生活保護を受けている「あるお年寄り」(女性)から電話があった。
「近いうちに伺いたいんだけど・・・」
「え?、なんで?、来なくていいよ」
「そんなこと言わないでよ、行きたいんだからさあ」
「俺、Tさんの顔、見たくねえし」
Tさん、と言っても、私が立川市の生活福祉課とやりあった時のTさんとは別人。向こうは男性だし。
「見たくなくても行くよ、いいだろ?」
「だから、来なくていいったら、目的は判ってんだから。商売の邪魔すんなよ」
Tさんが何の用で来るかはミエミエだった。どうせ私に菓子折りと商品券を届けに来るに違いない。先月、うちのの岩手の実家から新米30Kgを送った「お礼」をする為、である。
電話は先月中旬のこと。で、先日ついに押しかけてきた。やっぱり、虎屋の羊羹と商品券を持って・・・。
元気そうなのでホッとしたが、私はTさんの手をとって、手の甲をピシャンと叩いてやった。「こういうのやめなよ、ホント。気遣ってくれるのは凄く嬉しいけど、これじゃ何にもならないんだから」と叱ると、Tさんはウルウルきてた。
Tさんのことは何度かこのブログで書いているが、以前はうちの管理物件に入っていて3年前に退去している。入居した時は30歳の娘さんと一緒だったが、娘さんは脳腫瘍で入居2年後に亡くなっている。友だちや親族はいるが、ご主人も子供も全て見送ってしまっていた。それでも明るく前向きに生きている。
生活保護を受けることが決まり、市営住宅に移ることになって退去したのだが、Tさんは生活保護を受けるに当たって「福祉のお世話になるんだから」と、役所に通帳も箪笥預金も全部渡したそうだ。以前に聞いたところでは「月末になるといつも生活費が底をついて塩むすびだけでお腹を満たしている」とのこと。「それでも生活保護を受けてるんだから贅沢は言わないし、生かせてもらってるだけで充分」と笑っていた。
あまりに馬鹿正直なので、敷金の返還も家主さんと相談して現金で返した。「生活保護を受けてるといってもそれくらいのヘソクリは持ってたほうがいいから、絶対に役所に渡しちゃダメだよ」と言い聞かせて。
足を痛めたとかで、部屋の更新手続きに私のほうから高幡不動まで出向いた際には、後で店までやってきて「ほんとなら私のほうから出向かなくちゃいけないのにわざわざ来てもらったから・・・」と、その時も5千円分の商品券を置いていった。
もう退去したが、遠くでもないし足腰もしっかりしているのに更新時に決まって「そっちから来てくれ」という男性(家族入居)がいた。嫌とは言えないので毎回行っていたが、元「霞ヶ関の住人」である。
Tさんは、引越しの立会いに行った時にも商品券を用意していた。Tさんが退去した際、うちのと相談して、実家の新米を毎年送ることに決めていたのだが、これでは何にもならなくなる。私は「塩むすびを食べてもらえるよう米を送っているのでなく、米代が浮いた分でおかずを買ってもらいたいから送っている」のである。私に届け物をするために他を切り詰めさせることになるのは不本意で辛い。それが判っているからこそ意地悪く「来るな」と言っているのだが・・・、それではTさんの気が済まないんだろう。「私も商売してたから、買うといくらになるかくらいは分かってるから」と言う。そりゃそうなんだろうけど・・・。
Tさんに改めて電話して、「それじゃこうしようよ。うちはTさんが死ぬまで毎年新米を送るから、届いたらTさんは虎屋の羊羹の小さいのを届けてよ。大きいのは食べきらないからダメだよ、小さいのだよ」と言うと、「うん、分かった」と了解してくれた。それくらいで丁度良いのだし、互いの顔も立つ(*^^)v
Tさんに限らず、お年寄りはモノやカネより「人との触れ合い」を求めているんだろう。「誰かが気遣ってくれている、誰かがまだ必要としてくれている」と思えることが何より大切なんだと思う。私にとって、米は「その為の道具」でしかない。不正受給者は論外だが、生活保護者は社会のお荷物なんかではない。
私は不動産業者として自分が出来ることをしているだけのことである。ただし、全部の人には出来ないし、するつもりもない。正直、負担も掛かることだし、ちゃんとこちらの気持ちを解かってくれる人にだけしていることで、今のところはTさんだけであるが。
で、私が常に入居者を気遣っているのか、と言えば、そうでもない。私がとくに善人というのでもない。
鬼平犯科帳の長谷川平蔵の言葉にあるように「人というものは、良いことをしながら悪事も企む。悪事を働きながら善行も施す。そういうものよ」であって、私もその例外ではない
ま、こういう話は年に何回も書けないんですけどね・・・、いつもは「テメエ、この野郎!」みたいな内容ばかりでして・・・、すみません^_^;
このお年寄りは特別人柄がいいのです。退去なさって、ふつうはそこで不動産屋との縁は切れるものですが、ずっとお付き合いしていたい、と思えるご婦人なんですね。もちろん、羊羹や商品券とかのことでなく、このご婦人と接するだけで心が洗われて、私もこのご婦人からいろんなものを頂いています。こうして年に一回お目にかかるだけですが、私も何かのお役に立てているかも知れませんし。
人生において、ご縁、というものはとても大切なものですね(*^^)v
実のところ、こういう生活保護の方は珍しいんですよ。10年に一人、くらいですね。
ある男性が、うちに初めて来店された時は「なるだけ早く仕事を探して、生活保護を打ち切ってもらうつもりでいます」と言っていて、それを聞いて「ああ、なかなかしっかりしてるな」と思っていたら、もう5年も経ちますけど、いっこうに職探しをしているふうでもなく、昼間から街をブラブラ歩いてるのをよく見かけます。
生活保護は一種の麻薬です。働かなくても一度「家賃や生活費の面倒」を見てもらったなら、勤労意欲など無くなるのが当然です。生活保護と自立支援は同時並行でなければならないものですが、そういう部分はNPO法人などのボランティアに任せてしまって、役所は支給することしかしません。見直しも通り一遍の形通りにしか行われません。
先日の記事の中で、「うちの受給者の半分は不正受給者と思われる」「教えてやるよ」と書いていて、実は市の職員も記事を読んでいますが、「ぜひ教えてください」とは言ってきません。所詮「自分のカネではないから」ですね。揉め事から逃げていて、それでいて私には「生活保護費は税金ですから」などと言っているのです。忙しいのは理由になりません。私に問い合わせれば、調査しないで判ることですし。
生活保護者のほうが一生懸命働いている人より豪華な部屋に住む、働かなくても食べていける、それでは日本は社会主義同然の国になってしまいます。大阪なんか、日本の中の社会主義国ですよ。本当に必要な人だけを保護する、それで当然なんですがねえ・・・。
って、長々と済みません^_^;
<< 格安の定食屋の親父でも始めますか?
そう、そういうのも考えていますよ、ほんと。
世の中、上手くできてるなあ、と最近はつくづく思うのです。私の同級生たち、一生懸命勉強して大学を出て、それでも年金と退職金だけで一生もたせるられるのは一握りです。私は退職金もボーナスもありませんが、体が動くうちは商売を続けていられます。てことは、一生の内に、と言うか、死ぬまでに手にする対価はさほど変わらないのではないか、と思うのです。天下りできる人は別にして、普通にサラリーマンだった人は再就職の心配もしなければならないものでしょうし。
例えば、退職金を3千万もらっても、年金と併せても10年ちょっとで底をつきます。退職金の無い私の収入とトントンです。ま、上を見たらキリがない話なので見ませんが(*^^)v
私は、あくせくしないで食べていければいいので、子供たちは自立してるし、老後の心配は何もしていません。うちのも「心配してくれなくていい」と言ってますし。後は大病しないことだけ、ですね。
私の同級生・・・、たいていは来春に定年を迎えます。ここからが人生の勝負です(上から目線^_^;)
あ、そうそう、定食屋の話、一口乗りませんか?(爆)