旭川・中学生イジメ自殺、教頭が親に「加害者10人と被害者1人の未来どっちが大切か」市教委も揉み消しか
biz-journal.jp/2021.08.19 文=編集部
問題になっている 旭川市立北星中学校の中山岳教頭の言葉がこちら ↓
「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」
もう滅茶苦茶な論理で、護ろうとしているのは10人の加害生徒でなく自分の立場、だと解かる。
教頭が「10人の加害者」と言っているんだから、加害生徒が10人で、「いじめがあった」と認めていることになるし、過去には「いかがわしい動画」を送るよう強要されて、それが拡散されて、女子生徒が自殺しているのに、「悪ふざけの延長だった」と、いじめの存在を認めない・・・。論理が完全に破綻している。
よく言われることだが、加害生徒の親の顔が見たい。どんな職業に就いていることやら。
私が、自殺した女子生徒の親だったら、とても冷静ではいられず教頭をブン殴っていると思う。だいたいが、人数の問題ではない。「寄って集って一人の女子生徒を死に追いやった10人のクソ餓鬼の将来と、何の罪も無いのに死ぬしか選択肢がなくなってしまった女子生徒の将来」の重さ、比べるべきも無い。
もしも教頭に同世代の娘がいて被害者だったなら、そんなこと言っていられるのか、という話。「教育者として、あまりの想像力の欠如」に寒気を覚える。私の敬愛する恩師とはえらい違いである。
中学を卒業して54年、恩師と教え子の関係は今も続いていて、ご厚誼を頂いているが、お世話になった全部の先生とそういう関係でいるのか、と言えば、そんなことはない。中1と中2の担任だったその恩師だけ。なぜなら、先生は、優秀な生徒も、そうでない生徒も、グレている生徒も、同じ愛情をもって接してくれていたから。一人一人の生徒のことを親身に考えてくれていたのが伝わってきていたから。
私の中では、真に「先生」と呼べる(思える)のは、その恩師だけ、たった一人だけである。
この教頭、教え子からの年賀状、一枚も届いていないんじゃないかな。私は20歳頃、母校に恩師を訪ねて、職員室の真ん中で、大声でこう言い放ったことがある。「卒業した最初の年を除いて、卒業して2年以上経った生徒からの年賀状が一枚も届かないような教師は教師を辞めたほうがいい」、と。そうなっていたなら、生徒の心に何も遺せなかった、ということ。生徒たちの気質にもよるけど。
恩師は「オマエは口が悪いなあ」と呆れていて他の先生たちも笑っていたけど、真理だろう。最初の年は義理で年賀状がくることが有っても、生徒から慕われていなければ2年目からはこなくなるもの。長く教師をやっていても、卒業後2年以上経った生徒からの年賀状が一枚も届かない教師がほとんどかも。ただし、小学校の教員は別、年賀状など届かなくて当たり前。これは中学や高校の教師に言えること。
旭川の事件の場合、教育委員会も学校もグルになって「いじめは無かった」という結論にしてしまったら、10人の加害生徒は、ほとぼりが冷めたらまたいじめを繰り返すだろう。本人たちが「いじめていた」と認識していたとしても、学校も教育委員会も「無かったこと」にしてくれるのだから。
少年法と同じ。「加害者は未成年なので、更生の機会を・・・」と言うけど、本当に更生するのか、更生したとして日本の将来に役立つ人物になれるのか、甚だ疑わしい。被害者はその後の人生を奪われて、夢も希望も失くしているのに、全く公平さに欠ける。更生の機会など要らない、罰だけ与えればよい。
遺族が一番悔しいのは、その後の話し合いの中で、直接の加害生徒10人だけでなく市教委も学校(教師たち)も加害者だったと判ったことではないか。放置する、隠す、というのもいじめへの加担になるから。
この中学の教員の中で誰か一人くらい「しっかり調査して、学校として教師として取るべき責任があればちゃんと向き合いましょう」と言わないものかねえ・・・。誰か一人でも声を上げたなら「無かったこと」にはしにくい雰囲気になると思うんだけど・・・。全員が腐ってるわ、これ。
この教頭、ネットで相当に叩かれているけど、それを見て怖くなって自殺したなら、「10人の加害者の未来のほうが、1人の教員の命より大切ですよね」と言ってやればいい。自殺も辞職もしないだろうけど。