2024.07の帰省記のまとめ、手短かに。ん?、そうでもないか、私の「手短か」は、これくらいだけど。
20日の朝、「かいじ2号」で立川を発って郷里の半田市に向かい、お昼ごろ、そのまま同窓会の会場に。面影が残っている奴もいるし、どこかですれ違っても絶対に誰だか分からないであろう奴もいる・・・。これくらいの歳になると、電車やバスで優先席に安心して座れるくらい老けている奴もいれば、座るのに気が引ける(若く見られる)奴もいそう。優先席の前でなくても、吊革に掴まっていたなら席を譲られたりして。
私なんかは、まだ席を譲る側にいるよ。以前に、南武線だったかなあ、私が座っていて、後の駅から乗ってきたベビーカーのお母さんに手招きして席を代わろうとしたら、「あ、大丈夫です、直ぐに降りますから」と辞退されて、そのお母さんが数駅先で降りる際、わざわざ私の席の前までやってきて笑顔で丁寧にお礼を言ってくださったけど、その思い出だけで、これからも席を譲れそう。少子化対策に貢献するし (^^♪
高齢者や障害をお持ちの方、お腹の大きな女性に席を譲ったからと言って、結果的に必ずしも気分が良いとは限らなくて。たま〜にあるよね、「こんな相手なら席を譲らなきゃ良かったかな」と後悔することが。
とにかく、同窓会で55年前の仲間に会えて幸せだった。と言うより、浦島太郎状態だったなあ・・・。ほとんどの同級生とは、会うのもそれが最後だろう。高校時代は嫌なことがあった同級生も、私は憶えていても向こうはそんなことはすっかり忘れていて笑顔で話ができた。何もしなくても時が解決してくれる典型。
正直、出席してくださった92歳と93歳の二人の先生、その一方に私は嫌な思い出があるから私の方から寄っていって話をすることは無かったなあ・・・。先生も覚えてないかもね。高校1年の時、数学(α)の中間試験の答案を一人ずつ返される時、一番前の席の同級生が個々の点数を下から覗き見していて、私が自分の答案をひったくって取ったら、その先生から「なんだ、その態度は!?」と言われて、「すみません、渡辺君が下から覗いていたんで」と言い訳したら、「人に見られて恥ずかしいような点数を取るな」と叱られたっけ。言えば思い出すだろうけど、せっかく塞がった傷口を自分でこじ開けなくてもいいしね。
そりゃあね、先生の言葉のほうが正しいだろうけど、渡辺君にも注意してほしかったなあ、とは思うよね。
平均点より上だったし、数学は好きだったけど、以来、数学が嫌いになって、成績はダダ下がりだった。遠足のバスの中で生徒がフォークソングを歌っていたら「それが君たちが唄う歌かね」と言った教師ね。
同窓会の3時間はアッと言う間。乾杯の音頭をとらせてもらったし、まあ楽しかった。その後で二次会も開かれたみたいだけど、中学時代の恩師と先輩のFちゃんのお宅を訪問する予定だったので私は不参加。
大阪と倉敷で旧知の友人にも会え、新幹線運行休止というトラブルもあったけど、凄く印象に残る4日間。なんか、2週間くらい旅を続けているような、そんな錯覚さえ覚えたほど濃密で凄く幸せだったなあ・・・。
個人的には、もういつ死んでもいいや、と思えたほど。そうそう、帰京してから、同窓会の10人の幹事のうちで中心的な役割を担っていたS君から菓子折りが送られてきた。熨斗に「お礼」とあったけど、それは逆。「(劣等生の私が)きっと参加しにくいだろうな」と、いろいろ気を遣ってくれてたのだから、ほんと(爆
この4日間で思うこと、「世の中、いろんな人の思い遣りで成り立っている、それが人間社会」ということ。
皆のお陰でもの凄く幸せな4日間、なんだか「私の人生の集大成」みたいになって心から感謝している。