2006年08月09日

「ごんぎつね」のその後

先日記事にした「ごんぎつね」、私は何度読んでも涙が溢れてしまうのですが、ラストシーンで「ごんが兵十に撃たれて死んでしまうのが残酷すぎる」とお考えの方も多いようです。気持ちとしてはとてもよく解かります。確かに悲しすぎますよね。

私も「ごんぎつね」がああいう形で結末を迎えるのは辛くてなりません。なので以前から自分なりに「兵十もごんも救われるような続編を書きたい」と願っていました。ただし残念ながら私一人で作品に仕上げる自信も能力もありません。
そこで、あるブロガーさんに共同執筆をお願いしました。

それは・・・、「◇やんちゃ姫通信◇」のyumichさんです。

yumichさんとは、過去に何度かコメントの遣り取りをさせて頂いていますが、いきなり7月26日に「◇やんちゃ姫通信◇」のコメント欄から、「8月9日(旅行出発日)の朝にアップできたら、と思っています」という非常識で滅茶苦茶なお願いをしたにも拘らず、快諾して頂きましたので、先ず私の構想をメールで送信し、以降は毎日、互いにメールにて加筆修正を重ねていきました。

yumichさんのアイデアと文章により、私の原案には決定的に欠けていた「情景描写や風情」が加わり、話に厚みも出てきました。

ちなみに、私は、もし
シナリオを共同執筆するならこの方に、
中国問題を共同執筆するならこの方に、
人間心理を共同執筆するならこの方に、
ポルノ小説を共同執筆するならこの方に(オイオイ^_^;)、
と、お願いするお相手を勝手に決めておりまして、
童話なら絶対yumichさん、だったのです。
yumichさん以外の方には、きっとキッパリ断られるでしょうけど(爆)


何より嬉しいのは、「ほぼ満足いく作品に仕上がった」そのことより、yumichさんが快く受けてくださったことと、「(yumichさんにお願いした)私の目に狂いがなかった」と思えたことですね。

そうは言っても、突貫工事でもありましたので、しばらくしてから更に(一緒に)修正を加えることもあるかとは思います。

もちろん「ごんぎつね」は完成度の高い作品であって、私にとっては「心の宝物」でもありますが、初めて読んだ幼い日から「ラストの重さに耐え切れない思い」というものを今日まで延々引き摺っておりました。郷里の先輩の功績を汚すようなことになってしまったなら不本意ですが、心中お察し頂けたら幸いです。

そして、私の真意はともかく、当然に「そういうのは故人に対する冒涜」との批判もおありかと承知しています。

私のサイトでは現在コメントもトラバも受けてはいませんが、この件の責任は全て私に帰属しますことも申し添えます。



※「ごんぎつね」は本日18時55分からTBS系列で「まんが日本昔ばなし夏休みスペシャル」にて放送されます。予告を観る限り、原作からは少し離れているようですが、予約録画して出かけます。

で、ご興味がおありでしたら、下記からお読みくださいm(_)m





 「続 ごんぎつね

 いたずら子ぎつねのごんのお話「ごんぎつね」をごぞんじですか?
お百姓(ひゃくしょう)の兵十は、毎日くりをとどけに来てくれていたごんを、そうとは知らずにひなわじゅうでうってしまいました。このお話はそこからはじまります。


 たまたま兵十のうちのそばをとおりかかった加助は、じゅうせいを聞いて、おどろいて兵十のうちにかけ込みました。兵十は戸口でぼうっと立っています。足元のひなわじゅうからはまだ、あおじろいけむりが上がっていました。

 ぐったりとしたごんと、土間にかためて置いてあるくりを見た加助は、つっ立ったままの兵十にいいました。
「おお、いたずらぎつねめ、くりをぬすみにはいったんか。おまい、やっとしとめたんだな。」
兵十は、うなだれたまま首をよこにふりました。
「加助よ、じつはな、いままで魚やくりを毎日とどけてくれてたのは、このごんだったよ。おれはなあ、そうとは知らずに、ごんをうっちまった・・・」
兵十は、ごんをうったときの話を加助にくわしくきかせました。
「な、なんとなあ・・・、いたずらしよっても、ちったあ悪いと思ってたんか。かわいそうになあ。だがなあ兵十、おまいがごんをうったのはしかたあるめえ。なら、よおく弔ってやらなきゃなあ・・・」
と、腰に下げた手ぬぐいをはずし、ごんの体をていねいにふいてやりました。そしてごんを抱きかかえて、押入から出した兵十の古いふとんに、ごんをそーっと寝かせ、まくらもとにお線香を立てて火をつけました。

 加助と兵十はあとはことばもなく、朝までごんのそばですごしました。
兵十のうちからは、おっかあのちいさなおぶつだんの線香と、ごんのまくらもとの線香のけむりが、ふたつの白いすじになって、外へながれていきました。

 三日三晩ごんのまくらもとでお線香をたやさないでいた兵十ですが、加助のすすめでごんのお墓をつくって入れてやることにしました。

 ごんのお墓は、鎮守(ちんじゅ)さまにつづく階段のてまえの道ばたの草むらのなかで、兵十の田んぼや畑や、兵十がうなぎやきすをとっていた小川を見おろす、ちょっと小高い丘の上です。
兵十は知りませんでしたが、そこは、ごんが住んでいた穴ぐらのすぐそばでした。
腰の高さにまでしげっている草を刈り、ごんのなきがらを埋めてまるい石をふたつ積み、小さな板きれの墓ひょうをたててやりました。
そうして兵十はお線香に火をつけてずいぶんとながい時間手をあわせました。

 さて、兵十は、それからというもの雨の日も風の日も雪の日も、どんなに疲れていても一日も休まずごんのお墓にまいり、畑でとれた野菜やいもをおそなえしました。
ふしぎなことに、つぎの朝、ごんの墓に行ってみると、おそなえものは全部なくなっています。
「ごんよ、たんと食えよ。こんどはおまいの好きなうなぎもとってきてやるよ。」
兵十はふしぎとも思わず、毎日ごんのために野菜や魚をおそなえするのでした。
加助は、毎日おそなえものがすっかりなくなっているのをみていて
「こりゃあ、きつねどもが巣にもち去ってるにちがいないよ。一匹二匹のしわざじゃあんめえ。ごんの仲間かもしれん」と、ひそかに思っていたのですが・・・

 ごんはもういないはずなのに、あいかわらず村ではきつねのいたずらが続きました。兵十の畑でもいもを掘りちらかされたり、なすやキュウリをもぎ取られたり、田んぼの稲をふみつけられたり、と、まるでごんがまだ近くにいるようです。
 ある日、兵十とようすを見にきた加助は、「きつねどものいたずらがつづくようならワナをしかけてとっちめねばならん・・・」といいそうになりましたが、兵十の顔をのぞきこんでやめました。
兵十はだまって荒らされた作物をかたづけ、また種をまき、たおれた稲をおこし、そうしてのこったわずかな作物をごんのお墓に持っておまいりするのでした。

 そうして1年、2年とすぎてゆきました。
3年目の夏、その年はいつもの年よりとても暑く、つゆの時期になっても雨がぜんぜん降りませんでした。なん日もなん日も日照りがつづいて、兵十の田んぼも畑も、すっかりかわいてしまいました。
田んぼの稲もしおれて大きくならず、植えたばかりの野菜の苗もぐったりとたおれるありさまです。お米や野菜がとれなければ、兵十たちはくらしていけません。

 兵十の村の近くにある中山さまのお城の庭には、どんなに日照りがつづいても涸れることのない泉があって、お殿さまは村人たちに、泉から水をとることをゆるしました。
兵十も毎日、お城から田んぼまでのほこりっぽい道を行ったりきたり、たる桶でなんばいも水をはこびましたが、かわいた田んぼはわたのように水をすいこんでしまってキリがありません。そんなつらいしごとが何日も続いたので、兵十は疲れきって、ついに倒れてしまいました。

 何日か田んぼに兵十の姿が見えないので、加助が心配して兵十のうちにやってきました。寝こんでいる兵十を見ると、
「兵十、無理したらあかん。あしたからおれが代わりに水をはこんでやる。ごんの墓にお線香もあげといてやるから、おまいはゆっくり休んでたらええ。」
「加助よお、世話かけてしまってすまんなあ・・・たのみついでで悪いが、ごんの墓にそこのいもをそなえてやってくれや。ごんがおなかをすかせているだろうから・・・」

 加助はかえりにごんの墓にたちより、線香をあげて兵十のいもをそなえてやりました。
「ごんよ、おまいはしあわせだがや・・・日でりつづきでみんな食うのにこまるほどなのに、兵十はそれでもおまいの墓にはおそなえものをかかさんもんなあ。食うや食わずで水をくむもんで、兵十は倒れてしまったよ。だから今日はおれが代わりだ」
そういいながら加助は手をあわせました。

 そのとき、近くでざざざざっ!と草をわける音がしました。おどろいた加助はたちあがってあたりを見まわしましたが何もいません。
「気のせいか・・・、それとも、ごんでも立ちぎきしよったのか・・・、まさか、な・・・」
月のあかるい夜で、あたりには虫の声がみちていました。

 さて、よく朝、加助がやくそくどおり兵十の田んぼに行ってみると・・・、

 なんと、兵十の田んぼにはなみなみと水がはられているではありませんか。
「こりゃあたまげた!だれがこんなことしたもんだか・・・とてもひとりやふたりじゃ、できめえによお・・・」
加助はおおいそぎで兵十の家に行き、見たままを兵十に聞かせました。
「兵十よお、これはやっぱり神様がおまえを助けてくれたにちがいない。でなきゃあ一晩じゃとても無理ってもんだ・・・」
床にふせっていた兵十でしたが、おどろいて、加助に助けられながら田んぼまで見にいきました。
兵十の田んぼにはられた水はお日さまの光をうけて、きらきらと笑っているように見えました。
「おれは夢でも見ているようだ。加助、おまいのいうとおり、これは神様のお助けかもしれんなあ・・・」

 ちょうど満月だったその晩おそく、兵十が、外になにかいるようなけはいを感じて目をさますと、障子にくっきりとなにかの影がうつっています。ふっさりしたしっぽ、さんかくの耳、とがった小さな鼻づら・・・そしてちいさなその影は、手にもっていたたる桶を、ことん、と横におきました。
「は・・・! もしや・・・、ごん、おまいか、おまいが助けてくれたのか!?」

兵十があわてて起き上がって障子をあけると、そこにはごんの姿はありませんでした。
あしもとを見ると、兵十のしめったたる桶がおかれ、桶のなかには木いちごやくわの実があふれるほどに入っていました。
posted by poohpapa at 03:58| Comment(10) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
PoohPapaさま
Yumichさま
皆々さま

こんにちは。

改めて拝見して、涙がとまりませんでした。。。

ご無理を申してしまい、またコメント欄を新たに設けてくださり、本当に・・心よりただただ感謝御礼申し上げます。誰もが望む温かな心・・・
お日さまの光をうけてきらきらと笑っているよう・・・私も、この‘続ごんぎつね”をご覧になっている大勢の皆さんも、皆(あ〜、よかった!!ごんちゃん、兵十、お友達の加助さんも・・皆、本当によかった!!)
反省、思いやりの心を互いに持ったごんちゃんと兵十。そのこころが神様に通じ、ごんちゃんは‘神様のお使い”となって、大切な田んぼを豊かにそしてまた豊かにと・・・潤したていったのですね・・その豊かな田んぼの水は、ごんちゃんと兵十の‘互いを思いやる”‘心のなみだ”

お日さまもキラキラと笑って・・
☆輝いています・・!☆
Posted by だっちゃんの母 at 2011年01月23日 14:47
だっちゃんの母さん、おはようございます

ご丁寧に有り難うございます。だっちゃんの母さんからのコメントで、久しぶりに読み直してみましたが、自分で制作に関与していながら、いつ読んでも涙が出てきます。不思議なものですね。

たぶん、今の世の中には「自分だけ得すればいい」「自分だけ損しなければいい」という人が溢れていて、政治家や財界人からして自分のことしか考えていないので、動物でさえ恩返しをするような温かい話に飢えている、ということかも知れませんね。

お読み頂き、そして心温まる感想を寄せて頂きまして、私のほうこそ感謝しております。本当に有り難うございます。
Posted by poohpapa at 2011年01月24日 07:13

‘続ごんぎつね”のすばらしいところは、細やかな感情、動き、その姿、仕草です。

ごんをそーっと寝かせ
おっかあとごんのお線香のけむりがふたつの白いすじになって・・ごんちゃんはおっかあにやさしく抱かれているようです。。。

加助さんのことばのひとつひとつが身に沁みます。兵十のつらい気持ちを代弁してくれます。
(これは読んでいる人々の気持ちでもあります)

ごんちゃんも兵十もいっしょうけんめいさ、ひたむきさは同じ。優しい心の持ち主です。

(少しでも・・・)という思いの大切さ

溢れる愛情が豊かに流れ、いっしょうけんめい運んだ桶も潤い、そこにはあふれるほどの「実」
が・・・^^
Posted by だっちゃんの母 at 2011年01月24日 18:15
だっちゃんの母さん、おはようございます

過分なお褒めの言葉を有り難うございます。たいへん恐縮です。

「ごんぎつね」の作者である新美南吉は、私の高校の先輩、いえ大先輩であります。田舎の高校ゆえ、あまり有名人は輩出しておりませんが、それでも経団連の会長だった平岩外四さん、作家の家田荘子さん、個性派俳優の渡辺哲さんがいらっしゃいまして、卒業生の誇りや希望になっています。

平岩外四さんが経団連の会長をしていた頃は、財界もしっかりした識見を持っていたように思いますが、その後の御手洗さんや米倉さんを見ていると、自分たちの企業が儲かることが国益、くらいに勘違いしていて、器の小ささと言ったら情けないくらいです。

で、私は、やはり、どの国語の教科書にも必ず採用されている「ごんぎつね」を書いた新見南吉を母校の先輩として一番尊敬しています。ただ、私が子供の頃は、新見南吉はそれほど高く評価されていませんでした。私からすれば、無駄の無い文章の美しさ、ということで言えば志賀直哉氏と並ぶ、とさえ思えます。

「手ぶくろを買いに」などに見る「人の心の優しさ」を書かせたら、右に出る作家はそうはいないものでしょう。

それでも、たかだか数十年前までは「郷土の誇り」などという評価は与えられておらず、町興しなどの流れの中、「おらが町で、誰か(何か)誇れるものは無かったか」と探して「ああ、そういえば新美南吉でどうだや」くらいに担がれたようなもので、私としては釈然としません。

新見南吉の評価は、意外にも半田市以外でのほうが高いのかも知れません。「ごんぎつね」のようなお話に授業時間を多く割いて、子供たちに丁寧に教えてもらえたなら、いじめなんかも減るかも知れませんね。数学の公式も大切ですが徳育教育もまた大切ですね。

って、長々と持論を申し上げてすみません^_^;
Posted by poohpapa at 2011年01月25日 07:40
そのとおり!心のやさしさ・・その表し方は新見南吉先生以外ちょっとお目にかかれません・・

さて半田市は、やはり有名なミ○カン酢の酒造会社さんもありますね。工場見学をしたときに「お酢を造っていると呼吸器が丈夫になって風邪を引かないんです」と聞いたことがあります。

心の風邪の多い現代・・新美作品・・温まります
Posted by だっちゃんの母 at 2011年01月25日 14:34
だっちゃんの母さん、こんにちは

返信が遅くなってすみません。

全国で学校が荒れてますでしょ、あれは、情操教育が不足しているからだと思います。それは、音楽の教科書を見るとよく解かります。

「旅愁」とか「朧月夜」とか「冬景色」とか、美しい歌詞とメロディで親子の絆や故郷の温かさ懐かしさを植えつけることがないから、だと思うのですよ。歌詞やメロディよりリズムを重視して最近流行ったフォークソングなんかを教科書に採用するのが間違い、だと思いますね。

国語の教科書も同じです。教材に採用するなら、よくよく選んで頂きたいものですね。ところで・・・、

半田にはミツカン酢の本社がありまして、私の生家から100mくらいしか離れていません。ミツカン酢(中埜酢店)の息子は私の1年上級生でしたが、部活では後輩でした。なので、よく苛めたなあ^_^;
Posted by poohpapa at 2011年01月26日 16:13
音楽・国語の教科書の件、まったく同感です。
子供達には情緒豊かな教育が必要ですよね・・・

中埜酒造の息子さん・・大事大事にしておけば
お里帰りの際、‘迎え酒”があったかも!?

惜しいなぁ!!(笑)
Posted by だっちゃん・みかんの母 at 2011年01月26日 20:14
だっちゃん・みかんの母さん、こんばんは

それがですね、一部上場企業の跡取りにはとてもなれそうもないくらいレベルが低かったんですよ。正直、「コイツの代でミツカンは潰れる」と思ったくらいで、今も会社があるのは血縁の無い優秀なスタッフに恵まれたからだと思いますね。

なんせ、日本での酢のシェアは(当時)8割を超えていましたから、ほとんど独占企業だったんですよ。上手く会社を成長させた先代は立派でしたね(*^^)v
Posted by poohpapa at 2011年01月26日 21:02
年下に、血縁の無い(笑)
社員に指導を受け・・(爆!)
たまにいますね〜出来のよい親からナンとか遺伝・・優性遺伝ならぬナンとか遺伝・・vv
Posted by だっちゃん・みかんの母 at 2011年01月27日 14:54
だっちゃん・みかんの母さん、おはようございます

人は悪くなかったのですが、どうもデキが良くなくて・・・(*^^)v

ミツカン酢の社長の自宅は町のド真ん中あたりにあって、しかも広大な庭にはテニスコートもあったと記憶しています。市民の憧れの的でしたね。私も、家の前を通る度に「チキショー、今に俺だって」と思ってましたが、昔も今も何も変わっていません。「世の中間違っとるよ」と言いたい思いです(*^^)v

あの頃、辛く当たらないで何かと庇ってやっていれば、今頃は私もミツカンの重役にでもなっていたかも知れませんね(爆)
Posted by poohpapa at 2011年01月28日 07:58
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