2021年10月14日

山水楼の件、正しくは・・・

一昨日、「伊勢丹で受けた心遣い」の記事で書いた広東料理の名店「山水楼」の件、私の聞き間違いと偶然が重なった誤りだった。火曜日に改めて伊勢丹の山水楼のブースに行き、店頭の掲示物を見たら、

広東料理
山水楼

日比谷・山水楼から山水楼龍淵へ

山水楼は大正十一年、日比谷に創業 中国料理が珍しかった時代に日本における広東料理の草分け的存在として、大正、昭和の食通の舌を満足させてきました。皇室の方々にもご贔屓頂き、昭和天皇在位五十周年、御成婚六十年の御祝宴を承りました。昭和初期、東京には15.16軒の有名な中国料理店がありました。茅場町の偕楽園、日比谷の陶々亭、虎ノ門の晩翠軒、芝浦目黒の稚叙園、赤坂の幸楽、浜町の濱のや、上野池之端の翠松園や雨月荘、高輪の緑風荘などです。しかし今日、惜しくも懐かしい名のほとんどが変転の波間にかくれてしまいひとり山水楼の名のみが今日に至っています。書家として名を成した創業者 宮田武義(遊訳山人)は数々の文人、財界人と交友があり、ノーベル賞作家 川端康成と共に小渕沢街に「龍淵」の碑の文字を揮毫いたしました。かくして「龍淵」ゆかりの縁から小渕沢町スパティオ五階に「山水楼、龍淵」が開店の運びとなりました。山水楼の一世紀に及ぶ歩みを多くの方々にご賞味頂いております。
  (原文のまま)

先日、山水楼のブースの販売員をしていたUさんが、「日比谷にあった山水楼が八ヶ岳に移転した」と言ったのを、私が「渋谷にあった」と聞き間違えて、偶然にも渋谷の代々木駅の駅前にも山水楼という店があって、そちらと話がごっちゃになってしまった。なので、ほぼバラキさんのコメントが正しかった。

それにしても、「日比谷」と「渋谷」を聞き違えるかねえ、ふつう・・・、歳は取りたくないなあ・・・。

で、「伊勢丹で受けた心遣い」の記事は(この記事で修正したので)修正せずそのままにしておこう。

ところで、火曜日の夜は、翌日が定休日なので私も安心して「にんにくを使った料理が食べられる」から我が家の「にんにくデー」になっていて、火曜日に山水楼で餃子を買ってきた。大ぶりで見るからに美味しそうだったから気になっていたので。で、食べてみたら絶品。「餃子の王将」の餃子を超えて、間違いなく「今まで食べた餃子の中で最高」だった。餃子に関して、過去の舌の記憶は塗り替えられた、ほんと。

またまた出たよ「今まで食べたも〇〇の中で最高」って言い方。でも本当なんだから仕方ない。

さすがに昭和天皇在位50周年、御成婚60年の祝宴の料理を任されるだけのことはある。経営者や料理人は替わっても、その味はしっかりと受け継がれているみたい。

そうそう、私がUさんと話をしていた時に、老婦人と娘さん(うちのと同世代、50歳くらいかな)が山水楼のショーケースを見て何やら相談していたが、立ち去ろうとしたので、私が声を掛けた。「この海老炒飯とエビマヨ、めちゃくちゃ美味しいですよ。先日買って食べて、あまりに美味しいからまた買いに来たくらいです」と言うと戻ってきて、お薦めの海老炒飯とエビマヨ、それに餃子もお買い上げ。こういうのは店員が言うより客が言ったほうが説得力があるもの。きっと夕食時に感動してくれたと思う。

次にまた山水楼が出店したら絶対に買うし、そうだ、住宅メーカーのМさんにも感想を訊いてみよう。

posted by poohpapa at 06:16| Comment(4) | グルメ・クッキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする