昨日は(とくにどうしてかという理由もなく)バタバタしていて、気が付けば一日の歩数も24000歩に達していて、夕方、店を閉めて帰宅した頃には腰が重くてヤバかった。そんな中で、凄く嬉しいこともあった。
私の(仕事でのお付き合いではない)知人である年配の女性が近々仕事を辞めて生活保護を受けることになったということで、「今まで、誰かからこんなによくして頂いたことはありませんでした」とお礼を言われた。母子家庭で、今まで真面目に生きてきて、本人の病気もあり、その結果の不本意ながらの生活保護だから、私も「良かったですね、ようやく体力的には少し楽ができますね」と声を掛けた。私も嬉しい。
よくして頂いた、も何も、私からすれば他の人と同じように接していただけ、気に掛けさせて頂いていただけ。お互い様なんだけど、そう仰って頂けて嬉しかった。もうお目に掛ることは無いかも知れないかもだけど、多摩地域にお住まいなのと、携帯番号は伺ったので、一段落ついたら食事にでもお誘いしようかな。
ところで、昨日、嬉しい言葉は男性の友人からも。ある嬉しい提案をして頂いて、その際に、「坂口さんの為なら何だってしますよ」との言葉も頂いた。そういう友人や仲間、良きお客様や家主さんによって自分は支えられている、と自覚しているが、「何だってする」・・・、疑う訳ではないが、本音を試したい気が・・・。
実は今、「できることなら〇したい奴」が3人いて、私の代わりに〇してくれるかどうか訊いてみよう (おい
そういうつもりで言ってくれたんじゃないのは解かっているけど、〇して尚且つムショに入ってくれるつもりがあるかどうか、である。3人のうちの2人は入居者の高齢婦人(クソババア)、一人は家主さんの親族。2人の高齢婦人の片方は、もしも死んだら子供たちも喜んでくれるのは確実、それくらいの最悪の人柄。もう一人は、とにかく身勝手で嘘つきの生活保護受給者。死んだ後も何かと迷惑を掛けられそうな存在。
まあね、「人生、押しなべてチャラ、いい人も嫌な奴もいてバランスが取れているもの」だとは思うけどね。