2004年02月28日

ちょっとコーヒーブレイク 

私は5年前にダイエットに挑みました。1年以上かけて、78kgから62kgまで落としました。−16kgということになります。その後4年間、ほぼ同じ体重を維持しています。身長は165cmです。

きっかけは、フジテレビ、・・・ではなく、彼女が、私のイビキや無呼吸症を心配して勧めてくれたからです。

最初は、太めの体型を「プーさんみたい」と笑っていたのですが、夜中に長い時間止まっている呼吸に気が付いて、さすがに恐くなったようです。私自身は「そのまま知らないうちに死ねるなら、それはそれでいい」と本当に思っていました。身辺の整理(遺言書の作成、預託、形見分けの目録、それらの生前贈与、など)も、ある程度は済ませておりますし。もっとも、たいしたものは残っていませんが。

で、ある日、1冊の本を買ってきてくれました。「ぜったいできる男のやせる本」(保健同人社)というものでした。せっかく買ってきてくれたので、やってみることにしました。基本的には食事制限です。

私は元々は大食漢の早食いで、高校時代までは身長は今と同じで、体重は53kgしかありませんでした。
その、高校時代の食事量は、というと、朝起きてご飯を5杯、お昼にドカ弁(2人前相当)を平らげ、放課後、部室(新聞部)に焼そばの大大盛り(玉4コ)の出前を取り、家に帰っての晩飯はご飯7〜8杯、寝る前にインスタントラーメンを2袋、これを毎日。でも、痩せてました。

会社の寮に入り、朝晩の食事は会社で頂くことに。初出勤の夜、先輩が気を遣って「疲れただろ、先に上がって飯にしていいぞ」と声をかけてくれたので、お先に失礼することに。何も考えずお替りをしているところに先輩達(4人)が上がってきて、「おばちゃん、メシ!」と言うと、おばちゃんがひと言、「無いよ」。
「なんでだヨオ、なワケねえだろ!」と先輩が怒ると、おばちゃん平然と、「だって、この人が全部食っちまったから」。

袋叩きにあいました。「メシは充分用意してある」と思っていたのです。おばちゃんも、どうなるか分かっていて、知らん顔をしていたのです。「東京は恐い」と思いました(爆)

で、先ず、リバウンドの原理を理解することにしました。
豆腐やお粥中心の「油分を控えた」メニューに換えて、量も抑えると、最初は毎日1kgずつ落ちていきます。1週間ほどするとペースダウンしてきます。同じ食事内容にしていても、秤のメーターは変化しなくなります。たいていはここで諦めて、リバウンドが始まります。ならば、最初からダイエットしない方がマシだった、ということになってしまいます。私は予め本をしっかり読んでいたので、ここからは「ひと月で1kgくらい落とせればよい」という気持ちで根気よく続けて、1年ほどで現在の体重になりました。

私は、他の方と食事する時は「実は今、ダイエット中でして」とは言わないことにしています。相手の方に気を遣わせてしまうし失礼にあたるからです。自分で軽めのメニューを選べばよいだけのことで、日々の目標をオーバーした分は数日かけて戻すようにします。

人間が生きていくうえで、油も糖分も適度には必要です。いかに自分で適正にコントロールできるか、が大切です。

私の自慢、それは、「ダイエットに成功した」ことではありません。「ダイエットした体重をその後もずっと維持している」ことにあります。

よく「ダイエットに良い」といわれる方法を片っ端から試している人がいますが、そういう人は成功しません。心の底に「楽に痩せたい」という願いが潜んでいるからです。流行のダイエット本を読み漁っているようでは一歩も進みません。

いろんな人から「ダイエットの秘訣を教えて」と聞かれますが、私の答えはひと言です。

「意思ですよ。痩せたいと思う強い意志だけ、です」
posted by poohpapa at 08:03| 健康、ダイエット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする