男が言うには、「自分の家が、東京都の文化財の指定を受けているので増改築も儘ならない。面倒だから、そのまま保存していてもらって、自分たちはどこか貸家でも借りようと思う。家賃30万くらいまでで適当な物件はないかね」、と言う。
私が「お客さま」と言わずに、「男」と言っていることで、正体はお分かりと思う。
この男、全くの「偽者」であった。だが、男の名乗った名前は防衛医科大学付属病院副院長として実在していた。
実は、私は20年ほど前、その防衛医科大学付属病院で腎臓の手術を受けている。
で、そのことを話すと、「ああ、泌尿器科部長の○○ちゃんは同期だよ」、と親しげに言う。かなり内情に詳しかったのでコロっと騙された。私には人を見る目がない(爆)
適当な物件を紹介すると、「是非見たいから案内してくれ。今度の日曜日、11時に家まで迎えに来てくれないか」、と住所と電話番号を書いて帰っていった。家を探すのはお手のモノだし、事前に確認などしないで、当日、車で迎えに行った。それが誤りだった。雨の中、なんぼ探しても「副院長さん」の家は存在しない。で、書いてもらった自宅の電話番号をダイヤルしてみると、「お掛けになった電話番号は現在使われておりません」、という音声。そこで初めて「やられた」、と気が付いた。
これは一種の「愉快犯」である。かと言って、私が家を探し回っている様子を遠くから見て喜ぶ、という性質のものではない。あくまで、お店で「医者だ」と名乗った時の店側の丁寧な対応を楽しんでいるだけのものだ。だが、こっちにとっては「悪質な営業妨害」である。
念のため、防衛医科大学付属病院に電話を入れると、なんと本物の副院長が電話に出た。実在する名前であることがその時に分かった。本物の話では、「以前から私の名前でデパートに大量の品物が注文されて、中には届いてしまったこともある」とか。
このままではどうにも治まらないので、市内のデパートや金融機関に片っ端から電話して注意を呼びかけた。「意地」でもあるが、「ヒマ」でもある。すると、既に何件かは被害を受けていた。銀行では、やはり副院長を名乗り、「○○銀行に口座を設けているが対応が悪くていけない。こんどオタクに定期を移すから、その時はよろしく」、と声をかけて最敬礼に送られて帰っていったり、デパートでは、「病棟の全部の看護婦に記念品を配りたいので用意をしてもらいたい」、と発注までしていた。幸い、デパートが注文の量が多すぎるのを不審に思い、病院に確認して事なきを得たとか。
で、その中で最高に傑作だった話をひとつ・・・、
私が代理店をしている「損害保険会社」を訪れると、なぜか皆んな異常に明るかった。
「どうしたん?皆んなニコニコして、何かいいことあったの?」、と聞くと、
「聞いてやってくださいよ。今日はまだ月初めだというのに、一発で売上ノルマ達成なんですよ」、とのこと。「凄いじゃん。よっぽど大口の契約が取れたんだ」、と言うと、感極まった表情で、「長年保険の仕事しているけど、こんなことは初めて。真面目に努めていれば、いつかこんないい話がくるものなんですね。私も定年前に一花咲かせることができました」、とウルウルきている。
で、私が、「もうサインはもらったの?」、と聞くと、
「いえ、午後からなんですよ。お客さんの家まで行くことになってるんですがね」
既に契約書類や車の手配も済ませ、準備に余念がなかった。
私の時と似ている・・・。なんとなく嫌な予感がした。それで試しに聞いてみた。
「そのお客さん、もしかして防衛医科大学付属病院副院長って言わなかった?」
すると、「ええ、良く分かりますねえ。お知り合いで?」、と満面の笑みで言う。
壁のグラフには既に何列も折り返して太い赤線が引かれ、バラの花も幾つか付けられていた。何とも気の早いことだ。普通は契約を済ませてからだろう(苦笑)
私は一瞬迷った。知らん顔をしていて、私も「愉快犯」をやってみようか、と。
だが、相手は定年間際の真面目な営業マンである。
それで、今までのことを、慎重に、ゆっくり話して聞かせた。すると・・・、
「どおりで話がウマ過ぎると思った」、と、泣きながら大笑いしてくれた。
営業所の中は最初はシーンとなっていたが、すぐに爆笑の輪が広がった。
「お陰で恥をかかずに済みました。知らずに行っていたらどうなっていたか・・・」、と言ってくれたので、私もホッとした。
だが、私はお節介なことをしてしまったのかも知れない。
定年間際の老営業マンに、今しばらく夢を見させてあげるべきだったのだろうか。
【関連する記事】
事務所を借りたいけどそんな金は無いので、物置に使っている
部屋の半分を事務所にしました(笑)
僕はしょっちゅうマンガ雑誌を読んでいますが、最近
消費者金融の店長が主人公のものがあって、大学病院の
医者に金を貸して、だけどその人が突然亡くなり、回収に
行ったら、その人は偽者で・・・って話を今やってます。
損保会社の人との偶然もそうですが、奇妙な偶然を
感じました。
そのマンガは読んだことはありませんが、きっと同じようなことは日本中で起きているのでしょう。
その「副院長」も、病院の内情にあまりに詳しいので、元職員か、元入院患者か、あるいは出入りの業者、だと思うのですが、本物に人相や特徴や(クセのある)筆跡を示しても心当たりは無かったようで、真相は未だ闇の中です。
迷惑を被ったことより、騙された自分に腹が立ちますね。
コメント、有り難うございます。