2004年12月16日

私にとっての恩師 (中編)

中学2年の5月の始め頃だったと思う。

担任が同級生のO君に体罰を与えた。平手で張ったのである。原因はO君にあるが、どう考えても体罰を与えるほどのことではない。明らかに「カーッ」となってやったもの、と考えて、私はクラス全員に、担任の受け持ち教科の「社会」の授業を無期限でボイコットするよう提案し、クラス全員一致で決定した。担任が授業に来ると、「暴力教師は帰れ!」、と全員で叫んで追い返してしまい、それが2週間も続いて、そのまま中間試験に突入することになった。クラスでは、「今度の社会科の試験は全員、名前だけ書いて白紙答案を出す」、と決めていた。うちのクラスの結束は固い・・・、ハズだった。

だが、試験が始まると、どうも様子がおかしい。名前だけ書いて終える申し合わせだったのに、皆いつまでも鉛筆を置く気配が無い。「なんだよ、やってんじゃねえかよ」、と思ったが、言い出しっぺが約束を破る訳にはいかない。蓋を開けてみたら、本当に白紙答案を出したのは、私とK君の2人だけだった。頭にはきたが仕方が無いとは思った。その年から、公立高校の入試は「内申書重視」、という通達が出されていて、2年の通信簿から反映されると皆知っていたのである。それによりクラスの反乱はあっけなく終わることになったが、私とK君の授業ボイコットはその後も続いていた。

ある日、私とK君が職員室に入っていくと、中央あたりにいた担任が手招きをする。

担任は、大勢仲間の先生が見守る中、私とK君に、「俺が悪かった。明日から授業を受けてくれないか」、と深々と頭を下げた。もちろん、同僚教師はことの経緯を知っている。私は、頭を下げる先生を見て、「僕は大人に恥をかかせてしまったんだ」、と悔やんだ。誰が生徒になんか頭を下げたいものか、「事態を収拾する為にはそれしかない、俺が頭を下げて収まるならそれでいい」、心中はそんな思いだったに違いない。私が担任を、先生として本当に尊敬するようになったのはこの時からである。

さて、あんなに約束しておきながらアッサリ裏切ったクラスメートだが、互いにとくに険悪になることも無く、その後もまとまりのある仲の良いクラスだった。裏切り者の中には今も親友として付き合っている奴が何人かいる。そして、後で知ったのだが、有り難いことに、先生は私とK君の期末試験の成績を2倍にして一学期の成績にしてくれた。

ところで、その時の裏切りをどう感じたか、で、私とK君の進路に大きな差が出た。

K君は、「みんな、そんなに点数を稼ぎたいのか!、僕はこんな奴らには負けたくない」と発奮して、後に現役で名古屋大学に合格した。一方、私の方は、と言うと・・・、「いいじゃん、みんな事情があるんだろうから」と全く気にしなかった。私も怒るべきだった(爆)

その後、先生のお宅には行事の打ち合わせ等で何度も伺う機会があった。行くとお気に入りの音楽をかけてくれるのだが、曲目はベートーヴェンの第9、ハリー・べラフォンテの「バナナ・ボート」、荒木一郎の「今夜は踊ろう」、と決まっていた。ちなみに、先生の好きな女優さんはBB(ブリジッド・バルドー)であって、意外と肉感派だったが、奥様は普通の方である。先生の奥様はとても勇気のある女性だと思う。いくら「男は顔じゃない」、と言ったところで、旦那としては良いとして、子作りで必ず男の子が生まれるという保証はない。もし、女の子が生まれて先生に似てしまったらお嫁に行けないかも知れない。1人目の子供で(女の子であって先生に似る)確率は25%、2人目も生むなら確立は50%、ということになるから、他人事ながら本気で心配していた。

さて、2年続けて私の担任だったが、3年になると先生は他のクラスの受け持ちになり、そのクラスでその後の先生の人生を大きく変える不幸な出来事が起きた。

受け持ちの生徒、S君が自殺してしまったのである。表面上は明るく、クラスの人気者だったS君だが、志望校には届きそうになかったのと失恋したのが原因だったようだ。お腹と背中に電気のコードを巻きつけてタイマーをセットする、という方法だった。教師になって3年目の出来事だが、先生はこの時、「自分は生涯平教師」、と決めたようだ。3年前に定年退職するまで一切の役職に就くことはなかった。潔い、と思う。

さて、私がこの先生を尊敬するのには、もう一つ大きな理由がある。それは、日本中探しても、おそらくこの先生だけかも、というくらいの能力をお持ちだから、である。

(つづく)
posted by poohpapa at 06:00| エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする