2024年08月02日

「それ」も含めてのスポーツ

パリオリンピックの様々な競技で誤審騒ぎが起きている。大袈裟な言い方だが、試合の進行や得点とか減点、判定に対して絶対的な権限を持つ審判そのものが競技の内容が解かっていないのでは、と思えるほど。選手が、帰国した後の人生に大きく影響が生じる勝敗(メダルの色)に拘るのは当然で、選手からの抗議が認められている種目ではai(ビデオ)判定を要求することもできるが、判定が覆ることは少ない。

毎年開催される世界選手権より4年に一度のオリンピックでの勝利のほうが価値があるから、オリンピックに照準を合わせて他の何もかも犠牲にして血の滲むような努力をして、皆の期待を担って母国から送り出されてきたのに、誤審(?)で敗退させられたなら死にたくなるだろうし、審判を頃したくなるだろうな。

もしも私が疑惑の判定で敗退したなら、帰国せずそのまま他の国の大使館に飛び込んで亡命するかも。金メダルを獲得して帰国したら高級外車が贈られるけど、敗退したら銃殺刑じゃないか、って国もあるし。

でもなあ、競技によっては正確さや公平さを図るための(試合進行中の)「ai(ビデオ)判定」が導入されたが、それって必要なんだろうか、と思ってしまう。時に、「審判が(コートやピッチにいる)7人目、12人目の選手ではなかろうか」とか、「何か政治的な意図を持っているのか」、と勘繰りたくなることもあるけど。

誤審でないけど、アテネ五輪でハンマー投げの室伏広治選手が1位の選手のドーピングが発覚して繰り上げで金メダルを獲得したことがあるけど、表彰台の一番高い所でメダルを掛けてもらったのでなく、帰国してから「アンタが繰り上げで金メダルになったよ」と言われてもなあ、シラケるだけ。目に余る誤審はともかくとして(故意でなく)間違いを犯すこともある人間が審判をするのはそれなりに意味があるのでは?。

私は、「それらも含めてスポーツ」なんだと思う。選手からすれば「疑惑の判定」で敗退させられたら堪らないだろうけど。それにしても、今回のパリ五輪はどういうワケか、「誤審っぽい判定」が多いよなあ・・・。

今日もモヤモヤしながらワイドショーを見ているかも。ま、それも「スポーツ観戦」なんだろう(意味不明💧

posted by poohpapa at 06:38| Comment(4) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする