昨日の記事と同じ引用先から、
お金がある=幸せ?
コロナ禍による経済の低迷、その上に燃料費の高騰、物価の上昇、そして海外の銀行の破綻など…。“経済の不安のフルコース”と言わんばかりに、様々な出来事が世の中で起こっています。こんな時代だからこそ「お金と幸せ」について、現代人は今一度向き合う必要があるとぼくは感じているのです。
前提として、この社会で生きるためにお金は基本的に必要です。多いほど選択肢が増えて、生活を豊かに彩ることができます。経済的に安定した世の中であればそれで何も問題ありません。しかし、今のような激動の世の中において「お金がある=幸せ」というマインドで生きていると、いつも不安に駆られることになり、自分自身の幸福感が揺らいでしまうことにも繋がりかねませんよね。
どんな時も揺るがない「安定した幸せ」とは、どのようなマインドによって手に入るのでしょうか?それが分かる1 つの物語をご紹介します。
あるところに、大金持ちの一家があった。屋敷はもちろん、食事も、衣服も何もかも贅沢に満たされており、不自由のない生活を送っていた。しかし、その一家のひとり息子はいつも退屈で不幸そうな顔をしていた。
それを見かねた父親は、息子を「貧しい田舎の村」にホームステイさせる事にした。庶民の貧しい暮らしを息子に体感させる事で、自分が恵まれた境遇にいる事を気付かせる狙いがあったのだ。
息子は貧しい村で数日過ごしたのち、元気な顔で自分の家に帰って来た。
父親は尋ねた「どうだった?」
すると息子は明るく答えた「とっても良かったよ!」
父親は自分の狙った通りになったと思い「どんな気づきがあったんだい?」と、にっこり笑って息子に尋ねた。しかし、息子からは意外な言葉が返ってきたのだった。
「僕たちの家では、自分たちのためにお金を増やしているけど、あの村の人たちは、5 0年後の村のために木の苗を植えていたよ」
「僕たちの家は、お金が無かったら誰も助けてくれないけど、あの村の人たちには、いつでも助け合える友達がいたよ」
「僕たちの家族は、いつもお金を失う事に怯えているけど、あの村の人たちは、いつも目の前にある幸せに感謝していたよ」
「お父さん、僕たちの心がどんなに貧しいか、教えてくれてありがとう!」
息子から意外な言葉が返ってきた、のでなく、ある意味、父親の狙い通りではなかったのかな、と思う。少なくとも、父親の言いつけ通り、古時計をあちこち持って行って買い取り値を訊いてきた息子より賢い。
ウォッホン!、私も今、相当な量のお菓子をバラ撒いて老後のための友だち作りをしているけどね (^^♪
親友、とまではいかなくても、普通に友だちにはなってもらえそう。数にすれば、100人は超えている。まあ、それもね、お菓子を届けられるうちだけかも知れないけどね。友人でなく知人どまりかも知れないし。
私が高校生の時、次兄の結婚披露宴で弟としてスピーチをすることになって、(偉そうに)こう話した。
「うちは貧しいけれど、それは恥ずかしいことではないと思います。貧乏を恥じる気持ちが恥ずかしいと思うのです。貧乏が続いても頑張って生きていきましょう」、と話していて、それは披露宴には相応しくない内容だったかも知れないけど、どこかからの引用でなく私の本音。貧乏なりに「幸せな事」もあったしね♪
財産(資産)の量と幸福度は、時に反比例するような・・・。何をもって幸せと思うか、は人それぞれだし。