高校時代の新聞室の後輩М君が、毎月、郷里の情報誌や、自らが大家(船長)を務めていて入居者あてに定期的に発行している「プライベート・フォレストだより」を私に送ってくれるのだが、それももう897号にもなっている。とにかく、マメである。もう半世紀以上の付き合いになるなあ。
一緒に送ってくれたフリーマガジンの「Hanto」(知多半島のこと)の記事に、新美南吉の短編児童文学のことが載っていて、それで「でんでんむしのかなしみ」という作品を知った。新見南吉は我が郷里が生んだ児童文学の第一人者で、どの小学校の国語の教科書にも載っている「ごんぎつね」の作者でもある。だからどう、ってことはないが、私の母校の先輩でもあり、もちろん、郷土の誇りでもある。
新美南吉は、他にも「手袋を買いに」や「おじいさんのランプ」などの作品がある。
「でんでんむしのかなしみ」は短い作品なので、全文を紹介したい。
「でんでんむしのかなしみ」
一匹のでんでん虫がありました。
ある日、そのでんでん虫は、大変なことに気がつきました。
「わたしは今までうっかりしていたけれど、わたしの背中の殻の中には悲しみがいっぱい詰まっているではないか」この悲しみはどうしたらよいのでしょう。
でんでん虫は、お友達のでんでん虫の所にやって行きました。
「わたしはもう、生きてはいられません」と、そのでんでん虫はお友達に言いました。
「何ですか」とお友達のでんでん虫は聞きました。
「わたしは何と言う不幸せなものでしょう。わたしの背中の殻の中には、悲しみがいっぱい詰まっているのです」と、はじめのでんでん虫が話しました。
すると、お友達のでんでん虫は言いました。「あなたばかりではありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」
それじゃ仕方ないと思って、はじめのでんでん虫は、別のお友達の所へ行きました。
するとそのお友達も言いました。「あなたばかりじゃありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」
そこで、はじめのでんでん虫は、また別のお友達の所へ行きました。
こうして、お友達を順々に訪ねて行きましたが、どのお友達も、同じことを言うのでありました。
とうとう、はじめのでんでん虫は気がつきました。
「悲しみは、誰でも持っているのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの悲しみをこらえて行かなきゃならない」そして、このでんでん虫はもう、嘆(なげ)くのをやめたのであります。
初めのでんでんむしが被害妄想だっただけだしアホでは?、と言えなくもないし、そういう奴は周りにいっぱいいる。そうなっている原因を突き詰めて考えることなく、「なんで私ばかりがこんな辛い思いをしなきゃならないのか・・・」と世間や他人のせいにして愚痴ってばかりいる奴が・・・。私の一番上の姉がまさにそうだった。この主人公のでんでんむしは気付いただけマシである。
30年ほど前、私が提案して、子供6人とお袋とで最初で最後の家族旅行をした時も、頼まれてもいないのに長兄が言い出して、男の兄弟4人で長姉の旅費を負担しただけでなく、5万ずつ出して20万を「生活費の足しに」と言って持たせた。近くに子供(成人)が4人もいるのだから、先ず自分の子供に支援を頼むべきなのだが、自分の子供には負担を掛けたくないのだ。それでいて、ご近所への土産をいっぱい買っていた。見栄っ張りで、あればあるだけ遣ってしまうくせに、会う度に生活の苦しさを兄弟に訴える・・・。
私でさえ、極力お土産を買わないようにしていたのに、馬鹿野郎!、である。
さて、今の時代、コロナでみんな大変な思いをしている。「なんで私ばかりこんな目に」と思い込んでいる奴がいたら、この「でんでんむしのかなしみ」を教えてやろう。「あんた、でんでんむし以下だよ」って。