2009年11月15日、といいますからもう3年ちょっと前の「こちらから願い下げ」という記事に、一昨日、愛理さんから寄せられたコメントに対する返信を兼ねて記事にさせて頂きます。
実は、一般の消費者がよく陥る勘違いや心得違いの要素が含まれていますので確認という意味で、です。かく言う私も、その手の間違いはよく犯していますので、人様のことばかり言えないのですが・・・
キーワードは「相手のいること」です。記事の中に何度も出てきます。
先ず、頂いたコメントの全文をコピペします。まあ嫌味な書き方ではありますがご容赦ください。
<<金持ちになる3欠く関係。
「恥かく、義理欠く、人情を欠く」
たしかに(^^ゞ
でも、それは同時に「友だちも失う」ことになりますよね。
これって商売の話でしょ?
金の話になれば商売相手(不動産屋)にはしわくなるのは当然じゃ?
ただでさえ不動産屋はブローカーで、大家と直取引できれば不要な存在なんだから
こんなことまでいちいち言うのはお門違いというか、
勘違いされてません?
私の周りにも職業柄、自営業者が多いですが、
皆商売相手や仕事の話では1円だって物凄い剣幕で下げさせますが、
そういった方はプライベート、嫁さんや友人、部下には大盤振る舞いします
それは「仕事」じゃなく「プライベート」だからです
プライベートでも金にしわいならせこい人間ですが、
おたくは不動産屋なんだから言ってることがおかしいです
資本主義の原則はあくなく利潤の追求、
買い手だって買い叩きますから、
言われたままの値段で買い手も我慢すべきなんて殿様商売は長く続かないでしょう
これが日本でずっと続いている「地主と小作人」の悪習慣です
地主は神様じゃありませんから、
そのおこぼれで生きる不動産屋はなおさらのことです
私は不当にふんぞり返っている大家や悪質不動産屋が大嫌いな性分ですので
敷金返還請求などを指南し、今後も日本の不動産の悪習をどんどん切り崩す活動をしていくつもりです
仕事のグチをこぼす前に私生活と商売でのお金に対しての姿勢、
資本主義の大原則を見直してはいかがでしょうか?
コメントの中で、
<<仕事のグチをこぼす前に私生活と商売でのお金に対しての姿勢、
資本主義の大原則を見直してはいかがでしょうか?
とありますので、もしかして私と面識がおありになるんでしょうか。私は、どなたかは分かりません。面識があるとしたなら、私の何をどこまでご存じなんでしょう?。面識がないとしたなら、私の私生活の金の使い方まで愛理さんに説教される筋合いはありませんよね。仮に面識があったとしても、私はどなたか分からないのですから、例えて言うなら、一対一で拳銃で決闘するのに私のほうは明るくて丸見えになってるのにそちらは暗闇にいる、ということになります。自分が誰かバレないところから辛辣で失礼なコメントを入れてくる、というのはネットの社会ではよくあることですが、おやめになったほうがいいでしょう。
これは私の場合の話ですが、私は人様のサイトを訪問して「自分とは考え方が違うな」と思っても反対意見を書き込んだりしません。「そういう見方もあるのか」と認識するだけです。ましてや誹謗中傷など以ての外。ただし、事実誤認などがあれば指摘することもあります。まあ、付き合いの程度によりますけど。顔が見えないのをいいことに酷いコメントを入れてくる人、実生活では小心者であることが多いでしょうね。
愛理さんはその記事を私の愚痴だとお読みになっていて、もちろん、私は愚痴話もよく書いておりますが、その記事は愚痴ではなく消費者に「こういうことはしないほうがいいよ」というアドバイス、もっと言うなら「すべきではありません」と意見している記事です。愛理さんが仰る「資本主義」以前の問題なんですね。
ご承知のように、今の賃貸市場は借り手市場であって、圧倒的に借り手に有利な状況です。だからと言って好きに何でも要求して良い、という話にはなりません。それが資本主義、自由主義経済だ、だから当たり前、と思っているなら、「相手がいる」ということを忘れていることになります。
私は記事の中のどこにも「言われたままの値段で買い手も我慢すべき」などと言っておりませんよ。「家主の足許を見てあれこれ要求するな」と言っているのです。自分が得するだけでなく「相手にも得して頂こう」という姿勢が大切だと言っているのです。世の中には経済が解かっていても商売が解かっていない経営者、たくさんいます。お客さんも、ですね。ここまでは愛理さんにはまだ理解できないかと思いますが。
家主さんの置かれている経済状況は様々で均一ではありません。家主さんによっては「ここまでは聞き届けてくださる」「ここまでお願いしたら審査が通らずに断られてしまう」という限界に差があります。どの家主さんとも20年以上のお付き合いになりますから私にはよく分かっています。それを踏まえて、お客様の希望をどこまで叶えられるか、そこは管理会社の腕の見せ所でもあります。こちらも商売ですから、話が纏まってくれるに越したことはありません。最初から「話が壊れても良い」前提での交渉はしません。
もちろん、家主さんの状況だけを考えるのではなく、お客さんの状況や希望にも配慮しながら「どこで折り合いをつけて頂けるか」を考えながら話を進めます。それが「相手がいる」ということなんですね。私がそのつもりでいても、お客さんのほうにそういう配慮が無く「あれもこれも」と要求されるなら、最初から交渉などしません。そんな人を入居させたら後で家主さんも当社も苦労するのが目に見えていますから。
いくら資本主義の世の中だからといって「限界まで交渉しろ。ダメならこっちから断るだけの話」という姿勢はよくありませんよ、と言っているのです。そういう考え方だと、かえって損をしますしね。
これは愛理さんには難しい話になるでしょうけど、以前の記事に「人に交渉事を依頼するなら、依頼する相手に裁量の幅を与えなければならないもの。『これで話を纏めてくれ。こっちは一切妥協するつもりはない』と依頼するのは失礼である」と書いていて、それと同じなんです。その時は家主さんでした。柔らかく諭しましたが聞いては頂けませんでしたので、最善をつくした後、お付き合いを切らせて頂きました。そもそも家主さんの出した立ち退き料の条件が非常識なものだったので私は入居者サイドに立って交渉しましたが。
でね、だいたいが、「資本主義なんだから当然」と言う人に限って逆の立場や状況になったら同じことは言わないものです。可能性としては低いですが、先々中国と一戦交えることも無いとは言えません。首都圏が焦土と化して住居が不足してくれば、その時は貸し手市場になります。焼け残った家主が「貸してやるけど礼金は4ヶ月もらうよ。敷金は返さないよ。家賃も以前は6万だったけど8万にさせてもらうよ。嫌なら他を当たっておくれ」と言っても、愛理さんは「資本主義なんだからそれで当然」と言うでしょうか。
私が言う「心得違いをしている人」というのは、資本主義だの自由主義経済だのを自分に都合よく解釈する人たちのことを指します。愛理さん、「私はそんなことはない」と言い切れますか?
私が目指しているのは「社会の経済状況がどうあれ、いつも同じ価値観で家主さんやお客さんと接する不動産屋」であります。中には気が弱かったり遠慮がちな性分で「言いたいことも言えない人」もいれば、「なんでもかんでも要求する人」もいます。言ったもん勝ちにさせるのでなく、家主さんとお客さんと、どちらかに偏って損をさせたり得をさせたりしないよう商売したいだけなんです。
幸いなことに今お付き合いさせて頂いている家主さんの中には「借り手市場だから」「貸し手市場だから」とかで「相手の足許を見て条件を変える」というような家主さんはほとんどいません。ほとんど、というのは、あと一人だけいる、ということなんですけど、その家主さんとも近々ご縁は切れると思います。
よく自分が金を払う客の立場だったり、下請け会社に発注する立場になると凄く横柄になる人がいますよね。そういう人に限って、仕事をもらう立場になると急にペコペコしたりしてね。友だちや職場の仲間なんかにもいるでしょ、そういうの。それで当たり前でしょうかね。私なら、愛理さんの知り合いのように誰かを締め付けて泣かせておいて家族や友人には大盤振る舞いするような人、友だちにはしませんね。立場によって横柄に接する人でしょうから、私からすれば碌な人間ではありません。
ふだんは下請けさんに厳しく当たっていても、年末なんかには「おたくも職人を何人も抱えているから大変だろう」と約定より早めて代金を支払ってやるような温情の持ち主とはとても思えないのです。約定通りでも文句を言われる筋合いはありませんが、そういうのも「相手がいる」ということなんですね。
愛理さんが不動産屋や大家さんを嫌うのにはちゃんとした理由があるのかも知れませんが、
<<私は不当にふんぞり返っている大家や悪質不動産屋が大嫌いな性分ですので
敷金返還請求などを指南し、今後も日本の不動産の悪習をどんどん切り崩す活動をしていくつもりです
どうも「不動産屋や大家は全部そう」と決めつけているようですね。私がどう話しても愛理さんの性格や考え方を変えることはできないでしょうけど、そもそもそんなことを言ってる時点で「自分は公正な人間ではない」と自ら認めていることになります。全国の不動産業者、ほとんどが真っ当な業者なんですよ。
ご自身の偏狭な価値観だけで「真面目に商売している不動産屋」に敵対するような活動をしていくのなら、愛理さんは幸せな人生を送ることはできないでしょう。コメントの文面から「閉鎖的で自分勝手な人間」ということがよく分かります。愛理さんがそう気づいた時には皆離れていってしまっていることでしょう。
私はこの歳まで生きてきて、何度もピンチを迎えましたが、その度にいろんな友人が損得抜きで支援してくださいました。思わぬ援軍が現れたりして・・・。それはたぶん、私もそうしているから、だと思います。そして、私がその時時で態度や言ってることが変わっていたなら誰も支援などしてくれなかったことでしょう。
たとえ世の中の状況や仕組みが変わっても、変えてはならないものがあります。私はお客様に対しても家主さんに対しても、友人に対しても、いつも普遍的な態度で接するつもりでいます。それが「信用」です。
再度言いますが、私が書いているのは「資本主義の原則」以前の話です。世の中すべて「相手のいること」です。資本主義の原則も、それによる立場の優位劣位も関係ありません。
愛理さんだけでなく、読み手の皆さんが、同様の勘違いに気づいてくださることを願っています。
「買っていただいて有難うございます」、「売っていただいてどうも有り難うございます」、と言う感じで商売ができたら、どんなにお互いに気持ちよく商売ができることか・・・。
あんまりえげつないことをすると、後でしっぺ返しを食うことになると思うなー。
そうなんですよね、今度こっちが困った時に快く対応して頂けなくなるものだと思います。こっちが優位な時でも腰を低くしていれば支援の申し出に対して「では遠慮なく」と言えるものだと思います。
私がよく言うラーメン店での話でもそうですが、おカネを払うから客、ではないんですね。お店はラーメンとサービスを提供していて、客はそれに対する対価を支払うだけのことですから対等なんです。それくらいのことでも勘違いする人のなんと多いことか・・・。
資本主義の原則と商売は似ていて非なるものがあります。実は全く別のものなんです。資本主義の原則には「消費者心理」は入り込んでも「人の心」が入り込む余地はありません。商売では「消費者心理」よりむしろ「人の心」が大切なもの、その違いが分からなければ息の長い商売はできません。
お客さんからしてみても「ハート」が無ければ、結局は得をしないものです。今の日本人、中国人ほどではありませんが、「自分が得すること、損しないこと」だけを考える人が増えてきました。嘆かわしいことです。
こういう人の頭の中では、企業の目的=利益の追求なんでしょうね。
ホリ○モンや村○ファンドが最終的にどうなったか。結局はお金に振り回されるだけで、幸せにはなれないでしょうね。
この方が言う「不当にふんぞり返っている大家や悪質不動産屋」というのは「資本主義は利潤の追求」と考えている一部の不動産屋さんたちの事だと思うのですが、「資本主義は利潤の追求」と考えている愛理さんと言う方も、「不当にふんぞり返っている大家や悪質不動産屋」と同類の方なんでしょうね。
こういう考えは持ちたくないものです。
・銀行は、人の預けた金を、他人に貸し付け高い利子をとり、預けた人にわずかばかりの利子を付けてはらう商売
・商社は、生産地、工場から安い金で商品を買いたたき、高く商店に売りつける商売
・百貨店、スーパーは、仕入れた安い品物を、高く消費者に売りつける商売
・弁護士は、困った人を助けるといいながら、うまくいっても、いかなくても、困った人から高い金を取る商売
どの職業が高尚であるとか、関係ないでしょう。どの職業も必要とされています。
UPされた内容は、商売云々、資本主義経済云々というよりも
まさに人間関係の基本だと思います。
良いお話をありがとうございました。
コメント欄をあけたら、
もう書くことがありませんでした(笑)。
ご挨拶だけで帰ります。
今回の記事はpoohpapaさんの人柄がすごく出ていますね。
僕なら完全に無視するだけだと思います。
でも、「袖振り合うも他生の縁」なのでしょうか?
少々お説教臭い気もしますが、まあなんて丁寧で親切なんだろうと思いました。
この記事の元になったコメントを書いた方はどう思われているのかわかりませんが、僕から言えることは「物事を見るスパンを適切に取る必要性があると思う。」ということです。 その都度つどの取引で利益を得ることも重要なことですが、もう少し長いスパンで物事を見て考えることも必要ではないでしょうか?
基本的にはpoohpapaさんの考えに同調いたします。
今回の件、おっしゃっていることはまさしく正論で、完全に同意です。一方で、個人的にはコメント書かれた方の気持ちもわからなくもないんですよね。私は不動産会社に勤める一介のサラリーマンなのですが、どうしても家主さんの立場をより重視して交渉に当たってしまいます。家主さんはいわばお得意様で、借主さんは一見さんであることが多いので、サラリーマンとしての立場上はそうならざるを得ない面が度々ありますので。我ながら情けない話なのですが。
企業ですし、食べて行かないと、いえ家族を食べさせないといけないので利潤を追求するのは当然ですが、企業には「業務を通して社会に貢献する」という側面も当然にありますよね。
取引上、有利な側にいる者が「何でもアリ」という感じでキツイ条件を課してくることには賛成できません。企業だって、あるいはどんなに好景気であっても、いつ何どき会社が傾かないとは限りません。そういう時に誰も救いの手を差し伸べてくれないような人間にはなりたくないものです。
不動産会社や貸主が本当に間違ったやり方をしていて、ということなら徹底的にやって頂いてかまいませんが、正当に商いをしていても、というのであれば正義漢を気取っていても社会の敵であります。
そういう人、けっこういますね、私も何人も知っていますが・・・。
どんな職業も裏に回れば汚いものです。ま、汚いことの一つや二つやっているものでしょう。私なんかは世の中で一番汚い職業は「銀行」と思ってますが。ですが、徹底的に潰してやろうなんて考えません。口座がないと困るし、できっこないし。
でね、短絡的に不動産屋や大家は皆ワル、と決め付けるのは如何なものかと思いますね。もちろん、我々不動産会社は今までに社会から信用されないような業態であったことは確かですが、現在は不動産会社の犯罪がニュースで聞こえてくることなんてほとんどありません。ずいぶんと浄化されています。
偏狭な価値観で生きていくと、結局は友だちも離れていくし、都合よく思ってくれる人たちだけしか周りに残らなくなります。実際にそういうお客さんや同級生を何人も見ています。人間、若いうちはまだしも、歳を取ってから一人また一人、と離れていくと、寂しい人生の末路しか待っていないものです。
社会経験、もっと言うなら苦労が足りないんでしょうね・・・。
そう仰って頂けると本当にホッとします、有り難うございます。
私も、この業界に入る前は、あまり良くない不動産業者に当たってしまって、「不動産屋は怖いなあ、自分は不動産屋にだけはなるまい」と思っていました。ご縁があって業界に入ると、お仲間さんはけっこう温かで、この業界をどう良くすべきか真剣に考えていたりします。
不動産屋は怖い、というのはあながち間違いではありませんが、どんな業界にも立派な人もいればそうでない人もいます。コメント主さんが良い不動産会社に出会って今の考えや価値観を改めてくれたなら嬉しいですね。何度も書いてますが、そうでなければ寂しい人生を送ることになるのですから。
お節介の暇人さん、今後ともどうぞ宜しくお願いします。
今までに7500件を超えるコメントを頂いておりますが、サイトのコメント欄を覗いてご自身がコメントを入れずにお帰りになった方はhortensiaさんが初めてであります(*^^)v
ま、それくらい、皆さんのコメントが理路整然とした正論でいらっしゃる、ということなんでしようね。
今度ゆっくり書き込んでくださいね♪
正直なところ、愛理さんのコメントを読んだ時には凄く寂しかったですね。たぶんお若い方だと思いますが、それでいて何故こんなに思考が固まっているんだろ、って。
まあこの記事は、丁寧で親切、と言うより、単なる嫌味でしかないかも知れませんが・・・^_^;
以前に、そうずっと昔に、このサイトに辛辣で無礼なコメントを入れてきた方がいます。その時、どうしようか、と悩みました。コテンパンに反論して潰そうか、無視しようか、いっそ削除してしまおうか、と・・・。
でも論理的な長い返信をしました。それでも、冷静な文章ではなかったと思います。そうしましたら、コメント主さんから改めて丁寧なお詫びのコメントが入りました。まるで無条件降伏のように・・・。私は「ああ、この人は大丈夫。同じような誤りは犯さないだろうし、きっと良い人生を歩んでくださる」と確信できました。そういうのはブロガー冥利に尽きますね。凄く嬉しかったです。
愛理さんはどうなのか、は分かりません。ここから先は本人次第ですもんね。
ま、私の「いつものお節介」が出た、ということでご容赦ください(*^^)v
私がこの業界に入って直ぐの頃、先輩業者から「客なんかどうせ一見なんだから、家主を大事にしなさいよ。家主は不動産屋にとって商品だから」とアドバイスを受けまして、「この社長とは付き合っていけないな」と思いました。言ってることは間違いではないんでしょうが正しくもありません。10年ほどして、その会社は潰れました。入居者からの評判が頗る悪かったので、まあ当然かな、と思いました。
私の方針は、家主さんとお客さんのどちらにも「いい顔」をする、ということではありません。時に利害が相反することがある貸主と借主の間に入って、妥当な落とし処を探るのが常です。しかも、どちらとも適当な距離を置いて、ではなく、どちらにもしっかりくっ付きます。双方の本音や状況をちゃんと把握しないと良い交渉事はできませんので。それが故に気まずくなることもありますが、その流儀は変えることはありません。
お客さんの状況が「今は家を買うべきでない」と思ったなら物件を一切紹介しませんし・・・。それで他の不動産屋で決まってしまう、ということがあっても仕方ありません。私一人しかいない会社であって私が経営者なのでどこからも文句は出ませんしね。
ただ、ストレスは溜まりますね。自分流を貫く、ということは・・・^_^;
不動産会社に勤めるサラリーマンですさんは使われている身なので、とてもじゃないですが「自分流を貫く」なんてできない相談ですが、いつか「揺るぎないポリシー」は持ったほうがいいかも知れませんね。
それにしても、焦る必要など全くなく、ゆっくり、ゆっくり、身につけるものですね(*^^)v
実は、今までも書きかけてやめたとか、
書こうと思ったけれど、同じようなことが書かれていたのでやめたとか、
何回もあるので、多分ほかにも同じような方が沢山いらっしゃると思いますよ。
いい読み手さんがいっぱいでいいですね。
そうだったんですか・・・(*^^)v
たしかに、自分が書こうと思ったことをどなたかが先に書いてると、「ま、いいか」と思っちゃいますよね。逆に、他の方のサイトで、先に入っているコメントを読まずに書き込んで、後で他の方のコメントを読んで内容がダブっていることに気付いて「しまった!」と思うこと、よくあります^_^;
ブログを長くやってるもので、いろんな読み手さんに助けられています。有り難いことで、感謝しています。
愛理とか言う人の反論を待ってコメントしようと思っていましたが、ブログ主さんの噛んで含めるような論調にグーの音も出ないようですね。退職する前の会社でもこの手の人間が増えたように思えました。自分の都合の良いことで理論武装して、それにちょっと弁が立つので始末に悪い。まだまだ知識経験とも浅いのでちょっとつつけばすぐにボロを出す。でも素直に謝れば何も問題ないのに、変に見栄を張る。これってやはり教育の問題なのですかね?’問えば一時の恥、問はずば一生の恥’ということを教えないのかな?
あんなふうなコメントを入れてくる読み手さんは、返信してもお読みにならないケースが多いのでは、と思いますね。何らかの返信があれば嬉しいですけど、無くても気にはしてませんで・・・。
返信記事、実は何度も書き直しました。「これでは陰険かな」「キツイかな」「別の表現にしたほうがいいかな」とか、いろいろ悩んでました。読み直してみると、まだ不充分な内容ではありますが、あの時点でのベストの内容、とは思っています。
私も、そりゃあ人様から「ここは間違っている」と指摘されたなら愉快ではありませんが、それでも先ず受け止めてから咀嚼します。それは若い方では難しいと思いますので、そこまでは求めません。そういうのを理解するには様々な人生経験が必要なものでしょうしね。
もし、間違っていたかな、と思ったなら、率直に非を認めて謝る、という姿勢も大切なんですけどね。ま、うちの宅建立川支部の偉い人たちを見ていても、間違いを認めるどころかウソで塗り固めて自己防御しているくらいですから、若い人たちに言って聞かせても難しいものでしょうね(*^^)v
ボースさん、いつも温かく見守っていてくださって本当に有り難うございます。