2006年02月07日

朝一番で親友から届いたメールから

今日の真夜中の2時42分に、ブログ仲間でもある親友のS氏から届いたメールで、いろいろ考えました。事前承諾は取っていませんが、まずトラブルになることは有り得ませんので、主旨と関係ない部分を除き全文をそのまま掲載させて頂きます。何故かと言うと・・・、

実は、私も全く同じことを考えていて、近いうちに記事にするつもりで下書きも出来ていました。ところが、S氏からのメールの文章の方が解かりやすく、しかも逸話もあってキレイに整理されていますので、私の下書きをボツにして、引用させて頂きます。

テーマは「東横イン問題」ですが、この件は、一歩間違えれば誤解が生まれるし、正論を述べていたとしてもちゃんと理解されずにバッシングを受ける可能性が高い、と思われます。

ここ数ヶ月、当サイトにはコメント欄を設けていませんので自由に意見を書き込んで頂くことは出来ませんが、それぞれにお考え頂けたなら幸いです。



引用開始

さて、話はころころ変わって東横イン。
あの社長、いろいろ批判もあるようですが、
私は建前だけで腹の中で何かんがえているんだか訳のわかんない他の大手企業の社長たちよりよっぽど正直そうで好感が持てました。
もちろん、触れてはならないところに触れたというのは想定外のミスだったとは思いますけど(^_^;)

というのも車椅子って大声でいえないけど、ホントに困りもんなんです。前々から思ってました。

彼らは正面から人が歩いてきても、ほとんど自分からよけようとしません。私も何度も轢かれそうになってます(とろいから)。たぶん、轢いてもたいした謝罪もしないでしょう。

それで以前遭遇したのが王子駅での光景。

JR王子駅は下り用のエスカレーターを車椅子の上下用に特殊につくってあって、車椅子の乗客が来た場合、他の客の乗降をストップさせて、その間、車椅子が独占します。
こういう対応、基本的に悪いこととは思いません。
ふつうに歩ける人に対して、やはりハンデがあるわけですから、せめて健常者と同列になるよう配慮は必要だと思います。

でも、poohpapaさんもおっしゃるとおり、ものには程度ってものがあります。

車椅子がのうのうとエスカレーターを独占している間、白い杖のおじさんに階段をおろおろ降りていかせるのはいかがなものかと!!

下りのエスカレーターが全部閉鎖されている間も電車が到着すれば階段には一斉に降車客が集中します。
一部階段を昇ってくる乗客もいますから、ただでさえエスカレーターで幅を取られ狭くなった階段はかなりの混雑となります。

そんなところに足腰の弱くなったおじいちゃんやおばあちゃんが降りていくのは日常茶飯事で、いたたまれなくなってゆっくり降りるお年寄りの後ろをわざとゆっくり降りていったこともあります。
でも、目の不自由な人をそのままほっとくってのはどうなんでしょう?
どうしようもないものなのでしょうか。

これでは同列というより、同列以上ですし、明らかに少数のために多数が迷惑を被っています。


今回の東横インの報道で、全国脊髄損傷者連合会の方がインタビューに出ていましたが、あれは圧力団体と化してますね。
おそらく視聴覚障害の団体より強いのではないでしょうか。
もはや構図は、
 障害者 対 健常者
ではなく、
 車椅子 対 他の障害者
になっているようにも思えます。

先日訪れた法隆寺はどこもかしこもバリアフリー。
門を跨いで入るのが「結界」という感じで良かったのですが、いまとなってはあの感覚は望むべくもありません。

もの言う人びとだけが得をし、もの言わぬ人びとがどんどん損をする。世の中、特に日本はそうなって来ています。


使う側としては東横インはとてもいいホテルです。
狭い部屋を有効に使えるような工夫が随所にありますし(ベッドの下に大きな荷物が置けるようになっているなど)、ウォシュレットだし、自販機は街中より安いし、ネット予約だといろんなグッズがもらえるし、朝食はただだし、オープン間もない店舗は激安だし。フロントの方も、掃除の方も、みないい感じの人たちです。

今回の事件で社長の進退が取りざたされているようですが、少なくとも現在の東横インはあの社長でもっているようなものなので、もし社長が代わって、サービスが悪くなったら、私らも東横インに泊まるのはやめるかもしれません。
恨むよ、車椅子・・・(T_T)



引用ここまで



先日、他の方のサイトを拝見していて、「障害者の割合は日本では36人に一人」とありました。「街を歩いていてもそれ程には見かけないから、(障害者への対応が不充分なので)障害者の方は街に出られないでいるのでは」、というようなご意見でした。ある意味、そうかも知れません。ただ、どういう算出方法かは判りませんが、36人に一人、という数字は違うのでは、と思っています。足腰が弱っている高齢者も透析患者さんも(出歩くのには不自由の無い)難病指定の人も、全部含めて、の数字だと思われます。それをもって、「障害者はこんなにいるのに行政や企業の対策が不充分」と決め付けるワケにはいかないでしょう。

充分か不充分か、と言えば不充分でしょうが、私は「効率」というものを考えます。例えば、税金で全ての施設や道路を障害者の方、車椅子の方が健常者と同じように不自由なく通行利用できるようにすることは、まず不可能でしょう。役所や公民館、病院などの公共施設や主要な街路は概ね配慮が為されていなければなりませんが、民間企業の施設等にまで義務付ける、というのはどんなものでしょう。それは、補助金の有無とは別問題です。

設備で配慮させなくとも、人が手を貸すことで補えるケースも多々あると思います。重要なのは設備ではなく教育と啓蒙です

私もその昔、東京駅で、車椅子の方が階段の下にいて駅員さんが一人付添ってキョロキョロ協力者を探しているようだったのでお手伝いしたことがあります。その時、多くの方は見て見ぬフリをしていましたね。多額の費用を掛けて各ホームにエレベーターを付けなくても、人間でできることがあります。もっとも、車椅子の方は、「頼みにくいし怖いからエレベーターの方がいい」と仰るでしょうが、それは我慢して頂きたいもの、と思います。駅は公共施設ではありますが、都心部では非常に多くの人が利用する施設でもあります。いちいちこんな断り書きを入れるのは嫌なものですが、「弱者を切り捨てろ」と言っているのではありません。少数に配慮することで多数が不便を強いられることもあります。平等と公平差別と区別の違い、という観点からも改めて考える必要がある、と強く考えます。

日本は、何かに懲りたり批判を受けると、極端に(必要以上に)考え方を反対方向に振るクセがあるようです。「第二次大戦は間違いだった」となると自虐教育が始まり、「男尊女卑はけしからん」となるとジェンダーフリー思想が台頭します。政府や教育の中枢にまで浸透して極端な論理を展開します。障害者向けの対策も然り、です。今、巷では一般の人(健常者、と表現します)より厚く保護されています。そうなると、日本を支えている健常者の仕事の「効率」にも影響を及ぼします。

同和問題も同じようなことが言えますね。差別を受けていた昔の弱者が、今や役所の仕事や予算にまで影響を与える強者になっています。これは弱者を「無関係な団体」が支援したり利用(悪用)しているから、でもありますが。

私は「障害者は家にいろ!」と言っているのでもありません。障害者の方も、逆に、「健常者と共存する為の努力や気持ちの持ちよう」ということについて考えて頂く必要があるのでは、と思うのです。

で、ここが難しいのですが、車椅子の人、障害者の人が、何処に行っても健常者と全く変わりなく街で生活できるとしたら、ある意味、相当に不公平な社会になってしまっている、と思われます。


と、ここまで書いていたら今、高校の先輩Aさんから電話があって、「今は国の指導で、障害者の『害』は、平仮名で書いて『障がい者』にせなかんだよ。平仮名に変えたって意味は変わらんのになあ、おかしな話だわ」とのこと。気の使い過ぎですね、同感です。



話を巻き戻して、例の東横イン、社会的には許されないことかとは思いますが、私は同情的なんです。謝罪会見で、腹の中で舌を出していたとしても、それでも私は「東横イン」に対し同情を禁じえません。

今は、マスコミも「東横イン」批判一辺倒ですが、誰か一人くらい「別の見方もあるのでは」と言わないものでしょうか。おそらく、そう言ったなら干されるんでしょうね。それも差別なんですけどね^_^;
posted by poohpapa at 09:04| ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする