先日、駅前の交差点で、10年ほど前に部屋探しで来店したことがあるOさんにバッタリ会った。
Oさんは常に電動カートに乗っていて、たぶん小児マヒが原因であろうが、非常に重い身障者で、言葉も不自由で、一言ずつ、でなく、ほとんど一文字ずつしか発することができない。会話は相当に時間が掛かる。
例えば、「予算はいくらですか?」と訊くと、
「あぁ・・・ごぉ・・・ま・・・んーーー」と、語尾は唸り声のようになる。私も時間を掛けてゆっくり話しかけていたが、こちらの言っていることは普通の速さで話しても聞き取りできていたかも知れない。
と言うより、話していて、Oさんは障害さえ無ければ本来はとても聡明で快活な人、というのがよく解かった。不自由な言葉の中に、不動産業者に対する配慮が感じられたからで、自分の現状を受け入れて、そのうえで真剣に生きようとしているのが伝わってくるのだ。
Oさんと同じような障害をお持ちの方は街でよく見かけるが、車椅子でぶつかってきたり、信号待ちをしていると後ろからグイグイ押したり、なんてことはけっこうある。Oさんにはそれがない。街で見かけると、いつも一般の方の邪魔にならないようコース取りしている。
で、その時はOさんのような重度の身障者を受け入れてくれるアパートを見つけられなくて、当社では紹介することが出来なかった。
いつもはボランティアの付添い人が後ろについているが、先日は一人だけの様子で、ちょうど信号待ちになったので声を掛けた。
「Oさん、こんにちは」
Oさんは、ゆっくり私を見上げると、
「あ・・・、あぁ・・・???」と不思議そうな顔をする。おそらく、街で自分の名前を呼んで声を掛けられることなど無いのだろう。
私が、Oさんの顔の高さまで屈んで、「10年くらい前に、うちのお店に寄って頂いたことがあるんですよ。不動産屋です」と言うと、分かったようで、「あぁ、あぁ・・・、た・・・か・・・ま・・・つ・・・ちょ・・・う・・・のぉ・・・」と言って笑顔を返してくれた。
「今日はお一人ですか?」と訊くと、「しぃ・・・ごぉ・・・と・・・のぉ・・・かぁ・・・え・・・りぃ」とのこと。
驚いた。
収入が目的ではなく社会に参加することが目的、と解かってはいるが、五体満足な体を持ちながら働こうともせず、安易に生活保護に走る人が多い世の中で、Oさんは懸命に生きている・・・。Oさんも福祉のお世話にはなっているのだろうが、内容はまるで違う。
信号が青になったので、ひとまずそこでお別れした。
途中、Oさんの電動カートが私を追い越していく時、後ろを振り返るような感じで私に会釈してくれた。私にはそう思えたし、たぶん間違ってはいないと思う。
情けないことに、私は昨日契約したお客様の顔も名前も思い出せないことがよくあるが、Oさんの名前は10年経った今も忘れていない。
上から目線の言い方になってしまうが、社会の何処かに「自分の名前を覚えていてくれる人(自分という存在を知っている人)がいる」ということが、Oさんにとって何かの励みになってくれたなら嬉しい。
2010年07月18日
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