人間、一寸先は闇、明日のことは誰にも分からないから今のうちに少しずつ子供たちに伝えておきたい。
私自身は、両親や友だち、高校時代の諸先輩と後輩たち、そして誰より中学時代の恩師からいろんなことを学ばせてもらっていて、このサイトでも書き、自分の子供たちにも折に触れて話していることだが・・・、
支離滅裂になるけど、思いついたことから少しずつ、
私は、ものごとを「多数決」で決めることが公正で公平、などとは思っていない。ましてや何かの岐路に立たされて、ほとんどの人が「これ、どう考えても右に行くのが正しい選択だよね」と思うなら、「待てよ、左のほうが安全かも知れないじゃないか」と考えるようにしている。多数決が公正公平になるためには大前提がある。「全ての人に判断の基準となるべき正確な情報がもたらされている」ということと「全ての人が与えられた情報を正しく理解できる」ということ。だが、そんなのはどだい無理な相談。利害関係などの状況や立場もそれぞれに違うのだから。だいいち、マスコミや政府によって情報はコントロールされるものだし、国民の意識など何とでも操作できるのだから。選挙なんかも「一人一票」で平等ではあるし、意思決定をする手段として多数決以上の方法はないのかも知れないが、出された結果は必ずしも公正とは言えないものだろう。
なので、ニュースソースも含めて「お上やマスコミの言うことや周りの噂、絶対数の意見、といったものを鵜呑みにせず、何が正しいか常に自分の頭で考えなさい」ということだけは改めて伝えておきたい。
ここまで注意を払っていても私は判断ミスをしばしば犯している。行く手に壁があったら、よじ登るのか、穴を空けるか、全部を壊すのか、回り道をするか、引き返すか、周りの意見は聞いても「何が最善か」の判断は自分で下すこと。周りの進言で決めて失敗したら悔いが残るけど、自分の判断ミスなら諦めもつく。
人にものを相談するなら「どうするか何も決めていない白紙の状態」で相談するか、自分の考えや希望は先に伝えておくこと。本音を隠しておいて「追認してもらうため」に相手を利用してはならないもの。
私の親父は私にいろんなことを話してくれていて、それは今でも私の中で生きているけど、一つだけ、親父の考えと全く違っているものがある。それは、皇室に対する見方。
親父は、皇室、とくに天皇陛下が嫌いだった。戦争に行って「俺はお国の為に戦っていたのであって天皇陛下の為に戦っていたんではない」という思いになっていたんだと思う。だから私も割と最近まで皇室の人たちが大嫌いだった。だが今は皇室を敬愛している。もっとも、秋篠宮と内儀は好きではないが。
私の言うことが常に正しい、なんてことは有り得ないこと。だから「俺の言うことを聞け」などと言うつもりはない。子供たちに対しては今まで一度も嘘を言ったことがないが、何を信じるかは子供の自由。押し付ける気もないし、むしろ自分の頭と経験で判断してくれたらいい。
昨日の記事の内容は、娘に話したことがある。実は、息子たちには言っていない。私の真意を正確に汲み取らずにそのまま信じると困るから(おいおい)
娘にはこうも言った。「オマエはブスなんだから、器量じゃ勝負できないだろ。だったら気立てを良くしないとイイ男にあり付けないだろ」と。娘は反発することなく笑って聞いていた。けっこう打たれ強いから。
で、その話は「純平」の中に出てくる。純平が先輩の勝の娘「花子」に言った言葉と同じである。辛辣だが事実だからしょうがない。うちの娘なんかピッタリ当て嵌まる。食品製造会社が、不味い商品を高級感あるパッケージで売ろうとするのと似ているが、どちらも「売ってしまえばこっちのもの」ということか^_^;
娘は言わないと思うけど、「整形手術を受けたいんだけど」と言われたら反対するつもり。女の美しさは顔かたちやスタイルなんかでは決まらない。何度も何度も書いているが、歳相応の分別や教養が内面から滲み出ている人こそが最も美しい。そう理解する男は必ずいる。もし現れなければ・・・、諦めるしかない。
美人でなくてもいい。女は(心根が)可愛いのが一番。そうであれば何も要求しなくても男が尽くしてくれる。能力もなく、美しくも可愛くもなくて尽くしてもらえない女が「平等」だの「権利」だのと騒いでいるだけの話。自分は負け組だと宣言しているようなものだ。そんなことには加担せず、良き友を多く得て自分を磨いていたほうがいい。
友だちや仲間は宝もの。良い友だちを多く持っている人こそが資産家。所有している不動産や預金の額じゃないよ。負け惜しみでなく、歳とったら「どっちが豊かなのか」ということが解かる時が必ず来るから。
相変わらず話があちこち飛んでしまったが、今日書いたこともすべて正しいかどうかは分からない。自分では正しいことを言ってるつもりでも、他の人から見たら分からない。立場によって何が正しいかも変わるもの。自分で判断してくれたらいい。ただ、失敗も間違いも自分が責任を負える範囲でなら何度犯してかまわないが、同じような機会があったら生かして欲しい、と思う。私は過ちを繰り返してるけど
2011年11月25日
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