どうしが話し合い、歩み寄ってものごとを解決するという柔軟さがないのでしょう。そして訴訟はすでにビジネスと化しています。事件・事故で遺族が嘆き悲しんでいる現場に弁護士が先を争うように駆けつけ、名刺を配り、「私が賠償金をとってやる」とアピールする凄まじい国です。因みに、単位人口当たりの法曹数(司法関係者や弁護士の数)は日本の二十倍です。

ギャグのような実話もあります。「入浴した猫を電子レンジで乾かしたら死んでしまった」と家電メーカーを訴え勝訴した、などは日本では笑い話です。 一方我が国ではどうでしょう。単位人口当たりの訴訟数はドイツの五分の一、フランスの七分の一です。アメリカとの比較では桁が違いすぎて比べることさえ不可能です。

 私は欧米で人権が生まれたからと言って、かの国で人間が尊重された歴史を持っているとは思いません。むしろ人間の尊厳が踏みにじられ、非人間的な扱いをされてきたからこそ人権という概念が生まれたのではないかとさえ思っています。

そういう日本と欧米、貴方はどちらが豊かな社会だと思いますか?

 権利という考えが日本に伝来した明治期、福沢諭吉は権利を意味する英語「right」を「権理」と訳しました。「権」とは「一命を賭して守るべき一分」という意味であり、「理」とは道理、即ち正義のことです。してみると命をかけて正義を守る「権理」とはなんと崇高な言葉でしょう。

ところがいつの頃からか「権理」が「権利」と表記されるようになりました。名は体を表す、と言われますが、これでは命をかけて利益を権(はか)るという意味にしかなりません。何ともさもしい言葉です。

 私達日本人は今一度原点に返り、「権利」ではなく「権理」の精神を胸に刻むべきではないでしょうか。折も折、今テレビでは渋沢栄一が主人公の大河ドラマ「青天を衝け」が放映されています。渋沢は資本主義を取り入れるに際し、我が国のお国柄を考えて「論語と算盤」を著し、
欧米の貪欲資本主義ではなく道徳を軸とした資本主義となることを世に訴えました。さすがです。

欧米発祥のものなら無節操に取り入れる日本の教育界はこれを見倣うべきではないでしょうか。



(原文のままですが、元々はスマホでの原稿なので、改行が入っていなくて文章が繋がっていて読みにくいので、改行は私の判断で入れさせて頂きました。以前の原稿も後で改行を入れさせて頂くかも)


川内先生のご意見は一から十まで仰るとおりかと存じます。私は「人権」だの「プライバシー」だの、さも誰の目から見ても正しい、と思える言葉が今の日本に蔓延るようになって日本が住みにくくなった、と思っています。なぜなら、「人権」という単語だけは当たり前に正しいものですが、それが使われる場面での「人権」は、明らかに別の目的、「我田引水」で使われているからです。日本のマスコミや社会活動家が唱える「人権」は、相手の為ではなく自分の為だから、です。

日本はその国民性で昔から「相手を思い遣る」ことで、誰も意識していなくても人権以上の理念を持ち、平和な生活をしていました。そこに馬鹿な教育者や活動家が些細なことで「人権」を振りかざして、毅然とした態度を示せない政治家が乗って、日本という国を破壊し始めています。

人権なんて、基本的人権だけで十分です。その上で、あとは自分が努力すればいいだけのこと。努力もしないで権利だけ主張するような奴まで福祉で面倒をみなくていいのでは、と思っています。そんなことしたら、真面目に頑張っている人たちへの逆差別になります。誰もが自分にとって都合の良い人権(権利)のみを主張して、もしもそれが全て叶えられたなら、もの凄く不公平な世の中になります。

今、なんでも「人権があ」と騒ぐ連中や、森元総理に「差別だ、女性蔑視だ」と濡れ衣を着せて辞任に追い込んだ連中が中国のジェノサイドに抗議した、などという話は聞きません。抗議しても(したなら)自分の利益にはならないからです。ジェンダーフリー信奉者も同じですね。

私個人は、何かにつけて「人権があ」と声を上げる奴、ジェンダーフリーに邁進する奴は一種の気違いで、正しい価値観を持ち合わせていない馬鹿、くらいにしか思っていません。悲しいかな、野党に限らず与党の政治家や法曹界にも多いですね。近い将来、過度な人権意識が日本という国を崩壊させます。

日本の風土や国民性に合わないものは、無理に取り入れないほうが良いでしょう。

posted by poohpapa at 04:59| Comment(1) | おすすめサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする