2006年10月15日

悦ちゃん PART2

一年間のブランクの後、私も半田高校に合格して、合格発表の翌々日、同級生と4人で麻雀をしているところに彼女から手紙が届いた。「合格おめでとう。約束どおり、お付き合いを再開しましょう」というものだった。私にとっては二重の喜びだったが、不安もあった。

彼女は、私との交際を休んでいる間も他に同級生と付き合っていたから、どうしても出遅れ感がある。誤解があるといけないので書いておくが、彼女は断じて「ふしだらな女」ではない。それどころか、非常に真面目で、ちゃんと一定の距離を置いてお付き合いしていたのである。特定の男性との男女交際を避けていただけなのだ。

高校に入学して、私と彼女の1対1での交際がスタートするのかと思いきやさに非ず、私は彼女の恋愛相談を受ける立場に回ることになった。他の彼との交際上の悩み相談に下級生の私が乗っていたのである。損な役回りではあったが、とくに不快に感じることもなかった。そんな用件でも、彼女に会えるだけで幸せだったから。

彼女は情け容赦なく私に「部活の先輩で好きな人がいるんだけど、打ち明けていいか悩んでいる。どうしたらいいと思う?」などといった相談をするのだから、女というものは残酷な生き物である。それでも私は客観的な立場でアドバイスをしていた。「打ち明けなければ悔いが残ることになるよ。ダメ元でいいじゃない。打ち明けてみたら」と答えていて、数日後、彼女から「今日、初めて○○君の本当の優しさを知りました」との手紙を貰ったが、優しいから「そう言った」のではない。「僕だけを」と望んで「彼女が離れていく」のが怖かったのだ。

自分でも、「高校1年生でそこまで気が回る」のだから、相当おませだったと思う。おませではあったが、実は、彼女との6年間の交際期間中、私は彼女とはキスもしたことがない。二人ともまだ高校生だった頃、港まで自転車で行って、海を見ながら一度だけ手を握って、「僕は絶対に悦ちゃんと結婚するよ」と伝えたたことがあったのだが、その時、彼女は黙って泣き出してしまったので、「あ、悪いことしちゃった・・・」と、反省したものである。その必要はなかったのに。

その後、彼女は東京のK大学に合格して上京することになった。また必然的に1年間のブランクになる。一応進学校だったから、彼女はまた「受験勉強の妨げにならないよう」距離を置いてしまうし、彼女も東京での大学生活に馴染むべく努力しなければならないから、私になど構っていられなかったであろう。私は私で、少しの間、下級生の女の子と「手を繋ぐことさえない」浅いお付き合いをしていた。

それも、そのことを知った当時の学年主任の教師が、その子の家まで出向いて、「○○という生徒は危険だから、娘さんと付き合わせない方がいい」などと警告したりしていて直ぐ終わってしまった。私には「なぜ僕が危険人物なのか」全く身に覚えがなかった。心当たりがあるとしたら、私の修学旅行不参加を巡っての学校とのトラブルである。

質実剛健を謳っていた学校は、校則で(真冬でも)男子生徒のコート着用を認めていなかったが、2月に行く山陰山陽方面ということもあって、修学旅行時だけ詰襟の下にセーターの着用を許可していた。ところが、その学年主任が「制服の下は白のカッターシャツで統一するように」と馬鹿なことを言うので、「セーターはカッターシャツの上に着るのが常識で、下にセーターを着て、その上からカッターシャツを着させるのはおかしい」と私が職員室に出向いて抗議すると、「旅館に着いて皆が学生服を脱いだ時、一斉に白のカッターシャツを着ていれば、旅館の従業員さんから『この学校は躾が行き届いている』と思ってもらえるだろう」、とのワケの判らない回答。同級生は皆、「文句は言っていても誰も抗議まではせず、学校の方針に従う」ことになったので、それで私は修学旅行には参加しなかった。

その時、私は同級生を見ていてつくづく思った。「こいつら、大学まで出ても、社会人としては大して使いモノにはならんだろうな」、と。



で、嫌味な話になるが、中学2年から高校2年にかけて、私は14人の女の子から思いを打ち明けられたり、交際を申し込まれたことがあった。クラスで一番可愛いかった子や他校生も含まれていた。それでも、「僕は悦ちゃんだけ」と決めていたから全部断ってしまっていた。「片っ端から手をつける」なんてことはしなかったのである。


先日の夕刻、ある駅ビルのレストラン街のベンチで、高校生と思しき制服姿の男女が人目をはばからず濃厚なキスをしているのを目撃したが、我々の時代とは隔世の感があって衝撃を受けた。よほど「どこの学校か調べて通報してやろうか」と思ったくらいである(*^^)v


一年後、私は彼女の後を追うように就職のため上京した。既に成績はボロボロだったし、贅沢を言わなければ「どこかの大学」には必ず入れたのだろうが、特に「何になりたい」という希望はなく、「営業になることだけ」を考えていたのと、うちの経済力では国公立以外は無理だったので、さっさと自分で就職先を見つけて上京することにした。愛知県人の県民性が大嫌いだった、という事情もある。

さて、上京して悦ちゃんに連絡して再会してみると、悦ちゃんには思いを寄せる男性がいた。大学の夏休みで帰省していた間、バイト先で知り合った社会人であった。

                        (更に続く^_^;)
posted by poohpapa at 06:07| プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする