1983年、練馬区大泉学園で起きた「一家5人バラバラ殺人事件」をご記憶だろうか。
もう20年以上も前の事件である。当時は、連日、ワイドショーで取り上げられ大変な騒ぎとなった。
その事件の犯人として捕らえられたのが、杉並で不動産鑑定士と不動産業を営むA氏であった。
私はあえて、この犯人を「A」ではなく、「A氏」と呼ぶことにする。
A氏は、殺された一家が住む大泉学園の家を、その年の2月に競売にて1億円で落札し、別の客(会社)に転売した。
当時、その家に住んでいたのは、競売にかけられた元々の持ち主(競売時の債務者)ではない。持ち主が「競売は避けられそうもない」として、引渡しを拒む目的か、あるいは明渡し交渉を有利に進めるために、自分の弟(競落に関しては第三者)との間で賃貸借契約を交わして、その(殺された)弟一家を住まわせていた、と記憶している。6月末の買主への引渡し期限までに明渡しを完了させなければ、A氏は3千万円の違約金を払わなければならなくなる。早くに裁判所による強制代執行をかければよかったのだが、そうするにはA氏は人が善すぎた。「競売で落としたのだし、必ず出て行ってもらえる」と楽観し、交渉を重ねているうちに日も経ってしまい、強制執行がかけられなくなってしまった。
A氏について、近所の人たちは口を揃えて「信じられない」と言った。毎朝、店に出ると、自分の店の前だけでなく、両隣の前まで掃除をして水をまくような人物であったという。気さくに挨拶もする評判の良い生真面目な不動産屋でもあった。
私なんぞ、今の店を開いて15年間というもの、一度も店の前を掃除したことなど無い。いつも、隣でクリーニング業をしていらっしゃる大家さんが掃除してくださる。A氏は私とは大違いである。
追い込まれたA氏は、「もう、占拠している家族を皆殺しにするしかない」と犯行に及んだ。不幸中の幸いというべきか、たしか、林間学校に行っていた長女は難を逃れていたと思う。A氏にとっては、長女が林間学校に行っていたのは計算外だったであろう。A氏は、長女の帰りを待っていて逮捕された。1人でも生き残っていると居住権を主張されることになるから、血の匂いのする家の中で、ひたすら最後の1人を待ちつづけていたのだ。
犯行の方法は凄惨を極め、動機も短絡的であったことは否めない。
人を殺すことは悪いに決まっている。正当化するつもりもない。だが、本当にA氏だけを責められるのだろうか。
人の弱みや法律の不備等につけ込んだり、些細なことでイチャモンをつけてカネを巻き上げようとする人間を、私はたくさん見てきたし、接してもきた。今現在も日常的に相手にしている。A氏の気持ちは痛いほど分かる。
冷たいようだが、私は、殺された家族や残された子供に対してさえ、同情する気持ちにはなれない。
バラバラ殺人を犯したA氏はもちろん悪いが、姑息な手段で「競売逃れ」を企んだ債務者はもっと責められるべきであろう。事件の根源はそこにあったのだから。子供には何の罪も無いが、殺された一家は、「善意(事情を知らない、の意)の第三者」ではなく、「競売逃れの為の協力者」だったのだ。
その後、A氏は最高裁で死刑判決が確定し、2001年の暮れ、死刑が執行された。
己の身勝手な欲のために、身内5人と、本来善良な不動産屋を凶行に走らせ死に追い込んだ「その家の元の所有者」が法で裁かれることはない。これほどの不条理があるだろうか。
刑場に向かう時、A氏はひとり何を思っただろうか。
「なんで俺がこんなめに・・・」と、心の底で泣き叫んでいたのではないだろうか。
さぞかし無念だったと思う。
同様の事件が起きると、マスコミや世間の人は、「だから不動産屋は恐い」と、すぐに決め付ける。
警察官や教師が殺人事件を起こしても、「だから警察官は恐い」だの「だから教師は恐い」などと言われることはない。せいぜい「近頃の教師は・・・」という程度である。
私は、ほんの少しでもよいから、「不動産屋の言い分」にも耳を傾けてくれたら、と、いつも願っている。
事件発生から20年。私は「自身への戒め」として、この事件やA氏のことを決して忘れない。
2004年03月05日
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小生は記憶がいい方なのですが、大泉学園町●丁目というところまでは、被害者が同県出身だったこともあり忘れることがありませんでした。
ここがその事件現場であろうと思われる、荒れ果てて放置された「ヘルハウス」が最近は取り壊されて、若夫婦が一世一代の大事業として購入しそうな家が建ちましたね。
ま、ご近所の方々にとっては環境が明るくなってよかったかもしれません。
半年間、ほぼ毎日更新をさせて頂いていますので、もう200話近いコラムを出させて頂いているのですが、私自身、もし「どれか一話だけ選べ」、と言われたなら、迷うことなくこのコラムです。私にとっては、このことを書きたくてコラムを始めたようなものです。極めて初期のコラムであって、まだ1日の読み手さんが100人いらっしゃるかどうか、という頃でした。したがって、このコラムに対するコメントも未だ1件も頂いてはおりませんでした。それだけに、akinotaさんが掘り起こしてコメントを入れてくださったことが非常に嬉しいです。
それと、現場の今の状況を知ることができたことも。
私が現場を訪ねたのは事件後半年くらい経ってからのことで、庭も草が茂っていました。今、お洒落な住宅が建っているとして、業者は事件のことをちゃんとお客さんに伝えるのでしょうか。ちょっと気になります。私なら、独りで夜の留守番などできませんから。
うちの社長の娘さんが当時近所の信託銀行に勤めていて、A氏の不動産屋とも取引があり、事件の一報が入った時には職員の誰もが「A氏が殺された」と思ったそうで、「A氏が容疑者」と分かった時には誰もが事実を信じられなかったとか。それ程、温厚な人物だったのだそうです。
世の中、不条理なことが多すぎますね。元の持ち主は今、どうしているのでしょう。
コメント、本当に有り難うございました。
殺された主人の奥様の父親に指示されて居座っていたようです。その父親は立退き料を吊り上げて(3000万吹っかけたとも言われていた)新たな事業を起こす資金にしようとしていたみたいですね。「裁判を取り下げれば立ち退く」と言われて取り下げたのですが、そんなつもりは初めからなかったのでしょう。
ただ、子供たちを巻き添えにしたことは非難されても仕方がないような気もしますが。
<a href="http://www.alphanet.ne.jp/users2/knight9/nerima.htm">http://www.alphanet.ne.jp/users2/knight9/nerima.htm</a>
ご紹介サイトに行ってみたのですが全部横文字で分かりませんでした(汗)
ところで、子供まで殺してしまったのは確かに良くないのですが、それでも、気持ちは分かるような気がします。誰か相談できる相手がいてくれたなら、あんな悲劇は起きなかったかも知れませんね。
物騒なことを言うものではないのでしょうが、私もこの仕事をしていて、殺したい程の人間が何人かいますから。ただ実行するかしないかの違いだけで、何かで一歩間違えば、どうなっていたか知れません。A氏と私は紙一重なんです。でもそれは、皆そうかも知れませんけど。
コメント、有り難うございます。
私にも「できれば居なくなってくれればありがたいのだが」程度の人はいます。あくまでも「自主的に」消えてほしいという意味ですが。
まあ大差ないかも知れませんが。
<a href="http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/nerima.htm">http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/nerima.htm</a>
有り難うございます。これから拝見します。
お手間を取らせましてすみませんでした。
表面的な新聞記事、報道だけではわかんないものですね。
こういうことについて、内部で事情を分かっているものがこうやって地道に声を上げていくことが大事なんでしょうね。
最近、不動産やさんとつきあうことが多くなって、悪いひとばかりじゃないんだ、って思えるようになりました。
たいへん申し訳ありません。偶然に返信もれを発見いたしました。
5年近く経っての今さらの返信で誠に申し訳ないのですが・・・、
この事件は、私のサイト運営上、そして不動産業者としての考え方の原点になっています。今も、片時も忘れません。
ここ数年、毎日ネットでのニュースをチェックしていますが、公務員、とりわけ警察官や教員の不祥事は出ない日がないくらいでありますが、不動産屋の犯罪は見ることが極端に少なくなりました。
それでも、扱う金額の大きさから、不動産屋は怖い、というイメージが付いてまわりまして、それは実に嫌なものであります。
どんな仕事や商売でもそうですが、誰かが不祥事や事件を起こしたり、勝手なことを言ったりすれば、それらに関連した人は皆そう、と思われてしまうものですね。唯一、すいしょうさんの職種だけはそうは思われない職種かも知れませんが(^^ゞ
私は少なくとも、自分が原因で不動産業者の信頼が失墜する事がないよう肝に銘じたい、と思っています。自信は・・・ありませんが^_^;
返信が遅くなりましたこと、重ねてお詫び申し上げます。
すみませんでした。
我々不動産業者からすれば、不法占拠による競売逃れをしていた人たちにお咎め無し、というのは本当に納得いきませんね。日常的に、法律を都合よく解釈して逆手にとって、という輩と向き合っていると、(もちろん殺人は良くありませんが)理不尽に思えることは多いものですね。
当時は、殺された人たちの家族が「競売逃れの目的で住んでいた」という事情はワイドショーなんかでも全く出てきませんでしたね。私も、ずいぶん経ってから先輩に教えてもらったくらいで・・・。
こんなことで「だから不動産屋は・・・」などと決め付けられたら堪りません。本当に最も悪質なのは不動産屋ではなく、むしろ消費者の中にこそいるものですね。
反吐が出ます。
記事をちゃんと読んでくださいね。私が殺人犯を擁護していますか?
私は殺人犯を擁護しているのでなく、殺された家族にも非があったのでは、と言っています。
A氏の犯した犯罪と、こういう事件が起きた要因を作った被害者の責任を分けて考えています。ヤンゴンさんのように記事を表面的にしか読まないで批判してくる人、読解力のない人が稀にいますが、そういう人が今の日本という社会を住みにくくしています。たぶん、ヤンゴンさんはものごとを深く考えないで集団リンチやイジメに加担するタイプの人なんでしょうね。
あなたのお考えが正しいとすると、A氏には弁護士を付ける必要などないことになります。つまり、一切の情状酌量など斟酌しないでいいことになります。この不動産屋が死刑になったのは当然だとしても、どんな背景があったのか、ということは今を生きる人たちは知っておいたほうがいいでしょう。同じ過ちを繰り返さないために、自分が被害に遭わないために、です。
子供が巻き込まれていますが、親が姑息なことを考えなければ巻き込まれなくて済んだでしょう。今頃は普通の人生を歩んでいたかも知れません。我が子の人生を奪った責任、この親にはありませんか?
たしかに、殺したのはA氏です。ですが、こんな事件になると予測できなかったとしても、我が子を殺させたのはこの親や親族です。この場合、殺された、ではなく、殺させた、です。
ものごとには相手があります。誰の目からも「こっちが正しい」と思えることであっても、両方の言い分を聞かなければ解からないこと、立ち位置を引いたり俯瞰的に見ることで初めて見えてくる真相や現実もあります。横や斜めから見ないと鼻の高さは分からないものです。
うちの管理物件にもこの親と似たような入居者、何人もいます。この事件では子供が巻き込まれていても、被害者家族に同情する気にはなれません。「親は殺されても仕方なかったけど子供は可哀想」とは思えないのです。私からすれば「一家全員が敵」「苦痛のタネ」なんです。そこも「分けて考えないといけないもの」なんでしょうけど、それはこの仕事をしてみないと解からないことでしょうね。
世の中で起きる事故や事件で子供が犠牲になると「子供に罪はないのに・・・」とか「子供が可哀想」という意見がよく聞かれます。それは正しいのですが、回転扉の事故で死んだ子供の例を見るまでもなく、(回転扉を設置したホテルでなく)親の責任であるケースも多々ありますしね。私は「ああ、子供が事故に遭って可哀想に」とは考えないで「親は何をしていたんだ、どうして子供の手をちゃんと引いていないんだ!?」と考えます。その所為でエコな回転扉が消えてしまいましたし。
それにしても、何かの検索ワードで飛んできて記事をちゃんと読まずに「反吐が出ます」・・・、ネット社会ではよくあることですが、おそらくはトップページさえ読んでくれてないでしょうね。行間まで汲み取れ、とまでは言いませんが、相手の気持ちや考え方にも配慮できるような人になってくださいね。
ほとんどの人が一生の間でも「競売」や「強制明け渡し」なんてことに関わらないでしょうからピン!とこない問題でしょうけど、当社でも、問題になる入居者が何人かいますから、他人事ではありません。私は殺したりはしませんが、殺されるかも知れません。そういう入居者も現実にいます。
本音で言えば「死んでくれたらどんなに有り難いか」と思える入居者も何人かいます。管理物件の少ない当社でさえそうですから、大きな会社ではもっとでしょうね。ただ、うちの場合は事務的な対応でなく(なるだけ家主さんに迷惑を掛けないように)私が深く関わっていくので、どうしてもそうなってしまう、ということもあります。他社とは違う状況ではあるでしょう。
何人も殺してしまっていては情状酌量など入り込む余地は無いものでしょうけど、被害者側にも大きな落ち度があったと思います。この事件はA氏が「今現在生きている我々に遺してくれた警鐘」でしょう。
これ、言えるのは、正当な手順を踏まずに策を弄したことで悲劇を招いてしまった、ということですね。人間、悪知恵を働かせると結末は碌なことにはなりませんね。
まさか殺されるとまでは予測できなかったとしても、何かの事件になるとか、かえって損害を被るとかの予測は出来そうなもので、人間、追い込まれると周囲が冷静に見えなくなるものなんですね。
私は以前は中日ファンでしたが今は阪神ファンです。被害者が阪神ファンであったとしても、それは関係ない話かと・・・。
考えたくなくても、相手がずっと追いつめてくるので、追いつめられていないときでも、それしか頭に浮かばないんです。
リラックスすべきときでも、頭に浮かんでくる考えを止められない。
どうしたらこのお金の要求から逃げられるんだろう、もしかしたら夫や子どもに将来この魔の手が及ぶんじゃないか、それよりは、今ことを起こしてしまったほうが夫も子どもも守れるんじゃないか・・。
うつ病だったと思います。ただ、「うつだから」というだけでは片づけられない、その原因が大きかったんです。
運よく、そしていろいろな方に恵まれ、私は人殺しも自殺もせずにすみました。
でも、本当に許せたのは、その2年間とその前何年間もの脅しから、まわりの方々のおかげで解放されたずっと後で、解放された後も、家に帰るときには、いるんじゃないか、といつも影におびえていましたが、あるとき夢で、その相手の心臓を刺した夢を見たときです。
サクっと、本当に心臓に届いた感触があって、飛び起きました。
そして、それでなぜか、相手のことを許せました。
殺してしまったことに後悔があったからなのか、殺したことにして許したのか、自分でもわかりません。
でも、その経験があってからは、子どものころに習った親鸞聖人の悪人正機説というのが本当にわかるようになりました。
なんで自分が、とは思わなかったことでしょう。
でもきっと、その不動産屋さんはずっとひとりで苦しまれ、一番苦しいときは私もそうでしたが、誰にも相談できず、一人で闇の中にいらしたのだと思います。
朝起きるときも、夜眠るときも、地の底で横たわっているしかないようなあの感覚。
あの絶望しかないような感覚の中であれば、そういうことはできてしまうのです。悲しいことに。
読みにくくてすみません。
壮絶な人生を歩まれたんですね・・・。私なんかは貧乏であっただけで、それ以外の苦労はしておりませんが、さやさんのご苦労、お察しいたします。
ただ、お友だちとの「ご縁」には恵まれていたようで、それは救いでしたね。私も同じなんですよ。先日、名古屋大学の女子大生が殺人を犯して逮捕されて、「殺したい人はいないけど、殺してみたい人はいる」などと意味不明なことを言っていますが、長く生きていると、そりゃあ「殺したい人」の一人や二人いるものですよね。実行に移すかどうかは別として・・・。正直、私も何人かいますよ。
思い止まるか実行してしまうかは紙一重なのかも知れません。たぶん、話を聞いてくれる人が誰か一人でもいれば殺したり殺されたりしないで済んだことでしょう。ま、その女子大生は少々頭がおかしいかな、とは思いますが。なんか、弁護士が精神鑑定に持ち込もうとするのがミエミエですね。
毎度書いていますが、刃物で切ったり刺したりすれば死ぬ、首を絞めれば死ぬ、と分かっていて実行したなら精神鑑定の必要はありませんよね。人を殺す時なんて誰もが精神に異常をきたしているワケで、本当の「責任能力の欠如」による不起訴なんて、いわゆる「白痴」の場合のみでいいでしょう。
それと、そういう人であっても選挙権が与えられるのは不条理だと思いますね。犯罪を犯しても罪に問われたりしないけど権利は与えられる・・・、不公平ですよ、そんなの。
話が横道に逸れましたが、さやさんの周りには、さやさんの話を聞いて冷静な判断ができるよう諭してくれた友人がいたワケで、それだけでもさやさんは勝ち組、幸運の持ち主と言えますね。
この事件の加害者であるA氏、誰か相談相手はいなかったのかな、と思いますね。本当に誰にも相談できなかったのか、不思議です。近所の人からも好かれていたようですし・・・、でも意外と、そういう人のほうが孤独だったりして・・・。
私はけっこう嫌われてたりもするので孤独じゃないんですよね。みんなから好かれる人って、結局はあまり存在感が無いのかも。私なんか「嫌われてナンボ」くらいに思っていますが。
あまり的確な推論ではないかも知れませんが、当時、今のようにネットが発達していて、ブログやSNSがあったなら起きなかった事件かも知れませんね。
今も時々思うのですよ、A氏、2000年12月に死刑に処せられた時、「なんで私がこんな目に・・・」とさぞかし悔しかっただろうな、って。殺人はもちろん最悪の犯罪であって良くないですけど、この事件では殺された側(大人)も姑息だったのですから。
さやさんは、とにかく人を殺めずに済んで今ボランティアで頑張ってもいらっしゃる・・・。生きていることの責任を果たしていらっしゃるのですから立派だと思いますよ、本当に。
私も、自分がそういう目にあうまでは、自殺するひとや、子どもを殺してしまうお母さんのニュースなどを見ると、どうしてまわりに相談しなかったのか、どうしてまわりはそんなに悩んでいた人を気づいてあげられなかったのか、と思ってました。
でも、じぶんが追いつめられたとき、分かったんです。
始めのころ、とてもショック受けて、3日間、不安で眠れなかったんですね。
その状態で会社に行ってましたけど、誰にも何もいわれなかったです。
ずっと不安で、フロアで叫びだしそうになるのを必死でがまんしてましたが、内心そんなでもとりつくろえてしまうんです。
手を洗面所で2時間くらい洗ってても、たぶん誰にも気付かれていなかったと思いますし、人が見ているところでは、とりつくろえるんです。
何回も不安な夜を過ごすと、だんだん不安に慣れて、眠れないのも3日まで、それを過ぎればぐっすり眠れる、と思えるようになりました。
メンタルテストも
その時間ですと・・・、こんばんは、でしょうね。昨晩はいつもより1時間早く9時半に就寝しました。
本当に悩んでいる時には誰にも相談できないもの、ということでしょうか・・・。私なんかは直ぐに誰かに話してしまうので、その段階では「まだ本当に悩んでいない」ことになるのかも・・・。
私の場合、その前の段階で、「こういう話なら、この人に」「この話ならアイツに」と直ぐ頭に浮かべて即行で動いてしまうのです。話が漏れてもOKです。自分が話したのですし、基本的に内緒話は存在しえない、と思っていますので。まあ、考えようによっては得な性分ですね。
3日間を過ぎるとぐっすり寝られるのは、もしかすると「ただの睡眠不足」で、いっぺんに出た、ということかも知れませんよ。人間、「寝られない、寝られない」と言っていても、必ず寝られますから。
<<手を洗面所で2時間くらい洗ってても、たぶん誰にも気付かれていなかったと思いますし、人が見ているところでは、とりつくろえるんです。
それは凄いですね。会社の人がそれで誰も気づかないとしたら、その無関心さには恐怖を覚えます。
私は非常に神経質で几帳面な一面もありますし、楽天的な一面も持ち合わせています。ふだんは「人間、なるようにしかならない、その時その時の状況を受け入れるしかないし、何とでもなる」と思ってます。ま、「ケ・セラ・セラ」ですね。
それと、本当に壁に当たった時や困った時には「動いたほうが負け」「何もしないほうが正しい選択」ということは得てして多いもの。ついつい「何かしなければ」(言い訳とか取り繕い)と思いがちですが、結果から見れば「じっとしているのがベストだった」というケースのほうが圧倒的に多いです。
私は人との出会いを大切にしていて、反面、別れはとても辛いのですが、横浜の親友が言ってくれた言葉で救われたことがあります。「それは、『互いに役割を終えた』ということだと思うよ」との言葉で、今も、何度もその言葉に救われています。
何もしない、今を受け入れる・・・、難しいことではありますが、とても大切なことだと思いますね。
すみません、スマホだと、誤動作が多くて、書きかけでお送りしてしまい失礼しました。
時間的に、お目覚めになってからご覧いただくかな、と思ってのご挨拶でした。
「メンタルテストも取りつくろえます」が最後の文章でした。
毎年あるんですよ。
質問項目に
「死にたいと思うことがありますか?」というのがあって、もろアタリなんだけど、これマルしたらやばいよな、とか思って嘘を提出してましした。
また長いです。すみません。
私も、わりとふつうのことであれば、「この件ならあの人、この相談ならあの司法書士、あの弁護士。」とすぐに頭に浮かぶほうです。
ただ、誰に相談してもどうにもならない案件、そこからくる押しつぶされそうな不安、というのを人に話すのはとても難しいことだとわかりました。
特に、そういうことを身近な人、会社の人、友人に話すには、決意がいります。
事が迷惑な案件だと、その人が離れていってしまうかもしれないことを覚悟する必要がありますし、そうでなくても自分に共感してくれるか、なにか有効なアドバイスをくれるか、という点を望めないことが多いと思うからです。
ひとり、本当に尊敬しているのは、電話すると必ずどんなに忙しくても「何か食べに行こう!」と必ず言って連れていってくれた男性の友人ですね。
その人には、いわゆる闇金にも
「一緒にいってやろうか?」
と言われまして、びっくりしました。これが何の見返りもなしでやってくれたんですよ。
結局、ごはんを食べさせてもらって冷静になれ、司法書士に相談したところ、
「なんかあったら、闇には強い宇都宮弁護士を出しますから」
と言われ、ちゃんと片付きました。
なので、前々回かな、一度は投票いたしました。
また、もう1つの話せない理由には、自分の体面や、会社で見せている姿とかけ離れたことはできない、そんな弱い姿を見せられるかどうか、という自制だったと思います。
洗面所に2時間いたときも、それなりに取り繕えてしまうんです。
大きな会社だと入れ替わり立ちかわりですから。
3日間眠れずに出社することもその後もよくありましたが、もうあきらめがついてきました。
でも、眠るときも、目が覚めたとき最初に思うことも、「いつ(お金を要求する)電話がくるだろう」という不安だけなんです。思いたくなくても思ってしまうことをやめられない。
地の底で、何もできずに横たわっているような気持ちでした。
そんな不安を親友にぶつけて、女子の親友を困らせたくもないし、自分の甘えではないかと思っていた部分もあったと思います。
4年ほど上記の男性の友人(男性なだけに、あまりヨロヨロはできないこともあり)を除くと、ほぼ一人で苦しんで、あるきっかけで「ためしに実家の親族に相談してみよう」と思って、ある親戚に極力状況説明だけにとどめ、手紙を書きました。
その親戚も、かかわることを躊躇ったそうですが、私のためにかかわってくれ、1年間、一緒に対処してくれ、その間一緒に行くことにした行政にも毎月足を運んでくださいました。
そのときも、極力明るく振舞っていたのですが、1年たったとき、その親戚が、
「さやは長年こんなことによく耐えた。これ以上対処していたらさやが死んでしまう。ここから先は、私が対応するから、さやはもうかかわらないように」と言ってくれました。
行政の方にもその親戚が話をしてくれ、私はかかわらずにすむようになりました。
実際、本当に苦しんだのは4年ですが、そのずっと前からこうなる予感がしてずっと不安だったことをその親戚が知ってくれ、いったん解放されました。
ただ、心底解放されるのは、相手が死んだとき、、、今もそういう気持ちです。
ただ、離れられるなんて思っていなかったのですが、その後、運よく会社が移転して電話番号が変わったり、うまく時機を見て、携帯を変えたりして、一応解放されました。
どれだけ私が逃げても、会社に怒鳴り声で電話があれば、私が対応せざるをえません。
本当にラッキーでした。
女子の親友に話せたのは、事が落ち着いて少したってから。
それも、しばらくは一人だけ。
似たような状況の苦しみをもつ一人にだけでした。
その親友にもpoohpapa様と似たようなことを言われました。
また、
「事がおきてから、場当たり的に解決しよう、と強く思って、さきまわりして心配しないこと!」と言われ、それも本当にそうだと思っています。
考えるのをやめることはなかなかできないんですけれどね。
自分が本当に苦しいときに、親友を苦しめるなんてできない・・きっとそんな思いで連絡できなかったのですが、一度連絡してからは、不安になるたびにメールしていました。
そのほかの友人には、私の不徳の致すところですが、当初は
「きっとわかってくれない。話したって仕方ない。自分で解決しなきゃ。」
という気持ちがあったのだと思いますが、話せたのはさらにしばらくたってからでした。
その後、ほかにも話せる親族がでてきてくれたりして、また、だんだんと本格的にその案件から離れることができ、やっと心が死から解放されていきました。
私もA氏も、事がお金に関することですから。
実際、話して離れていった人もいました。
「それは、(実家の)きぬ家の問題でしょ?」と。
それまでは
「さやのことは、なんかあったら面倒見るよ。」と言っていた人だったのですが(つまり、そう言って飲みに誘いたかっただけの人だったと思うんですが)、ためしに話してみて、友人ではなかったのだな、と見極めができて、かえってラッキーでした。
その言葉で、親戚に連絡してみよう、と思えたので、うまく転がったということですが。
長々すみません。
でも、きっと、A氏もそういうことで一人で苦しんだのではないか、と思うのです。
私は夢で相手を刺してしまいましたが、本当に殺してしまった苦しみはどれほどか。
ですから
「どうしてこんなことになってしまったんだろう」
と思われたとしても
「なんで自分がこんな目に」
とは思われなかったと思います。思いは遂げられてしまったのですから。
今になってみると、自分の「話さない」気持ちのうち、「話せない」という自制の感覚と、そこからくる自己崩壊のようなものはなんだったんだろう、と思うと、日本人らしい「迷惑かけちゃいけない」という雰囲気と、現代の核家族化がもたらしたことのような気がしています。
昔であれば、誰かにこういう苦しみがおきたら、おそらく隣組内で、少なくとも自殺や殺人はしないように何とかできたんじゃないかと思うんですね。
だからこそ、「まわりに迷惑かけちゃいけない」という雰囲気も生きてくると思うんです。
でも今は、特に都会ではわずらわしい人間関係がないかわりに、1つのコミュニティが1家族だけになってしまって、メンバーが減ると(たとえば私の場合は父も母もなくなっていました)そのコミュニティを維持できず、崩壊する。そうすると、その中にいる人間が、なにかあったときに崩壊してしまう危険が高いと思うんです。
なんとなく、私の頭には、人間が1本のちょっとやわらかい素材の柱で、それが集まって、輪を作る形が浮かぶんですが、昔は20角形とか50角形とかだったもの、それだけあると、1本欠けてもすぐ隙間を埋めて補って、似た形のコミュニティを継続できるんですが、3角形、四角形だと、もう1本欠けるとどうにもならなくなる、輪にするにはぐにゃっとまげて、もとのコミュニティとは似ても似つかぬ形に変わるしかない、という感じの印象なんです。
それなのに、相変わらず「他人に迷惑かけちゃいけない」というところだけは脈々と受け継がれていくから、それによっても追いつめられてしまう、、という感じ。
東京にこられた福島の方々もそういうところがあるかもしれないな、と思うので、少しでも、という気持ちもありますが、私は自分の汚い部分を突き付けられましたから。
少しでもきれいなものが見たいんだと思います。
子どもの頃、「思うだけでしたのと同じこと」と仏教の教えを習い、それが罪悪感になっているかな。
でも今は、思うのはやめられない、するのはまた別の一線がある、とはっきりと思います。
そこを越えねばならなかったA氏は、本当に苦しかったろうと思います。
まとまりなく申し訳ございません。
私なんかには想像もつかない壮絶な生き方をしていらっしゃいますね。
私はこの歳まで「鬱病」を患わないで生きてこられたのは、心の中でいつも「そんなこと言ったって、俺の所為じゃないよ」と開き直れたからで、さやさんのように自分で何もかも受けざるを得ない人、責任転嫁などできずに自分で受け止める人には避けられないご病気だったんでしょうね。
ま、その代わり、私は「鬱病」にはならずに「自律神経失調症」となって表れていますけど。
つくづく思うのですよ、「人は変わる、人は裏切る」と・・・。それも、わずかな金額や手間でしかないのに、簡単に裏切ったりします。私も何度も経験しています。なので、最近は「人間というものはそういうもの」だと常に自分に言い聞かせていますし、そういう事態になっても驚きません。もちろん、ガッカリはしますよ。こちらがいろいろ気に掛けていればいるほど「それはないだろう」と思いたくなることはありますしね。でも、人間、すべからく相手の有ること、なんですね。
私も、見返りを求めずに相手に尽くす(役立とうとする)こともあれば、見返りを期待することもあります。そもそも、商売なんて「見返り無し」では成り立ちませんし。
世の中、ただの一人も(互いに)信用できる友だちがいない、という人のほうが多いもの。さやさんはちゃんといらっしゃるのですから凄く幸せなんですよ。
でね、「人に迷惑を掛けたくない」という気持ちは立派ですが、相手からすると「どうして私に相談してくれなかったんだろう」と後で詳細を聞かされてガッカリすることもありますね。
これからは、遠慮なく声を掛けてみては如何でしょう。迷惑そうだったり距離を置かれたら追い掛けなければいいのですから。そうなっても相手を恨んだりしないでしよ、さやさんは。
言えるのは、「世の中、図々しい者が勝ち」ということ。奥ゆかしいのは美点にこそなれ利点にはなりません。傷つくことを恐れるのも愚の骨頂。イザとなったら自分が悪者になればいいのです。
私の強みは「人から(万人から)好かれよう」とは思っていないことと「人から嫌われるのも厭わない」ということで、だから得にならないことも率先して引き受けたりします。そのほうが人生楽しいですよね。さやさんがボランティア活動をなさっているのも、そういう感覚と通じるものがあるんでしょうね。
正直、生きていると「嫌なこと」いっぱい有ります。むしろ「嫌なこと」のほうが多いくらいで。でも、だから人生は楽しいんですよね。少しの「いいこと」が多くの「嫌なこと」を帳消しにしてくれます。
その「嫌なこと」と「いいこと」を帳消しにしてくれる触媒になってくれるのが・・・、
人とか、人とのご縁、なんですね。
私の好きな言葉、「今の状況を受け入れられる人は楽しめる分だけ得である」という言葉をさやさんに贈ります。お互い、前向きにポジティブに生きていきましょう♪
ありがとうございます。
胆に命じます。
今は、とても楽しいですし、幸せです。
だんだんと心が回復し、患ってしまったうつとは別の病気も回復したので、ボランティアでもやってみようかな、と思いましたし、私は根本的に、たぶん前を向いていけるのだと思います。
一番つらいときは、必要な外出以外は、家どころかベッドにひきこもって過ぎ去るのを待つ、という感じでしたけれど。
一番の親友にも、遅いと言われましたけど
「私だったら生きていたかわからない。生きていてくれてありがとう。」と言ってもらいました。
あとから話した友人の中にも
「次はもっと早く聞かせてね。顔みて安心させてね。」と言ってくれた子もいました。
本当に幸せだと思います。
また、闇金にまで手を出した人間がいても、それに対応できる宇都宮弁護士だとか、世の中いろんなすごい世界があるんだなあ、と自分の案件を離れて「へぇ〜」と思う部分もあり、興味深かったです。
そんな方がのちに都知事選に出られて「戦う都知事か〜」と思ったりもしましたし。
先々に活かせることもあって、一番の親友が苦しめらている相手、私の相手、双方が非常にそっくりな状況と生い立ちで、なんと中高が一緒。
2人の我々への主張もほぼ一緒。
これが数千万円教育費をかけられた人間の末路かと思うと、自分たちの子どもは、偏差値上の学歴だけをよしとするような教育は絶対しない、と2人で誓いました。
日本最高峰の学校に行ってもこうなんですから、人を育てるとか、どう生きていくことを教えるか、人をどう育てるのか、本当に難しいと思いました。
A氏の相手だった方も、そんないい土地をお持ちだったら、きっとお金を持っていた時期や人の上にたつであろう時期もあったでしょうに、他人をだまして追いつめるやり方ができる人間になってしまう。
上の立場にあるべき人間であれば、やはり心持も高くあってほしい。
せめて、自分の子どもには、そういう人間であってほしいと思います。
また、私は、この経験を心に秘めつつ、「苦しんでいる方は口に出せないもの」という前提で、人を見ていけたらなと思っております。
実際そうなんですよ。
一番の親友も、私に遅いと言ったくせに、自分が苦しめられている相手が収監された時には何も言わず、メールがぜんぜんこなくなり、おかしいな〜と思って何度もメールして無理に呼び出したうえで、やっと言った、という感じでした。
友達のことを少しでもわかるようなったので、そういう点で価値のある経験でした。
今日は電話も鳴らないので早じまいして先ほど帰りました(*_*)
昔、私の上司が私に「お前を自殺に追い込むのは簡単だ」などと言い放ちましたが、たぶん、その上司は私のことが解かってないんでしょうね。どうやら「線が細い、イジメれば潰れる」と思ったんでしょう。見掛けによらず、けっこう強かなんですけどね。ま、今は見掛けによってますが(^◇^)
さやさんとお友だちとの間には互いを思い遣る気持ちが溢れていますね。相手に心配を掛けないよう気遣っているのに、自分に相談するのが遅い、と怒っていたりして。
で、これから書くことは、さやさんを責めているのではありませんので念のため申し上げます。
宇都宮弁護士・・・、私はダメなんですよね。「人権派と呼ばれる人や団体」にアレルギーを持っていますので。それに、宇都宮さんは原発反対を主張していますよね。私がお世話になっている市議会議員が宇都宮さんを支持していますが、その方に「先生は支持していますが、(都知事選で)宇都宮さんを支持することはできません」とハッキリ申し上げたくらいで・・・。
この仕事をしていると、自分は弱者だと開き直って家賃も払わず居すわる人、それを支援する人権派団体や弁護士に嫌悪感さえ持ちます。そういう悪質な入居者と、対抗できない家主と、どちらが弱者か、なんて言うまでもありません。法の正義も公正な判断も無いのですよ、彼らには。居住権なんて、ちゃんと家賃を払っている人間のみ主張できるもの、滞納者が居住権を主張するのは間違いです。
宇都宮さんが、そういう人たちを弁護しているかどうかは不明ですが、私は人権派なんて人は信じません。助けるべき対象を誤っていて、当たり前の道徳観を持ち合わせているとは思えないのです。
闇金は社会悪ですが、こういう見方もできますよ。金利が不法に高い、と知っていても、他で借りられず仕方なく手を出した人は、それで助かった、という一面もあるハズです。後になって、「払いすぎた金利を返せ」は一方的かも知れません。
金利が高いと知っていて借りた・・・、今、問題になっているニュースと似ていますよね。
危険な地域だと知っていて踏み入った、というのと、ある意味、よく似ているのではないでしょうか。不法な金利だと知らずに借りた、危険な地域だと知らずに出掛けた、というなら話は別ですが。
人を判断する、という際には、いろんな角度から見る必要がありますね。さやさんが見ている宇都宮さんも私が見ている宇都宮さんも、一部だけしか見ていないで判断しているのかも知れませんが。
その昔、ユナイテッド航空の機内誌に氷山の絵が載っていました。海面に出ているわずかな部分と海面下の大部分が描かれていて、それを見て、「あ、これはそのまま人間社会だ・・・」と思いました。
人間、誰かを判断する際に、見えている上っ面だけで判断しますよね。実は9割くらいはその人を見ていない(見ることが出来ない)のに・・・。氷山が海面に出ていて見えている部分はほんの1割くらい、というのは人間と同じですね。そして、氷山も人間も、見え方は立場によっても違ってきます。
人を判断する時は、違う立場の人からはどう映るのか・・・、ということを加味する必要がありそうです。なので、宇都宮さんに関して言えば、さやさんと私とは違う角度(立場)から見ているんでしょうね。
気に障られたらごめんなさいね。私はとにかく「人権派アレルギー」なもので、すみません。
おはようございます。
小金井の森のなかのカフェで拝見しております。
そうですね、父の借金を片付けるとき、もうボケて字も書けず、どこに借金があるか言えもしないのに、どうにか相手を全部つきとめて、グレーゾーンの手続きをしてから私が全部払う、と司法書士さんが説明したら、
「向こうの言うとおりに払ってやってくれ」
と抵抗されました。
私は金融会社さんからしたら、なんて娘、でしょう。
結局、宇都宮先生にお出ましいただく必要はなかったように記憶していますが、相手からしたら、バックについている事務所、というだけでいやな相手だったでしょう。
父の借金だけでなく、ほかにもいくつかのトラブルのただ中で、先が見えない闇に入り込もうとしていた私には、何ヵ所もある相手先に闇金がある、というだけで恐ろしくなってしまい、司法書士さんに大丈夫ですよ、もしもの時は、とお名前を伺ったとき、本当に心強かったのを忘れられません。
でも、たまに街で
「基本的人権を守ろう」
と書かれているのを見ると、非常に違和感を覚えてもいます。
最終的に基本的人権をたてに守られているのは犯罪者側、という思いがあるからです。
その点では、自分以外のところではpoohpapa様と似た考えだと思うのですが、こと自分のことになるとダメですね。
仕事のようには処理できず、仕事場、プライベート両方の私を知っている夫に、能力の格差に非常に驚かれます。
反原発も、私も、さすが企業経営を知らない「先生」の言うこと、もし当選したらお手並み拝見、と思っておりました。
頭のいい方でしょうから、一般家庭の節電はともかく、企業がどれほどの不利益を被り、そのために外国との競争力を落としているかがわかれば、方向転換するはずだ、というよみもあっての投票でした。
ただ、震災当時、小学生だった娘が
「人間が、自然を恐ろしいと思うのは自然なこと。人が作ったものを恐ろしいと思わなきゃならないなんて。」
と冷たい顔をしてつぶやいたのを忘れられません。
一万人以上の工場勤務者がおり、その節電のための苦労や自家発電にかけた費用、避難区域内にも関連会社の工場があった企業にいる者としては、この損失、加えてこれ以上原発を止めることは、自分の会社として苦しいよりも日本として絶対にできない、と思いますが、一方で将来の夢として、安全なエネルギーが実用化されたら、と娘の横顔を思いだして願うのです。
なんだか変な方向にいってしまいました。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
娘さんが仰っている「人間が、自然を恐ろしいと思うのは自然なこと。人が作ったものを恐ろしいと思わなきゃならないなんて。」というのは、私は逆の見方をしています。自然災害は甚大な被害をもたらしますが、恐ろしいなどと思わずそのまま受け入れるしかありません。ですが、人間の作ったもの、というのは所詮どこまで進化しても不完全な人間の作ったものだから怖くて当たり前、理不尽なものでもあります。それが人間社会です。分けて考えるべきでしょうね。
ただ、小学生でそこまで考えられるのは凄いことです、ほんと。
ところで、闇金の話、よくテレビで「あなたが払いすぎた利息、取り返します」との法律事務所や司法書士事務所のCMが流れますが、私は疑問に思っています。昨日も述べたように、借りた側にも責任があります。普通ではどこも貸してくれなくなっている人に貸すのにはそれなりに条件が厳しくなって当たり前。向こうも商売で、それだけのリスクを負うのですから、後になって「法律の上限までの利息だけにしてよ」は無いものです。
なので、お父様が「向こうの言うとおりに払ってやってくれ」と仰ったのは正しい、と私は思います。もちろん、後が怖い、後で家族に怖い思いをさせたくない、ということだったかも知れませんが。
その昔、京都のホテルで、早めに予約した客の料金と、ギリギリで予約した料金が違っていて(ギリギリのほうが遥かに安い)、私が「そういうのは不公平ですよ。客は見てるかも知れないから、それなら先に予約してくれた客の料金もそれに伴って安くしたほうが喜ばれるものでは」と進言したら、ホテルの従業員は私のことをクレーマーだと思ったみたいで、このブログの読み手さんからも「それでいい、と思って予約したんだったら後で文句を言うのはおかしい」とお叱りを受けました。
私はクレームを言ってるのではなく、商売としてはそういうやり方のほうが得、ということを言っていたんですけど。安くなっているのを見た予約客が一旦キャンセルして予約し直せば安い値段で泊まれるワケで、それだとモヤモヤが残ります。後で知ったら、そのホテルは使わなくなったりしてね。
まあ、ホテルは「余計なお世話」としか受け止めなかったし、読み手さんからは私が「損得だけで文句を言っている」と受け止められてしまいまして・・・(^◇^)
なので全く事情が違う話なんですが、闇金の話と一緒にされたら辛いな、と思って書いちゃいました。
基本的人権・・・、慎重すぎるくらいに護らなければ済し崩しになるものなんでしょうけど、行き過ぎた人権意識は世の中を住みにくくします。それだけは間違いありませんね。
ヤクザ並みにえげつないと思います
これ、加害者も短絡的で、周りに相談できる人がいたなら防げた事件かも知れません。殺人は悪いに決まっていますし、殺してしまった人数も充分に極刑に値するのは仕方ないかとも思いますが、誠実に対応せず競売逃れ(競売による立ち退き逃れ)で汚い手段を用いて居すわりを画策した被害者はもっと悪質で、自分の愚かな行為で家族全部を道ずれにしてしまいました。私には同情できません。
こういう仕事をしていると、正直なところ「殺したいくらいに赦せない奴」の一人や二人はいるものです。今もいます。なので自分がこの加害者のようにならない保証はどこにもありません。一歩間違えば、なんです。この事件は他人事ではなく、いつも念頭に置いています。
深くお詫び致します。お手数をお掛け致しました。読んでいただけたらと思います。
この事件、もう40年近く前になるんですね。この事件とピアノ
騒音殺人事件は、今でも強烈に覚えています。
この事件後に盛んに書かれていたのは、残された長女が可哀そうということと、どうして競売物件に手を出したのかということでした。それに手を出すには素人すぎたのか。奥さんの父親は海千山千の人間で、到底相手出来なかったのかどうなのか。裁判を取り下げたのが致命的だったのか。
A氏は激高型の面もあったようですから、追い詰められた人間が何をするかわからない、それも考えなかったのでしょうか。
本屋で雑誌を立ち読みしていたら、葬儀の写真で奥さんの父親が映っていたようですが、それが間違いでないのなら、うっわ〜どうして葬儀に出て来られるのか、自分が殺したようなもんだとも思わないのだろうか、自分は悲劇の祖父だと思っているんだろうかと足ががくがくしたのを覚えています。後に裁判も傍聴していたようですから、葬儀にもでていたのでしょうか。
昔、祖父が借家をしていたらしいですが、後々に問題になったことは可哀そうだと思ったことかららしかったです。大金を使って出して、あの時に出しておけばと悔やんだことは何回もあったらしいです。
恩を仇で返す者などいくらでもいる、これは覚えておけと親に言われましたが。
最悪の結果になってしまい、かかわった全ての人間が不幸になってしまい、生き残った長女が今現在、幸福でおられるようにと祈ることしか出来ません。
気にして頂くことなどありませんよ。事件に真摯に向き合われてのコメント、大変嬉しく思います。
本当に有り難うございます。
実は、明日、5時半に家を出て茨城県の竜ケ崎市まで案内に出掛けます。桔梗さんからのコメント、軽い気持ちで返信することなどできませんので、返信は水曜日までお待ち頂けますでしょうか?
申し訳ありません、返信の順番も前後するかと存じますがご容赦ください。宜しくお願い申し上げます。
お時間の出来た時に、いつでも構いませんから。
自分で書いていながら恐縮ですが、重いテーマでありますので、慎重に返信させて頂きたいもので、相済みませんがお時間をください。でもって、返信の順番が前後しますが、ご了承ください。
宜しくお願いします。