よくお邪魔している「たなぼた」さんのサイトで、『青森駅』♪というコラムを読ませて頂いた。
この曲、私もヒットの予感がする。
で、コメント欄を見ると、「木綿のハンカチーフ」に触れていらっしゃる(「悪徳」でもお馴染みさんの)コメントを発見(*^^)v
曲のイメージとしてはダブるし、どちらかと言うと、曲想としては「青森駅」の方がむしろ古い感じがして、三橋美智也の「リンゴ村から」、井沢八郎の「あゝ上野駅」、の次に来るくらいの感じで、「木綿のハンカチーフ」との間かな、と思った。でも、きっと当たるよね。
で、すみません、「木綿のハンカチーフ」、私は大嫌いなんです。
歌ってる太田裕美が、ではなく、歌詞の内容です。
都会に出て行った彼が変わっていくのが寂しい、その気持は分かります。きっと素朴で純真な女の子なんでしょう。でも、素直ではありません。初めてこの曲を聴いた時、「ああ、こんな女なら振られるわな」、と思いました。聴いててイライラしてくるんです。
相手に合わせる努力はしないで一方的に自分の思いを押し付ける。
彼が「こうしてあげよう」と言っていることに、「いいえ」が先に立って、ことごとく拒絶する。字数に制限はあるだろうし、所詮は歌でしかないけど、営業マンの私からすれば、「気持ち、有り難う、凄く嬉しいよ。でもね、私の希望としてはこうしてくれたほうが有り難いんだけどな」、と応ずる知恵が無い女は最悪、と普段から思っているから。
それで、なに?最後は「木綿のハンカチーフ買って送れ」だと!?
これは、振られるべくして振られた女だわ、彼氏の所為じゃないね。
いかにも「私は間違ってなくて、変わっていく彼のほうが悪い」と決め付けているような詞が気に入らない。
と、どうしても思ってしまうので(爆)
素直でないのは私のほうなんでしょう、きっと(*^^)v
※ 「木綿のハンカチーフ」をお好きな人の感性をとやかく言っているのではありませんのでご了解ください。これも、きっと私が「少数派」でしょう(笑)
2005年04月26日
この記事へのトラックバック
『青森駅』♪
Excerpt: マニ★ラバとかいうグループの唄う『青森駅』という曲が話題になっているらしい。 ま
Weblog: たなぼた
Tracked: 2005-04-26 09:03
ホームにて??都会への憧れ??
Excerpt: 昨夜帰宅の時間は道内の地方へ向かう夜行列車の出発時間に近くて、札幌駅はいつになく
Weblog: わくわく日記
Tracked: 2005-04-29 15:57
都会の華やかさに染まって欲しくないと思う気持ちはわかるけど、なんかこう…じっと待ってるだけの女という感じがしちゃうんですよね(>_<
たしかに字数に制限はあるだろうし、所詮は歌でしかないんですけど、この歌を聞くたびに、「彼氏の帰りをただじっと待つ女」イメージが膨らんできてしまいます。
ひねくれ者なんですかね(笑)
頻繁に拝見させて頂いてます。
いつも更新楽しみにして待っておりますので、頑張ってください!
その節はお世話になりました。また遅くなりましたが、引越おめでとうございます。というかありがとうございます(^^)。毎日楽しく拝見してます。
木綿のハンカチーフ...言われてみれば、そうですねえ。文字通り女々しすぎるというかなんというか。でもあの時代はそんな歌詞でもすんなりと受け入れられていたんでしょうね。
では、これはどうですか。
竹内まりやの名曲「けんかをやめて」。
http://music.j-total.net/data/016ta/007_takeuchi_mariya/009.html
歌詞中の「だか〜ら」はないだろ(笑)、と聴くたびに思うのですよ。
う〜ん、何ででしょうね。この曲に出てくる女の子はきっと「周りの空気や一歩先が読めない子」なのかも知れませんね。もっとも、今はこういう子は少なくなったでしょうね。耐えて待ちませんとも。
そう言えば昔の演歌は、どちらかというと都会に出た男が田舎で待つ彼女を思い遣る歌が多くて、そういう意味では詞は新鮮だったのですが・・・(笑)
それと、77年に歌手の沢田研二が(新幹線の、たしか改札口だったと思いますが)暴行を働いた時に、ラジオ番組でDJをしていた太田裕美が、「普通の人なら大した問題にはならないのに、歌手だからといって騒がれるのは(ジュリーが)可哀想」、と発言していたと思いますが、その時、「皆から注目を浴びているからこそ行いに気を付けるべき」、と疑問に思ったものです。「ああ、そういう見方をする子なんだ」、と。
いつもお読みくださり有り難うございます。
こちらこそ、その説はお世話になりまして有り難うございました。私の方は未だ方針も定まらず気の向くままに更新していますが、nemotaさんは着実に更新していらっしゃいますね、立派だと思います。
ところで、「けんかをやめて」は、河合奈保子が歌ってませんでしたっけ?オリジナルは竹内まりやだったのですね。知りませんでした、いえ、別にそれでも困りませんが(笑)
この曲は、nemotaさんのご指摘どおりだと思いますよ。「男を何だと思ってやがるんだ!何様だ!」くらいの話です。まあ、河合奈保子から言われたら許してしまいますが(爆)
コメント、有り難うございました。
Cyberです。
思いっきりズッコケました(超爆)
って、、、何で、今、この時、、木綿のハンカチーフを持って来ますか、、、、大ウケです。
確か、そろそろ30年近く前のヒット曲になると思いますけど(爆)
太田裕美さん、当時も「半分幸せなんだけど」ってキャラで売り出したと思います。
デビュー曲の「雨だれ」とか「幸せ未満」とか、「横浜ドール」とか、、、ってLP持ってました(恥)。
でも、宜しければ差し上げますが(爆)
相手の心を知ろうとせず、自分をひたすら押し付けるばかりの奴ら、、、多いです。
実は考えていた吼えログ一発目のネタがそれでしたもので、、二重に大笑いしてしまいました。
不謹慎かもしれませんが、とんでもない災害(人災)が有り、気持ちが沈む昨日今日、大笑いさせて戴きまして有難うございました。
金ドン賞5,000円です(爆)
はい、コトの行きがかり上、であります(爆)
私もねえ、オーディオは元家に置いてきたので、レコードはたくさん持ってても聴けないのですよ。かと言って、オークションなどに出したり、手離すのは忍びないですし・・・。お互い、辛いですね(*^^)v
さて、「相手の心を知ろうとせず、自分をひたすら押し付ける奴」、この頃ホント多いですね。それだけ、人も社会もゆとりがなくなっている証でしょう。
コメント、有り難うございます。
むしろ、poohpapaさんのような昭和40年代のフォーク・ファンであれば、「都会=派手でいけ好かない。自分を偽って暮らしている。悪人ばかり。」「田舎=質素で純朴。自分に正直に生きている。善人ばかり。」というステレオ・タイプなイメージに共感するものかと思っていました。
ので、私のこの曲に対する印象は、変わっていく彼に対する失望というよりも、彼を変えてしまった「都会」に対する哀しみ(憎しみ)といった受け取り方です。
待っているだけの女性というより、一緒に「都会」に行けなかったという感じ?
その内輪の事情(があるのかどうか知りませんが。)あるいは、彼が「都会」へ行かなくては行けなかった事情(彼が行きたかったのかな?)は、聞き手の推測なので、私の場合は主観的な脚色で少し好意的に捉えていました。
という訳で、そんなに嫌いな歌詞ではないです。
はっぴーえんどのファンでもないので、作詞家に思い入れもありません。
ちなみに、サイモン&ガーファンクルで一番好きな曲はスカボロ・フェア(Scarborough Fair)です。
この曲の歌詞に描かれている背景は、たぶんハリケーンさんの仰っているとおりかと私も思いますね。
私も、この曲の「メロディーライン」だけは好きなんですけど。そういう意味では荒井由実の「ルージュの伝言」と同じです。それに、私も田舎は大好きですが、「都会は汚れている、田舎は純朴」みたいに描かれるのは、「不動産屋は皆んなワル」と言われているのと感覚的に似ているようにも思えます(考えすぎかも^_^;)
私の高校時代に、歌手の長谷川きよしさんが、「どんなにキレイなメロディーの曲でも、詞の内容が良くなければ好きにはなれません」と仰っていて、当時は「メロディーが気に入れば曲を好きになる」という感覚でしたので、お話の意味を理解出来ませんでしたが、今は私もそう思えるようになりました。
以前も述べましたが、その曲を好きになるかどうかは、聴いていて、「あ、この曲と同じ思いの体験をしたことがある」とか、「うん、分かる分かる」と共感してのこと、だと思っています。ですから、「bPヒットになっていても自分は好きになれない曲」というものはあるものですね。
あと、詞の持ってるイントネーションとメロディーが全く合ってなくて、聴いていて落ち着かない曲も最近はよく耳にします。
で、実はS&Gの曲の中では、「スカボロ・フェア」は好きでない曲の一つでして、理由が「宗教音楽」を聴いているような気分になるから、でありまして、私はかえって気持が落ち着かないんです(*^^)v
もちろん、人それぞれにいろんな感性や嗜好があるものと理解していますので、ハリケーンさんの好みをとやかく言うものではござません(陳謝)
コメント、有り難うございました。
きっと私は、ケルト民謡のメロディが好きなんですよ。
「シン・リジィ」や「ジェスロ・タル」の曲が好きなのも同じ感覚ですね。
ケルト民謡風メロディはバロック風な感じなので、そこが宗教音楽(=教会音楽)なイメージを与えるのでしょうか。
私は、そこが好きなんですけどね。
あとは、ギター・フレーズで、マウンテン(レスリー・ウェスト)やマイケル・シェンカーのメロディ・ラインが好き。(・・・何っ聞いてない、とな。)
フォーク・マニアに分かり易く説明すると、ふきのとうの白い冬のエレキ・ギターな感じ。
嗜好は人それぞれなのに、妙にこだわっちゃいますよね。
なので、とやかく言われても、納得できるんでしょうか。(他人には押し付けません。*^^*)
S&Gの曲の中でも、「コンドルは飛んでいく」なんかは好きなんですけどね、微妙です。
それにしても、世の中便利になって、曲に風情がなくなりました。昔の歌詞は、「便りが途絶えて幾年過ぎた」みたいなんで当たり前でしたが、今は「携帯持ってんだからメールくらい入れられるだろ!」ですもんね(爆)
コメント、有り難うございます。
別ネタですが 話がつながったのでトラックバックうたせてもらいました。操作ミスで二重になってしまいました。お手数ですがひとつは削除していただければと思います。
そうですよね、私もこんなになるとは思っても見ませんでした(爆)
先ほど、惑さんの記事とご紹介先を拝見いたしました。松本隆さんという方はたくさんの作品を提供していらっしゃるのですね。私より2歳年長ですが、感性は若いですね。
高校時代はバンドも組んで作詞作曲もしたりしていましたが、才能は全く無かったので早々に諦めました。詞の書ける方は羨ましいです。
話題提供とコメント、有り難うございました。
惑さんの「ホームにて」経由でお邪魔しました。
(タイトルに惹かれて読んだら、関係ない「木綿のハンカチーフ」の話題だった(笑))
でもpoohpapaさん、これは「女が悪い」より、もともと男性(松本隆)の目線で見た女性像だから、女を云々するよりも、そういう女性をどういうつもりで描いたのか?その方を松本氏に問い正したいところですね。
最近はネタに困ってますので、何でもお題にしてしまいますので(笑)
松本隆氏はけっこうヒットメーカーのようですし、私も知っている曲はありますが、何故か好きな曲はあまり無いですねえ。どうしてでしょう。
情景描写に秀でているけど心理描写は上手くない作詞家、という感じがします。聴いていて、「うん、分かるなあ、この気持ち」という感じがしないのです。年齢は近いのですが。
車を運転しながら聴いてる分には平山三紀の「真夏の出来事」やユーミンの「ルージュの伝言」と同じく、ノリの良い曲だとは思いますね。
ちょっと古かったかなア(爆)
コメント、有り難うございます。
私は「ボブディランのパクリ」だということは知りませんでした。そうであってもなくても、好きではありませんが^_^;
谷村新司なんかは最初から「パクリ」を認めて売り出していたりしますから、もっと要領よくやればいいのに、と思ってしまいます。
コメント、有り難うございます。
平松愛理の曲ですね、私も好きではありませんね(*^^)v
いえ、新婚1年未満ならまあ許せますが、ちょっと浮気したら刃物持って追っ掛け回されそうで怖いですよね(爆)
私はこの歳ですから、抑えた愛情表現のほうが好きだなあ^_^;
コメント、有り難うございます。
それはコメントの内容そのものとは関係ありませんし、仰ってることはよく分かります。私も、なるほど、とは思います。ですから、ひろさんにもお読み頂けた頃合いを計って削除させて頂きます。
横レスも全部が削除対象ではありませんが、「>>ひろさん」というHNで、というのは私にとってはあまり愉快なものではありません。ご自身のHNを名乗ってコメントして頂けると嬉しいのですが。
どうぞ、ご了承ください。
市井の作家をパクッたんならまだしも相手は世界的アーティストだろ?タイトルのつけ方もオリジナルに倣っている、影響されて作ったと見るのが正しいのでは?パクリが糾弾される所以はそこに横着さが有るか無いかだと思う。これはB面に収録されていた曲だし、事実自分も洋楽は歌詞まで見ないからパクリ疑惑は知らなかった。ディランの世界観を日本語に演繹したひとつの作品としてみていいんじゃないか?過剰にパクリに固執する精神性は起源主張ニダと同じ次元だと思うわ。
あと嫌いって言うけどさ…
初っ端から彼氏が浮かれて、
いつか自分から離れていってしまうだろうことを感じた女が
「いいえ」なんじゃないの?
都会の絵の具に染まり素顔に口紅を塗ったくる男は、
着ているスーツを誇っても身体を気にしてくれる心に気づけなくなる
草に寝転んだあの頃の彼が好きだったから、最後にシルクでなく木綿のハンカチーフが欲しい、んでしょ
上っ面の華やかさに目を奪われ以前の純朴さとともにその象徴であった女を一緒に忘れていく寂しさを表した歌で、女がどーのとかカンケー無いんじゃない?記号だぜ?
フィンガーファイブが「和製ジャクソンファイブ」として大ヒットするような時代状況。昔の日本は、今の中韓と一緒か、それより酷かったんだよ。歌でも映画でもTV番組でもパクリが当たり前。
最後に涙拭くから木綿のハンカチーフを贈ってくれというくらいなら、最初から彼氏が贈ってくれるという贈り物も指輪も素直にもらっておけばよかったのに…。と何度聞いても思います。
余談ですが、私の父方の祖母は、私にいつまでも子供のままでいて欲しいと思っている人です。
私が中学生の時、歌番組に興味を持ち始め、好きなアイドル歌手ができて、そのアイドルに夢中になっていた頃
「歌手になんか夢中になっていかん。あんた、昔子供の頃、マッチ売りの少女とか読んでたじゃない。歌手になんか夢中にならないで童話を読みなさい」
と言われたことがあります。
この歌の
「スーツ着た僕の写真 写真を見てくれ」
「いいえ 草に寝転ぶあなたが好きだったの」
のところを聴くたびにそんな祖母が言ったことを思い出します。今でも祖母は健在ですけどね。
長文失礼しました。
長文なんて、とんでもないことですよ(*^^)v
当サイトに寄せられるコメントには万里の長城なみに長いコメントなんてザラでして、私もムキになって長文の返信を書いたりします^_^;
ところで、
<<私はこの歌自体は好きですが、歌の中の女性が嫌いです。何度聞いても「バカな女だ」と思います。
これ、私も全く同感なんです。曲自体(メロディライン)も太田裕美さんも好きなんです。ただ、この曲に出てくる女性が嫌なんですね。
ナンナンさんの祖父さんのお話、よく解かります。私も余談になりますが、高校一年の時、遠足でバスに乗って養老渓谷に行ったのですが、隣のクラスの話、皆が気持ちよく当時ヒットしていたフォークソング(反戦歌でなく恋愛もの)を歌っていたら、担任から「それが君たちが歌う唄かね」と言われて、いっぺんでシラケてしまったとか。以来、私も、その先生の数学の授業を受けるのが苦痛になりました^_^;
いえ、成績が落ちた言い訳にするつもりはありませんが(滝汗)
自分の価値観を主張するのはかまいませんが押し付けるのは良くないですね。とくに若い人に対しては、先ず好きにやらせて見守っていて、いよいよこれはアドバイスが必要かな、と思ったら、控えめに意見するのがいいでしょうね。
ところで、太田裕美さん、ずっと以前にラジオ番組の深夜放送のパーソナリティを務めていて、その当時、沢田研二が駅員を殴る、という事件が起きてマスコミで叩かれまして、そうしたら番組中で、「ジュリー(沢田研二)が有名人だから大した事件でもないのに皆に叩かれてて可哀相」と擁護してまして、私は「ん?、逆だろう。有名人だからこそ日頃の行いには気を付けなければならないものだろう」と思いました。
「木綿のハンカチーフ」に出てくる女性と、歌い手の太田裕美さんの価値観がオーバーラップされてしまったものです(*^^)v
私のほうこそ、無駄に長文になってしまってすみません。
私は勝手に一緒に行けない事情がある背景を想像して聞いていました。
そして歌詞から見ると、田舎の彼が好きなんであって都会の彼じゃ無かったのでしょうね
振られたというより、なるべくして別れたというべきでしょう。
<<振られたというより、なるべくして別れたというべきでしょう
その通りだと思います。
私は営業を長くやっていますので、「イエス バット」が染み付いていて、例えば、お客さんから自分と違う考え方の意見を言われても、頭から「それはおかしいでしょう」なんて言いません。「そうですね、そういう見方も出来るかも知れませんね。しかし、こんなふうにお考え頂いてみてはいかがでしょう?」ですね。先ず否定から入ると、相手は心を閉ざしてしまいますモンね。
この歌詞に出てくる女性は、彼が言うことにイチイチ「いいえ」から入っています。彼が好意からしてくれることも、全否定です。これでは「面倒くさい女」と思われても仕方ないでしょうね。
異性に愛されること、実はそんなに難しいことではありません。ただ、少なくとも、この女性は全く逆を行ってます。ナンと言いますか、別の誰かと結婚しても、きっと別れるハメになるタイプですね。
「都会で男を磨いて帰ってきてね、私も女を磨いて待ってるから」くらい言えれば良かったのに、と思ってしまいます。ま、それだと歌にならないでしょうけど^_^;
メロディラインは好きなんですけどねえ・・・。
あ、そうそう、次回にまたコメントを頂けるなら、HNを入れてくださると嬉しいです。その他大勢の「通りすがり」さんと区別できると有り難いもので。宜しくお願いします。
つまり、都会に出て徐々に大人になっていく少年と故郷に残った少女の対比です
歌詞の構成もキレイで、1〜4コーラスすべてにおいて
前半にて、まず彼女を気遣った後で贈り物とする男性と
後半にて、自分の気持ちを出してから、相手へ思いを伝える女性
という対比になっています
大人になって相手を気遣うことを学んでいく男性と
大人になりきれず、自分の気持ちを抑えきれない女性
皆様のご指摘通り、上手くいかなさそうな2人ですが
それはともかく、大人になっていく自分となりきれない自分というのは
誰もが思春期に経験したことでしょう
その経験を幼さの残っていた恋の顛末と重複させ
少ない言葉ながら情緒豊かに表現した素晴らしい曲だと思います
この曲を「嫌い」とされるのは、この女性の「大人になりきれない部分」に
嫌悪感や反発心をいだいてしまうのだと思いますが
その「大人になりきれない部分」を正当化している曲として見られるのではなく
「大人になるにつれて変わっていったご自身の恋愛観や価値観」にも
想いを馳せてみられるとまた違った味わいがあるかと存じます
以上、乱筆失礼いたしました
私と曲に対する見方は違いますが、長くブログをやっていて、失礼ながら、これほど見事なご意見や文章にお目に掛かることは滅多にありませんので感動しております。何かでちょっと自分と意見が違うだけで激しく誹謗中傷してくるようなコメントが入ることは多々ありますもので。
<<この曲を「嫌い」とされるのは、この女性の「大人になりきれない部分」に
嫌悪感や反発心をいだいてしまうのだと思いますが
う〜ん、そうではないのですよ。人間誰しも「大人になりきれない部分」を持っていますし、場面によってはそういう部分が出るものでしょうから。私が嫌っているのは、彼女が自分の理想や希望を彼氏に一方的に押し付けて求めているからなんですね。彼氏のほうも、彼女のことが好きではあるけど自分のことしか考えてないナルシストなんですね、この曲の中では。
<<歌詞の構成もキレイで、1〜4コーラスすべてにおいて
前半にて、まず彼女を気遣った後で贈り物とする男性と
後半にて、自分の気持ちを出してから、相手へ思いを伝える女性
という対比になっています
そうはなっていないと思いますよ。とくに彼女は直ぐ「いいえ」ですもん。
私が長く営業で生きているからでしょうが、「Yes-But」の手法や精神が身に付いていますので、この歌の主人公のように何でも「But」から入る人に対しては「やだねえ、こんな人(女)」と思ってしまいますね。
たかだか3分ちょっとの楽曲の中に「Yes-But」を盛り込んで見事彼氏とハッピーエンド、というエンディングに持っていくのは元々無理があるんでしょうけど。
先日、田舎(愛知県半田市)の中学の同窓会が開かれました。私は出席しませんでしたが、幹事をしていた同級生(女子)に後で労いの電話を入れていろんな話をしました。その際(話の都度)、彼女の口から最初に出てくる言葉は「解かるわ〜」というもので、そこから自身の意見を展開します。彼女は営業マンではありませんが、苦労をしてそれがしっかり身に付いていると分かります。営業経験など無くとも苦労をすれば「Yes-But」は身に付くものですしね。彼女と話をするのは48年ぶりでしたが感動しました。
実社会では、私の周りにも、ご主人に従順でいながら実際にはご主人を上手く操縦している聡明な奥様がいますし、私なんかは「人は変わる」「人は裏切る」そういうもの、と常に思っていて、この曲のように「都会で変わっていく男が悪い」「田舎にいて変わらない女が純粋」などと歌うのは何とも世間知らずでオイオイです。これで都会に出た彼氏が彼女のことを忘れて他の女と付き合い始めたというならともかく。ま、それでは歌詞にはならないものでしょうけど・・・。彼氏は当たり前に変わっただけで、そういう部分では何も悪くないのに悪者にされてますもん。もっとも、この曲に出てくる彼氏もあまり賢くはありません。このカップルなら、どのみち早晩別れていたことでしょう。よしんば結ばれても幸せにはなれません。
つまり、私からすれば「どうでもいいや、好きにすれば」というカップルを歌っていて、詞の内容に共感するものが無いのです。歳が知れるというものですが、昔の演歌の歌詞と大違いなんですね。
人間は「変わることも大切」「変わらずにいることも大切」なんだと思います。「変わっていってはいても大事な部分では変わらずにいる」というのが理想ですね。
この曲を作った頃の太田裕美さんはまだ若かったので、当時の彼女にそこまで求めるのは無理かも知れませんし、今の彼女なら別の切り口で書いたかも、とは思いますが。
自分も通ってきた道かも知れませんが、「木綿のハンカチーフ」、互いに自分の希望しか頭に無いバカップルを表現した歌、だと思っています。若者たちの(思春期の)淡い恋心を歌った名曲、と捉えることもできるのでしょうが、私にとってはNGであります。
それにしても、素晴らしいコメントを有り難うございました。
そういえば……とあらためてネットで木綿のハンカチーフを聴く
コメント欄で男が悪い女が悪いの議論があって驚く
リアルタイムで聴いてた時はテレビやラジオでかかるだけで、録音するかレコード買わないとじっくり歌詞を確認するまでいかない
かなり流行したのでフルコーラス歌詞はおぼえていたのですが、内容については漠然と都会に出た若者と故郷に残した恋人のかけあいだと
私は代々東京生まれ育ちなのでまず都会へ出る感覚がない
この歌を聴いてなぜ深刻になるのかわからない
指輪とかスーツとかのかけあいも恋人同士の軽いかけあい
家族同士でも友達同士でもこういうかけあいはある
最後のところも、
わり! なんかこっちが楽しくなっちゃってなかなかめんどうで帰れない! なんかさ、君のことも忘れちゃったりね……
ってくらいで
女性のほうは
んもぅー いつもそうなんだから! わたし泣くわ……涙ふく木綿のハンカチーフちょうだい!
ってくらいで、
3月に就職で都会へ出たとして、その年の夏休みには帰らず半年たった9月に指輪を送る
スーツ写真は木枯らしの頃で12月くらい?
新年にも帰らず1年くらいして、
わり! こっちの生活楽しくて君忘れちゃいそう
だけどその年の夏にはひさびさ帰郷で前と同じように楽しくすごすんじゃないかな
くらいにしか感じない
仲のいい級友だって卒業して別の学校進学すると妙な距離できたりするからねえ……
男女も当然そうでしょ
心理的距離が近づいたりまた離れたり
最後のわがまま
ってのは大げさにいってるわけで、ほんとうに別れ覚悟ならこんなこといわない
カップルのたわいないやりとり
サイト主さん、押しつけがましく感じたってんだけど、これも、都会の絵の具に染まらないで帰ってね、ダイヤも真珠もいらないわ、スーツねえ、かっこいいけど、昔の素朴なあなたが好き、くらいの軽い会話に思える
ってのが私の解釈ってか、感じたこと
ひどい男だ、これは都会にガールフレンドができたんだ、都会にはきれいな女が多いから誘惑される、って議論で
でも太田裕美、どう見ても都会のきれいな女で田舎からきたいけめん略奪するほうだろ
ってのは笑った
たしかに
松本さんも筒美さんも太田さんも東京出身
太田さん、東京生まれ、郊外の春日部に転居で寿司屋工場経営の裕福な家庭で子供の頃から音楽に親しみ音楽学校行きながらスクールメイツ
田舎の純朴な女性からほど遠い
ジュリー擁護はファンだったからでしょ
正直、古〜い記事にコメントが入るとゾッとします。たいていは誹謗中傷コメントなもので、ほんと。読んでいて、失礼ながら、Opus 0 さんはとても文才がおありだなあ・・・、と感心いたしました。
ところで、その番組は拝見しておりませんが、太田裕美さんみたいなタイプの女性は歳をとらないだろうな、と思いますね。童顔ですもんね。昨年末、立川のホテルでディナーショーをやってました。
本題に戻って、まあ、都心で生活し始めた彼が新しい恋人を作ってしまう、ということは「よくある話」で、そのこと自体は珍しいことではありませんが、この歌詞にあるやり取りだけで見たら、主人公はそりゃあ棄てられるわ、と思いますね。自分の価値観は変える気は無いみたいですし。私はよく言っているのですが、女は「いろんな花を飛び回っていても、あなたが帰るところはここ(私のところ)しかないのよ。好きに遊んで、羽を休めに帰っていらっしゃい」と構えていられるのが最強です。
惚気でなく、うちのがそういうタイプです。
曲調はテンポが良く軽やかで、ドライブしている時なんかに聴くと「ルージュの伝言」なんかと並んでスッと心に入ってきますけど、詞の内容は好きにはなれません。気持ちは解かるけど、単に、男心を解かっていない馬鹿な女の愚痴でしかありませんから。
その番組、後でティーバーで探して観てみます (^^♪
誹謗中傷は好みません
私のような「この歌、何も起きてないでしょ」という意見も、「冷たいやつだ」と思う人もいるでしょうね
「で? 仲のいい男女なんでしょ?」って意見の人は、「男が悪い」「女が悪い」という意見の人ほどは投稿しないから表面に出ないけど案外多いのかもしれません
文才というのが存在するとは思いません
ネット上ですごい書き手はたくさんいますが、何が彼らをすごくしてるかといえば、彼ら固有の経験です
現在は教育が発達してるので、多くの人が経験や考えを表現できます
番組は、うつみ宮土理さんが愛川さんとともに夫婦で親交のあった太田さんの仲人をした時のエピソードについてでした(URL貼ったが違反になったので、検索すればすぐわかると思います)
ですね
本作は、商業作品として、別離をにおわせているのはわかります
私も松本さんの立場で、プロデューサに、
「東京出身だから地方から出てきた若者の気持ちは書けないだろ?」
と挑発されれば、このようなものを書くかも
松本さんはでも、次作でハッピーエンドにしてますね
自身、「赤いハイヒール」が「木綿のハンカチーフ」のアンサーソングだと明言してる
盗作問題については、本作は完全に盗作です
この数年前に「よこはまたそがれ」がハンガリーの国民詩人の剽窃とかなり叩かれてたのに、なぜやったかなあ……と思います
しかもはるかに知名度の高いボブディランの作品からの剽窃
彼がノーベル文学賞を取った時、ネットで、
「ついに『木綿のハンカチーフ』ノーベル賞受賞!」
あおる人たちがいて、大笑いしました
本題について、これは歌詞だということです
多くの言葉が省かれてます
のっけの
「恋人よぼくは旅立つ」
も現実にはありません
もし本当にいうと、こうなります
男「恋人よ、ぼくは旅立つ」
女「あなた! どうしちゃったの……そんな演劇青年みたいな……舞台俳優になるために東京行くわけじゃないでしょ? 頭おかしくなったんじゃないの? もし東京行くのが大変で気が変になってるのなら東京行くのやめたら?」
この時代なら手紙でやり取り、時々電話ですかね
手紙として、現実のやり取りは、
男「こっち来てから半年たつけど、元気? ぼくもなんとか元気でやってる(このあと近況報告) こっちではね、指輪が流行ってるんだ。君にもひとつ買った。同封するよ。安物なんだけど、いまはこれでせいいっぱいなんだ。受けっとってくれ。あと数年して、もっともっと金持ちになって、ダイヤか真珠の指輪をプレゼントできるようなりたいな……(結婚を考えてるが、書かない)(以下略)」
女「指輪ありがとう! とってもきれい。私のサイズおぼえててくれたのね! 感激したかな。わたしも元気でやってます(近況報告が続く)。そっか。これからもっとがんばれそうなの……ダイヤや真珠の指輪、うれしいけど、無理しないで(むろん心には思っても「あなたのキスほどきらめくはずないもの」とは書かない)。わたしはあなたといられればそれでいいの(結婚したいという意味)。今は無理でも、そのうちあなたとそうなるって思うだけで十分なの(けっこうくさいけどこれくらいは書きそう。以下略)」
くらいで、問題になってるように無下に否定してるのではないと思う
こういういろんな過程が省かれるから歌詞では無下に否定してるように受け止められますね
スーツのくだり
「(いつものように近況報告)ところで、僕の職場の写真何枚か同封する。仲間はいい人たちばかりで、どうだい、ぼくも。スーツ着てると見違えるようだろう? 女性もうつってるけど、メイク濃い? 君今でもノーメイク?(以下職場の話題)」
「職場が楽しそうで安心してます。こちらはあいかわらずです(以下近況報告)。スーツ着ると別の人みたい! でも仕事大変なんでしょ。無理しないでね。ビル風っていうの? 都会では木枯らしがすごいとか、テレビのニュースでやっていました。仕事にはげむあなたを尊敬するけど、無理しないで。私はね、昔みたいにいっしょに草に寝転んでるあなたも好きだったから(くさいがこれくらいは書く?)(以下略)」
と、実際のやり取りはこんな感じ?
とパっと頭に浮かびます
これならpoohpapaさんの女性像にも合うのでは?
本作はたしかにメロディが印象的ですね
明るいから悲惨な歌にならない
当時の流行歌(歌謡曲)の破局ソングは、メロディが暗くて、はっきりと別れを述べてました
あの頃は愛だとは知らないでさよならもいわないで別れたよ 君と(「学生街の喫茶店」)
顔も見たくないほどあなたに嫌われるなんて(「人形の家」)
涙でつづり終えたお別れの手紙(「手紙」)
愛はあれからどこに(「積み木の部屋」)
今ではふたりからだ寄せても愛はかなしい(「甘い生活」)
君はどうしているのでしょう(「私鉄沿線」)
花梨花梨実らぬ恋 時が過ぎてもただ香るだけ(「花梨」)
などなど
これらに比べれば「木綿のハンカチーフ」は別れを暗示してるだけでずいぶんマイルドですね
というわけで、本作のストーリー、私がパっと思うのは、「いつも仲のいい、別々に住んでてもあいかわらず仲のいい男女、やがて結婚」です。
長くブログをやっていますと、突然飛んで来て、しっかり内容を読むこと無く一方的に非難する(噛みつき亀と呼ばれる)人はたまにいますね。そういう場合はサッサと削除してしまいます。基本的に、頂いたコメントには必ず返信する主義なんですが。たいていは古い記事にコメントしてきます。
「木綿のハンカチーフ」・・・、曲としては良く出来ているんでしょうけど、営業マンからすると気になるものですね。もっと上手く立ち回れば、上手く伝えれば、彼氏の気持ちを繋ぎとめることが出来るだろうに・・・、と思ってしまうんですよ。必ずしも遠距離恋愛は成り立たない、とは限りませんし。
そうそう、私が行きつけのファミレスの美人マネージャーさん、付き合い始めたばかりの彼氏が単身名古屋に転勤になったとかで、「遠距離恋愛はたいてい続かないよ。彼氏、寂しくなって、きっとそのうち向こうに女を作るよ〜。もう時間の問題だね」とからかってイジメております、爽快です (^◇^)
この曲に書かれた時代・・・、携帯電話も無く、やり取りは家の固定電話か、10円玉をいっぱい握りしめての公衆電話、または手紙、でしょうね。Opus 0 さんの書かれた仮想のやり取り、よく出来ていますね。そういうやり取りをしていたなら別れることもないかもですね。
手紙は、時間が掛かりますが、携帯やスマホでの通信手段が発達した現代でも、最高の愛情表現の手段になりますね。たとえ字は下手でも、綺麗な活字より心が伝わりますもん。デジタルは早くて便利ですが、だからこそ、時間が掛かるアナログのほうが効果が大きいこともありますね。などと、最近の技術の進歩についていけないことへの言い訳をしている自分がいる・・・(惨め)
Opus 0 さんが書き出してくださった歌詞のリスト、最後の「花梨」以外はスッと入ってきます。歳が知れますね。たしかに、当時の別れの曲は曲調も暗くて表現もストレートでしたね。私なんかはこれらに、「あなたに さようなら、って言えるのは今日だけ」(22歳の別れ)、とか、「もう 終わりだね 君が 小さく見える」(さよなら)を加えたいですね。ま、曲名が直接的ですけど。
<<本作のストーリー、私がパっと思うのは、「いつも仲のいい、別々に住んでてもあいかわらず仲のいい男女、やがて結婚」です。
そうかなあ・・・、私は「やがて破局」だと思うのですが・・・ (*^_^*)
私は、恋愛は傍にいてこそ、だと思うのです。抱きしめたい時にいつもすぐ傍にいる、でなければね。
ところで、いつも別れの曲を聴いていて思うのですが、演歌でもフォークでも、人は別れると何故北のほうに向かって旅に出るんでしょうね。別れて寂しいなら南国を旅したほうがいいものでしょうが、傷心で旅に出るのに必ず北国に向かう・・・、どうしてなんでしょう。まあ、失恋して一人タヒチを旅した、じゃヒットしないものでしょうけど、子供の頃から疑問に思っていました。
Opus 0 さん、歌詞だけでなくシナリオも書けますよ、きっと。
この場合は、もっと若い高校生くらいの男女で、取り残された女性側からというか、そもそも幼馴染というだけで、恋愛が成立してなくて、男の子が東京に越して、しばらくは文通があったが、それもとだえて一年
さすがにこれはだめでしょう
「22才の別れ」は設定がさっぱりわからない
伊勢さんは「なごり雪」にしろ、それほど明確なビジョンなしに書いてますね
「なごり雪」は故郷の大分の駅を思い浮かべながら東京を舞台にしたとのことで内容がぶれてるのかもしれない
かぐや姫でも、こうせつさんの「神田川」「赤ちょうちん」はプロの作詞家なのでストーリーがわかりやすい
「22才の別れ」について、5年交際した恋人を袖にして金持ちの男性と結婚でもするのなら、寛一・お宮かよ……といいたくなりますね
熱海の海岸散歩しながら、男が、
「来年の今月今夜も……再来年の今月今夜も……ぼくの涙で曇らせて見せる」
と女を蹴り倒しそう
おまけにひとつだけわがまま聞いて、って……木綿のハンカチーフくれならかわいげあるけど、変わらずにいろって好き勝手いってるな……これ嫁ぎ先の男性も搾り取るだけ取って、それを肥やしにのしあがるぞ。菜々緒に演じさせろ! って感じですね
でも、おそらく違う
交際はしてたけど、親の決めた相手と結婚するってんでしょう
交際が長い相手に、女性から、
「わたし……お見合いしようと思うの」
ってのは、100%、「プロポーズして」の意味ってのが世間の相場ですが、あるいは女性がその手を使ったのに、男性が気づいてくれなかったがゆえの悲劇かも
それにしても、22才で?
とは思うけど、伊勢さんの頃の大分はそうだったんですかね
たしかに、「22歳の別れ」は、突っ込みどころ満載ですね (^◇^)
22歳で「5年の月日」というのなら、付き合い始めたのが17歳のころ・・・。これが「32歳の別れ」なら納得ですけど、曲が作られたのが40年以上前だとしても、今時40歳過ぎまで独身でいる男女は当たり前ですし、そんなに好きなら「目の前の幸せに縋り付いたりしないだろ」と思いました。私も、この曲を初めて聴いた時には「金色夜叉」の貫一お宮を想像しましたですよ。
「あなたはあなたのままで変わらずにいてください」ってのも勝手ですよね。自分は心変わりしているのですから。どんな気持ちで他の男に抱かれるんでしょうね。抵抗があるのは最初だけかも、女だから。
30年程前だったか、NHKの朝の連続テレビ小説「澪つくし」で、主人公が終戦後に「彼は還らない」と思って他の男性と結婚した後で、彼が戻ってきて、泣きながら「今は別の生活があるから、もう来ないで」という場面なんかも、「なんだかなあ・・・」と思いました。いろいろ事情はあるのでしょうけど。今なら絶対に不倫に走るケースですよね。私なら、そう言われても思い切り抱きしめてしまうと思います。そうしたら、もう前に進むしかなくなるワケで、相手の家庭を壊してしまうことになります。そんな心情は歌詞にはならないか・・・。
「なごり雪」は、この後どうなるんだろ・・・、このまま別れるのか、また東京に戻ってきて結婚するのか・・・、ただ一時の別れならそんなに寂しがることもないだろうに・・・、と思ってしまいます。
まあね、そんな粗探しをしてもしょうがないことではありますが、かなりヒットした曲でも、「愛し合っているのに別れる」「愛しているからこそ別れる」というのが私はピンとこなくて・・・。一度だけそういう経験をしたことはありますが、本当に愛し合っているならどんな困難があっても別れるのは不自然。それで別れるなら何か理由があったんでしょうね。と、勘繰ってみる (爆
とにかく、今の時代とは大違いではありますが、「22歳の別れ」は曲としては好き、そういう曲はいっぱいあります。いずれにしても、人の心に沁みるのは「悲しい別れ」をテーマにした曲。てんとう虫のサンバ」みたいなハッピーエンドの曲は披露宴でしか歌われません。ノリは良くても「だからどうした!?」て感じで心に響きませんもんね。今はもう別の曲に取って代わられていますし。
で、この論議、切りがないのでこのへんで終わりにしませんか? (^_-)-☆
5年の交際で男30女22
そろそろ結婚……と思ったが、男にその気まるでなし
やけであてつけ婚
オーストラリア花嫁失踪みたいなことやらかしそうですね
もしかして・・・、ご自身の体験談? (^◇^)
オーストラリア花嫁失踪事件・・・、そういえば、ありましたね、そんなこと。この(入籍前の)彼女、一種の精神病だったんでしょうね。正常な判断力が無く自己中で。
この二人、すぐに別れたみたいですね。ちょっとググってみたら、彼女のほうは公務員と結婚して幸せに暮らしていて、彼氏のほうは職を追われた、とありますね。見る目がなかった自分が悪いんだけど。
ま、生きてるといろいろありますね・・・。
わたしに関しては、子供さえできれば満足という人ばかり寄ってきて種馬にされるだけで、ロマンティックな体験談はありません
澪標、古今東西類型数多く存在するテーマで、古くは伊勢物語第24段が有名でしょうか
双方自害という悲劇的結末が多いようです
<<わたしに関しては、子供さえできれば満足という人ばかり寄ってきて種馬にされるだけで、ロマンティックな体験談はありません
不謹慎ながら、それはまた羨ましい限りで・・・。ご自分の種を望んでくれる女子がいるのですから。
昔は双方自害、心中、ということが多かったようですが、今はそんな結末はほとんどありませんね。純愛、なんてものが無くなっているからでしょうか。どちらか一方が利用され傷ついて棄てられる、そんなのばっかですもん。まあ、必ずしも純愛でなくてかまわないのですが、日本人の意識も変わりましたね。