2012年11月26日

人権アレルギー

私は、どうも「人権」という言葉を聞くと胸糞が悪くなる。ほとんどアレルギーである。

当たり前に公平な「人権」なら当然のこととして受け入れられるが、日本では過剰に、しかも不公平なまでに「人権に配慮されている」ように思うのだ。犯罪加害者に対しては被害者や遺族に対してより配慮されているし、まだ50歳前の働き盛りの人がちょっとした病気を理由に「(明らかに)働けるのに働かないで」生活保護を受ていたりする。最低限の暮らしを保障するのでなく、過保護になっている。

以前頂いたコメントで「私は働いているけど倹約して風呂なしのアパートで暮らしていますが、生活保護の人たちは働かないで私より良い部屋で暮らせるなんておかしいのでは」とあって、目が覚める思いだった。今まで私も、生活保護受給者の場合、単身者なら家賃53700円、世帯なら69800円という上限でなるだけ良い部屋を探そうとしていた。それは手数料を稼ごうということでなく、上限が53700円と決まっているのだから「それより安い(設備や環境が悪い)部屋を紹介したなら納得してくれないから」である。

現在、立川周辺では家賃が下落していて、一昔前だと53700円では碌な部屋が無かったが、今は4万円以下で風呂もACも付いている部屋がゴロゴロある。役所がどうして上限金額を見直さないのか不思議である。だいいち、生活保護受給者であるなら、「風呂もACも要る」というのは贅沢ではないか。最低限「雨風凌げる部屋」でいいのでは、と思うのだ。どう考えても、働いて税金を納めている人より生活保護者のほうが良い部屋に住めるのはおかしい。そう思わせてくれたのは先述のコメントであるのだが・・・。

役所も人権団体も「一般の人と同等の生活環境を保障するのが当たり前」と思っているのだろう。所詮は人のカネ、税金だから。ま、最近は市によっては「上限いっぱいの家賃の部屋を見つけてきたなら認めません」と言っている生活福祉課もあるようだが、それより先に上限を見直したほうがいい。私からすれば、うちの町なら4万円で充分だと思う。そうすれば家賃だけでも3割近く節約できる。或いは、その分の何がしかを状況や必要に応じて生活費に回してあげたほうが税金が生きると思う。


障害者に対しても厳しい意見を言おうものなら、まあ、昨日のように「虫唾が走った」などとコメントが入ったりする。先日の宅建多摩ブロックの研修に至っては「お客さんの本籍地を訊くな」「家族構成は記入させるな」「外国人の国籍は訊くな」などと押し付けられる始末。こんなことをイチイチ断るのも嫌なのだが、私は「外国人だから」という理由で差別したことも無いし、障害者だからといってぞんざいに扱ったことも無い。他の業者さんで申し込みすることになった場合でも「真面目な人だからくれぐれも宜しく」と電話でフォローしたりもする。もちろん、当社には一銭も入ってこないのだが、それでいい。

私が、一番言いたいこと、それは、

障害者や生活保護者が、不自由なく一般の人と同じ暮らしができるようにするのは、一般の人たちに対する逆差別になりはしないか、ということ。公共の施設などで「何でここまでするの??」という設備を見かけることもある。私たちは、過剰な福祉であっても何でも受け入れて温かく見守らなければならないんだろうか。そうでない人は冷酷、と決め付けられたりもするし。人権とか福祉とか、そういうものに反論するのは勇気が要ることで、そんな世の中そのものが既に「不公平」なものになっているように思える。こういうことを書くと人権論者から総攻撃(俗に言う炎上)を受けるかも知れないが、コメントはお好きにどうぞ。

私は「障害者は家で大人しくしていろ」と言っているのではない。健常者と障害を持っている人では、同じ目標や目的を持っていても自ずと手段や過程が違っていて当たり前、それを高福祉で同じようにできるようにすることが間違い、と思っているだけのこと。高福祉で至れり尽くせりの社会が公正で理想、とは思っていないのだ。生活保護者も障害者も、必ずしも社会的な弱者とは言えないし、そう決め付けてはいけないんではないか。なので、むしろ至れり尽くせりの社会にしてはならない、と思っている。北欧型の福祉が理想だが、日本で今から導入するのは難しいだろう。

ずっと以前、もう35年くらい前のこと、川越の駅前で女子高生が屯していた。そこにお年寄りが来て横断歩道を渡ろうとしていた。すると、女子高生たちはお喋りをやめ、サッとお年寄りのところに行き、手を取って向こう側まで渡り、また戻ってきて何事も無かったかのようにお喋りの続きを始めた。その姿を見て非常に感動した。後で聞いたところでは川越女子高校の生徒さんとのこと。実に立派な教育や躾けを受けている。

私は、それこそが福祉の原点だと思う。設備や道具やカネより、心、なんだろう。学校で自虐史観なんか教えるくらいなら、川越女子高校のような教育をしてみろ、と言いたいくらい。皆がそういう思い遣りを持っていることこそが最高の福祉になるし税の節約になる、と私は思う。少なくとも、人権だの福祉だのと尤もらしく主張している人たちこそが日本社会を不公平な社会に向かわせている、そう思えてならない。

尋常でなく過保護なまでの人権など世の中に無用である。
posted by poohpapa at 07:22| Comment(11) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どうして日本はこんな風になったんでしょうね?教育を1からやり直さなくてはいけません、60年かけて壊されたものを60年かけて元に戻しましょう。前にも申しましたが権利の前に義務が有るということが何故分からないのでしょうかね?ただし義務を果たそうにもそれができない人(病気の人や障害が有る人等)には配慮が必要ですが、その人たちもそれが当然というような甘えの気持ちを持つことなく、周りの人に対する感謝の気持ちを忘れないでほしいと思います。恥の文化や長幼の序等日本の良さをとり戻すには家庭、、学校の躾が根本だと思います、川越女子高の生徒には泣けてきます。
Posted by ボース at 2012年11月26日 09:53
『人権』と言うと、プロ市民の主張する社会権だけに特化してしまって、権利のみを主張する圧力的言葉のようになってしまったようです。
そう言う一方的権利の主張こそ他社の『人権』を損なうものなんですけどね。
社会生活においては、どんな些細なこともトレード・オフになってしまうのはしょうがないと思うのですが、何も手放さずに得ようとばかりするのは見苦しいと感じます。
アメリカでもロドニーキング事件以来、O・J・シンプソンが無罪になったり、妙な方向に向かっているようですが、民主主義の悪弊なのかもしれません。
Posted by ハリケーン at 2012年11月26日 21:18
ボースさん、おはようございます

権利と義務、自由と責任、というのは表裏一体のもので、どちらかが欠けていたなら人間社会が成り立たない、と思うのです。我々の年代では権利より義務が先に立ちますが、若い世代は先ず権利を主張する人が多いですね。例えば、私なんかは「家賃を払っていてこその居住権」と考えていますが、若い方は「賃貸借契約を結んでいるんだから」という理由でかどうかは解かりませんが、居住権を先に主張する傾向にあります。もっとも、これは若い人に限ったことでなく、年配の人にも見られます。

日本の教育、本当に根本的に見直さないと国が滅びます。諸悪の根源は日教組ですね。教育方針に関して言えば、真ん中よりやや右、くらいでちょうどいいと思います。今の親たちは自虐教育を受けていますから、今すぐ教育を変えても、日本の体質が変わるのに最低でも30年、概ね40年はかかるでしょう。いえ、既に戦後66年経っている今を考えたら半世紀は要するかも知れませんね。

少なくとも、国を愛する心、自分たちの日本という国に誇りと自信が持てるような教育が必要でしょう。

川越女子高校、学校もですが、それぞれの家庭での躾けも良いのでしょう。所謂、両家の子女が通っている、ということでしょうね。偏差値も70とか・・・。優秀であって気立ても良い、文句なしですね。

それに比べて私の娘ときたら・・・・・、やめとこ、悲しくなるから(*^^)v
Posted by poohpapa at 2012年11月27日 06:42
ハリケーンさん、おはようございます

人権というのは「常に平等にあるもの」ではない、と思います。基本的には誰にも平等な人権が有るとしても、義務を果たさなかったり、当たり前の約束事(契約)を守らなければ主張できないもの、と思います。我々の商売で言えば、家賃を滞納して逃げ回っている入居者と、約束を守って平穏に暮らしている人と同じ権利がある、なんてことになるとしたら不公平です。だったら家賃なんか踏み倒して生活していたほうがいいことになります。

裁判を起こせば出て行かせることは可能ですが、義務を果たしている家主にそこまでさせてようやく、というのではおかしいです。だいいち、悪質滞納者がいるとマトモな入居者の権利が損なわれることもあります。

何度も書いてますが、「人権」だの「平等」だの言われると一般の人はなかなか反論しにくいもの、黙ってしまいますが、ブロ市民はそういうところを突いてきます。論理の組み立て方がそもそも卑怯ですから。

まあ、先ず最初に平等な人権が有る、というのまではOKですが、人権は本人の状況が変わってもずっと同じく保障されるのでなく「そこから減算される」ことが有り得る社会でなければならない、と思っています。



Posted by poohpapa at 2012年11月27日 07:01
お久しぶりです、poohpapaさん。

これは以前知り合いに聞いた話なのですが、その方が信号を渡っているとき車椅子の方が
間に合いそうにない速度で前を進んでいるのに気付いたそうです。

それで、あわてて押しますねと声をかけて信号をその車椅子を押して信号を渡り終えました。
その後、車椅子を離れ右方向に向かって歩き出したら、車椅子の主から
「何しとるんや、あっちに押して行かんか」
と言い左方向を指差したそうです。

一瞬意味が分からずポカンとしたそうですが、あわてて
「私は逆方向に行くので」と言ったら、
さらに相手は「ええけぇ、はよ押さんか」と言ったそうです。

礼も言わず、無茶をいう相手に知り合いもさすがにムカッときたそうで、
「急用がありますから」と強い口調で言って、その場から走り去ったそうです。

こんな例はそうそうないとは思いますが、人権屋連中にかかるときっと、こんな例でも
普通のことだ、一度助けたのに途中で投げ出すなとか、助けることが当然なんだから
礼なんか言わなくても良いとか言いそうですよね。

実際現広島市長が就任直後に、被爆者の方は悲惨な体験をされて苦しんだと思いますが、
税金で面倒をみてもらっていることへの感謝の念は忘れてはいけませんよと発言した途端、
人権屋連中は、発言を撤回しろとか謝罪しろとか大騒ぎでした。
(結局広島という土地柄上、市長も謝罪せざるを得なかったみたいですが)

彼らの論理では援助は、してもらって当然、しないことが罪という考えが根底に
あるようです。

その結果、実際に援助する側が心情的に援助したくなくなることへは考えが到らない
ようです。(彼らにとってそれは関係ないのかもしれませんが)

個人的には、援助する側もされる側も気持ち良くできる社会に早くなってもらいたいものです。
Posted by タスク at 2012年11月27日 15:54
タスクさん、おはようございます

それ、ヒドイ話ですねえ。私なら、戻って行って、横断歩道の信号が青に変わるまで時間を稼いで、信号が青になったら交差点の真ん中まで車椅子を押して放置して帰ってきたかも(*^^)v

援けたのに不快な思いをさせられたんでは堪りませんよね。そういう奴がいると、今度同じような場面に出くわしても悩んじゃったりするものでしょう。まあ、そんな奴は稀とは思いますが、そういうのは他の車椅子生活者の方たちに迷惑をかけることになります。本人は全くそんなことには思い至らないでしょうけど。たぶん、もし目的地まで車椅子を押してあげたとしても「有り難う」の一言も言わなかったでしょうね。

以前、地方から来た母娘が志望校の説明会に時間までに行けそうもない場面に遭遇しまして、しかも相当な距離がありましたので「ちょうどヒマだから、車で送ってあげましょう」と言って送って差し上げたことがあります。最初から腰が低くて感じが良かったですし、もちろん、丁寧にお礼を言われました。手を差し伸べたこっちのほうが気持ち良い思いをさせて頂きました。お互いにプラスになっているんですね。

広島市長の発言・・・、言ってることは正しいと思いますね。ただ、そういう発言をすれば当然に批判は受けるもの。言葉の選び方や場面というものに配慮が及ばなかったんでしょう。これが橋下さんなら「当たり前の話じゃないですか」と突っぱねたでしょうけど(*^^)v

世の中で、「人権」というものを一番理解していないのが、実は「人権団体」の人たちなんでしょう。所詮、彼らは「人権」を自分たちの主義主張の為の「道具」としか考えていません。本当に弱者のことを考えている、とはとても思えません。先日の宅建研修の講師がいい例です。

広島市長の言葉ではありませんが、私も、生活保護者や障害を持っていて福祉のお世話になっている人たちは、せめて「その原資は一般市民の税金である」ということくらいは認識している必要が有ると思います。「低姿勢でいろ」「卑屈になれ」と言うのではありません。謙虚であるべき、ということですね。
Posted by poohpapa at 2012年11月28日 07:44
私もどちらかと言うと「人権アレルギー」と言えるクチに当てはまるものがあります。
人権と言うのも「人間性が歪んだ【あばずれ】へと転落させる【麻薬】」というイメージしかなく、女子層の大半がその麻薬もどきとと言える人権の所為で不良分子化してしまっています。背景には、左翼勢力による「甘やかし洗脳」が大きいでしょうけど。


どうしても人権欲しければ、先に所得税を払うのが筋であり、それをせずして人権を欲するのは【外道】でしかありません。そうです、人権とは「金で買うモノ」です。
Posted by 白田川 一 at 2015年08月25日 08:55
「キセル」(無賃乗車の意味)と言う語句は割とよく耳にしますが、無賃宿泊を意味する語句として「スキッパー」というものがあったりします(某民放系ドラマで改めて知りました)。
世の中、人権のキセル行為・スキッパー行為がやたらと跋扈(ばっこ)してしまっていますが、これを励行している政党が日共や公明といった【左翼政党】だったりします。こいつらが、女子層・障碍者層・老齢層を弱者扱いと言うことで甘やかし、【あばずれ】に化けさせているのです。言うまでも無いでしょうが、【あばずれ】とは「甘ったれたりして厚かましい不良分子」を意味します。そういう人間ほどに「国家社会の総会屋」となったりするものであり、泳がせば泳がすほどに【国家滅亡】に至る危険性も増します。


 人権キセル・人権スキッパーを断固として許すまじ!!!
そういう連中を繁殖させる左翼政党を、陸自の力で武力的に叩きのめすべし!!!
Posted by 白田川 一 at 2015年08月25日 12:27
白田川 一さん、おはようございます

人権派の主張をそのまま受け入れたなら、「逆差別」でしかありません。奴らにとっては所詮「税金」であって、人のカネ、なんですね。高齢化社会になるのは仕方ないとして、このまま日本が福祉大国になっていくとしたら、福祉で国家が破綻します。

生活保護者の半分くらいは税金を食い物にしていて自らの努力で少しでも負担を掛けないように、なんて意欲はサラサラありません。それこそがまさに「破たんした社会主義国家」と同じなんですね。

彼らにとって、日本が財政危機に陥ろうが破綻しようが、とことん「その時」まで福祉に集って生きるつもりなんです。そうなると何が起きるか、と言うと、本当に困っている人を救えない、ということなんです。立川市の生活福祉課も、そういう認識など全く持っていません。自分たちが食って行ければ、この国の将来などどうでも良いんでしょう。

「人権」、と言えば「誰も文句を言えない」免罪符みたいになっていますが、癌細胞です。それを振りかざす奴らも、ヤクザと何ら変わりません。

私の人権アレルギーが治ることは無さそうです。
Posted by poohpapa at 2015年08月26日 07:11
 御丁寧なるレスに感謝申し上げます。
ところで、オーナー様としては「人権を得るための所得税の納税ノルマ」が設定されるとして、最低でも(所得税を)年間何万円以上納税するべきであるとお考えでしょうか?是非とも、その辺のお考えを伺いたく思っております。
Posted by 白田川 一 at 2015年08月26日 15:32
えっと、ご質問の主旨がよく解からないのですが・・・、

「世の中の人権を得るためのカネ」というなら一銭も払いたくはありません。その言葉の下に、どれだけ不愉快な思いをしたか知れないくらいですから。人権を護るためにカネが必要とは思いませんし。

Posted by poohpapa at 2015年08月27日 08:03
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