2021年04月12日

これは国民栄誉賞ものの快挙

松山英樹選手が(米ジョージア州オーガスタナショナルGC=7475ヤード、パー72)で開催されていたマスターズで、日本選手で初めて優勝した。コロナで疲弊している日本人に大きな希望を持たせてくれた、と言うか、元気をもらえた感じ。松山選手、おめでとう、そして、有り難う。

posted by poohpapa at 08:51| Comment(8) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 11

今回は、NPO法人「百人の会」のメルマガから、いつもの川内先生の記事のご紹介。先生の若き日の思い出話なので、同感、ということではないけど、昭和の頃の懐かしさが私の心の中にもこみ上げてくる。


川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)

89、懐かしき学生時代(拡散希望)

 前回は貧しい家の子にも芽の出るチャンスを・・・という主旨の投稿をしました。これに関わって、ちょっと恥ずかしいのですが私の生い立ちについて述べます。決して自分の苦学ぶりをひけらかすわけではありませんのでご容赦ください。

 地元の徳島東工業高校(現在の徳島科学技術高校)電子科の3年生であった昭和41年の2学期半ば、志すところがあって進路を変更、徳島大学工学部を受験しましたが、あえなく不合格になりました。波乱の人生の始まりです。

 家は稲作農家と零細な八百屋ですから、高校を卒業した若造の私に「来年こそ頑張れ」とただ飯を食わせてくれるほど甘くはありません。叔父に連れられ和歌山でブルドーザーの修理をしていましたが、「このままでは道が拓けない」と心機一転し、東京に出ました。有り難いことに東京は選り好みさえしなければ仕事はいくらでもありました。新聞販売店に住み込み、夜は皿洗いや出前持ちなどをしながら専門学校に通っていましたが、学費が追いつかず退学しました。

このままでは・・・と焦る気持ちから再び心機一転して大学進学を決意、アルバイトで学費を貯めながら猛勉強しました。幸いなことに高校時代に培った電気の知識が役立ち、ビルに住み込んで変電設備や冷暖房機器のメンテナンスの仕事をしました。一応技術職でしたから新聞配達より給料がよく、また勉強する時間も十分とれました。

怠惰な私でしたが、このときばかりはよく勉強しました。その努力が実り、無事中央大学理工学部数学科に入学できました。徳島の両親に学費の援助を頼んでみましたが案の定「家にはそんな余裕はない、金は出せん」とのことでした。ということで学費は親に頼りませんでした。

 学校に行ってみると同学年の者はみんな私より4つ歳下です。普通なら大学を卒業している年齢での入学でしたから同級生から見ればまるでオッサンです(教室の仲間からは「さん」づけで呼ばれていました)。ということで入学してからは昼間は大学、夜はビルの変電設備や冷暖房機器の保守管理の仕事をやっていました。

 こう言いますと随分暗い学生生活を送ったように思われるかも知れませんが、結構楽しい生活でした。最も楽しかったのは、友人、知人を集めて草野球チーム(貧乏学生の集まりだからチーム名は「ビンボーズ」)をつくり、江戸川グランドで試合をしたことです。農作業の手伝いなどで、まともにスポーツをさせてもらえなかった私にとってはこの上なく新鮮でした。

ところでこの当時、新聞配達や牛乳配達をしながら大学に通う苦学生はたくさんいました。しかしこの頃の大学は「よりよい学習環境を」との理由で校舎を都心から郊外に移転することが多くなりました。親の仕送りを受けている学生にとっては都心の喧噪よりも郊外の方がよいのかも知れませんが、郊外ではアルバイトをしながら大学に・・・というわけにはいきません。

このときばかりは「俺たちのような苦学生もいるんだぞ!」と怒鳴りたい気持ちでした。

今回は私事ばかりの投稿ですみませんでした・・・反省。


私の次男も、新聞奨学生として新聞配達をしながら二つの専門学校を出ていて、そのまま20年以上も新聞配達をしていたので、先生のご苦労は何となく解かりますね、その分、小さなことにも幸せを感じていたことでしょう。人間、一億円のヘソクリがあっても満足せず、幸せだと思えない人もいれば、財布を覗いて福沢諭吉が一人いてくれただけで喜べる人もいて、幸せの基準は人それぞれ。

私は、自分の子供たちには「些細な出来事で幸せを感じられる人」になってほしいと思います。それは私の子供たちへの願望の一つですが、そのほうがいつも幸せに包まれて生活していられるのですから。貧乏人の僻みでなく本当の話。それに、幸せはみんなで分かち合ったほうが大きくなります。美味しい食べ物も、独り占めして食べるより、皆で分け合ったほうが幸せなんです。

私の美味しいお菓子のバラ蒔き、相手のために、でなく、自分のためなんです。自己満足でかまいません。相手の笑顔を見て自分が満足できれば自分は幸せでいられるのですから。自分のことより相手のことを優先して、それで自分が幸せになれる・・・、私の両親から教えられたことでもあります。見返りなど求めません。苦労をして、それがしっかり身に着いて生きている人こそが最高の人格者と言えるでしょう。私の究極の目標です。お菓子のバラ蒔きくらいでは達成できないと解かっておりますが(滝汗

posted by poohpapa at 06:03| Comment(10) | おすすめサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする