二人いて、どちらも男性。一人は70代半ばの老人、もう一人が私とほぼ同世代か数年上か、くらいの年恰好。
老人のほうは、立ったままお皿を持って駅のコンコースの雑踏の中をうろちょろして通行人に「ここにカネを入れてくれ」とばかりに皿を差し出している。私は、いつも避けて通行している(冷酷

もう一人の若いほうの男は、高島屋から伊勢丹の横を通って駅までつながっている歩道橋のクランクになったコーナーで蹲っている。
トレーナーの帽子を深く被り、俯いて膝を抱えて丸まって座っているから顔が分からない時もある。目の前にアルマイトの皿を置いていて自分は動かない。見るからに寒々としている。私も、であるが、通行人がおカネを入れるところを見たことが無い。
ふだん、どこで寝起きしているか不明だが、物乞いの世界にも元締めなどがいて多くの乞食を束ね、自身は豪邸に暮らしているケースもあると聞く。まあ、この二人はフリーなんだろうが。
若いほうの物乞いが「今日はこれでお仕舞い」と立ち上がり家路に着く姿を見てみたいと思う。じっと動かない姿勢からどうやって一日の仕事を終える(?)のか、どこに帰るのか、すごく興味があるから。いつも、こっそり後をつけて行きたい衝動に駆られている。
ヨーロッパに行くと、彫刻の格好をして顔も真っ白に塗って、ピクリとも動かない姿勢と表情で立っている大道芸があって、そちらは芸術の一種と言える。どうせ動かないなら、ただの物乞いをするよりそのほうがおカネが集まるだろうし、哀れさや惨めさは無いものだろう。
老人のほうはともかく、(傍目には判らない障害者もいるから一概には言えないが)若いほうは見かけは五体満足そうなので、職を選り好みしなければまだ働くことも可能と思われる。正当な理由があるなら生活保護の申請をすれば良さそうなもので、誰も助言しないものだろうか。気にはなるが、私がお節介を焼く話ではないし。
障害者であったり、そこそこ高齢であっても、意欲があれば「全く職が無い」ということはないと思う。うちの近所の食堂でも70歳くらいの高齢男性が明るく元気に皿洗いをしているのを見ているし。
厳しい言い方だが、人生の最後になって自らの不幸を晒して同情をかい、人様の善意にすがって生き延びるような生き方はしたくない。
今となっては住民票も無い、とか何らかの事情はあるのだろうが、今まで社会を背負ってきた一員なんだろうから、堂々と福祉の世話になる、という選択肢もあってよかったのでは、と思えてならない。
まったく持ってその通りです
これまで高い税金を一生懸命払って、社会を支えてきた立場にいたのは事実です
税金を払うと言うことは、社会的な弱者を間接的にですが支えてきたんですよ
何かの理由で自分が支えられる立場になったとしても、気持ち良く受けて欲しいものです
こちらとしても気持良く勧めたいです
年金だってそうです
現役世代が支える…私の分は今自分の親が貰っていると思えば、文句を言う気にはなりませんよ
まぁ、自分が貰えるかは怪しいので、それなりの準備はしていますが…
例の会議で、1.7兆円の無駄が出たと言います
それが福祉に回されたとしたら…
そうなんですよ、福祉の世話になるということを潔しとしない人とか、恥ずかしいと思う人がいますが、世の中、そんなのは順送りです。
もちろん不正受給は論外ですが、正当な理由があるなら堂々と申請したほうがいいですね。
<<例の会議で、1.7兆円の無駄が出たと言います
それが福祉に回されたとしたら…
残念ながら、大半は「別の無駄」に使われることになると思いますね。でも、(仕分け作業は)やらないよりやったほうがいい、そういうものではあるでしょう。たとえ2割でも1割でも、真っ当に使われることになるなら、やる意義はあると思います。
まだ最初なので、互いに準備不足だと思いますが、回を重ねるにしたがって効率よくなっていくことでしょう・・・、って、鳩山さん、「次は無い」って言ってるんでしたね。勿体ない(^^ゞ
ところで私は、この同世代の男性の素性がとても気になっています。どうして物乞いにまでなってしまったものか。ず〜っと独身だったということではないとするなら、家族とはどうなっているのか・・・。
人生の最後が寂しいのは切ないものですね。
あ、年寄りのほうは・・・、何とも思いません。目の前に皿を出して図々しく催促するような奴、どうなってもかまいません^_^;