2005年12月11日

また「責任能力」の問題かよ!

京都府宇治市の学習塾で、10日、小学校6年、堀本紗也乃さん(12)が殺害された事件で、逮捕されたアルバイト講師萩野裕容疑者(同志社大4年;23)が警察の調べに対して、「精神関係の病気で通院中」と話しているとか。

最初に事件の様子がニュースで流れた時、「ナンか変(犯人の行動が妙に子供っぽい)」と思っていたが、やはりそういうことか。だとすると、例によって「責任能力」云々という話になってしまうのか。

いつもいつも言っているが、

容疑者(犯人)に責任能力を問えるかどうか、など、犯した罪と何の関係も無い。気違いであろうと酔っ払いであろうと麻薬常習中であろうと、やったことが犯罪なら罪は罪として問われなければならない、と思う。一般の健常者と同じように裁かれるべきではないか。

と言うのも、本人に「責任(判断)能力」が無い場合の本人の資産管理や意思判断については後見人や保護者が付いて代理で行われる訳だし、「単に権利を受けるだけ」(モノを貰ったりすること等、本人の不利益にならないことが明白なケース)の行為なら判断力が無い本人が受けたとしても法的には有効、とされ手厚く保護されている。「死に体」の会社なら破産管財人が付いて経営者に代わって整理する。本人に能力が無ければ然るべき代理人(弁護士)を立てて裁判をすれば良い。そのうえで公正に裁判をし、一般人と同じ法の審判を受け、その後、それぞれの病気などを考慮して医療刑務所に入れるとかすれば良い。でなければ遺族は浮かばれない。最近は逮捕された容疑者が精神異常を装うケースも多くなっているように感じる。
もう、犯罪者の責任能力を考慮するのは止めにしないか。


一方、光市での母子殺害でも、犯人の年齢や更生の可能性を考慮して「無期懲役」の判決が出ているが、凶悪な犯罪者の人権や更生の可能性と、殺された母娘の人権、更には遺族の人権を考えたなら、あまりにバランスに欠けた判決と言わざるを得ない。この事件の無期懲役の判決直後、弁護士は小さくガッツポーズをとったという。「馬鹿野郎!弁護士バッチを外せ!」と言いたい。もっと言うならこの弁護士に「オマエの家族を殺してやろか!」くらい言ってやりたい思いである。さすがに、この事件では最高裁は来年3月14日に弁論を開くことを決めているが、軽すぎる量刑は司法不信を招くことにもなりかねない。元々、刑罰というのは、犯罪者の自由や権利を制約することで罪を償わせる、ということではないのか。犯罪者の人権を考慮するなら刑罰にならない。犯罪者の人権は、公正な裁判を受ける権利だけで充分であろう。

光市の事件で、犯人は充分反省している、とは思えない。15年くらいで出所して、もし再犯が起きてしまった時、この弁護士は「それはそれ」と言うのだろうか。一人の犯罪者が更生する可能性と、無関係な市民が(事実を知らされないで)危険に晒されることになる可能性とを天秤にかけたなら、どちらが重要か。私は、犯罪者は必ず再犯を犯す、と言っているのではなく可能性を考えているのである。

繰り返すが、最近は犯した罪の大きさに比べて求刑や量刑があまりに軽すぎるように思う。二人殺して死刑にならないなら、私だって、いや誰だって「殺してしまいたい」人間の一人や2人いるものだろう。殺した後で「気違い」を装うことくらい知能犯なら容易いことだ。

それにしても、日本の法曹界は病んでいる、と言わざるを得ない。





posted by poohpapa at 08:31| ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする