それでも、駅前の業者さんは話は別、「とにかく入ってみよう」というお客さんの飛び込みはけっこうあるようだ。うちに問い合わせてくる業者さんはほとんどが駅前に店を構えている業者さんで、では「当社も狭くてもいいから駅前に移転しようか」、という気は起こらない。なぜなら、利益は上がるかも知れないがそれなりに無報酬のサービス業務も増えるからで、数をこなすより気の向くままのんびり働くほうが性に合っている。私は「食っていければいい」のだし。それは、この2ヶ月の売り上げにもよく表れている。
新規契約10件のうち、7件が生活保護のお客さん、うち2件はホームレスだった人なのだ。恵まれない境遇に置かれている人たちの支援活動を続けていらっしゃる市会議員の先生や、市の社会福祉協議会の職員の方、病院のケースワーカーさん、そして生活保護仲間の人たちからの紹介で、である。「不動産屋に行くなら最初にここに行くといいよ」と勧めてくださっているようで、それはとても有り難いことである。生活保護のお客さんが来店していなければ、当社の経営は立ち行かなくなっていたのだから

ただし、せっかくご紹介頂いても全てのお客さんが成約に至るワケでなく、ご期待やご要望に添いかねる場合もある。基本的に紹介者の顔は潰さないよう心がけてはいるが、稀にお客さんを叱る時もある。先日も、私の25年間の賃貸仲介生活で初めて、案内中に客を叱ってしまった。たぶん、紹介者の方には真実を語ることはなく一方的に非難されるだろうが、紹介者にはとくに連絡はしていない。こちらが何か話せば話すほど「言い訳」になってしまって立場が悪くなるのは目に見えているからで、もし連絡する機会があったとしても「力不足でお役に立てなくて済みませんでした」と言うに止まるだろう。そのほうが次に繋がるし。
生活保護のお客さんは「?」が付く人なども多くいろいろだが、私はホームレスの人の部屋探しは大好きである。上手く纏まれば「この仕事をしていて良かった」と大きな満足感が得られるし。
実は先日、当社の管理物件に入って頂いている高齢者のお客さんが来店していろいろ話していたら、私のことを「仏様のような人です」と言って涙ぐんでいたが、一方では先日のコメントのように「仏罰を受けるよ」などと言われることもある。「仏様自身が仏罰を受ける」としたなら大いなる矛盾であるが、私は二重人格でもなければ不公正な商売をしているワケでもない。お客さんによって差を付けることはよくあるが、許容誤差の範囲だと思っている。相手に「心」があればこちらもそれに応えようとするのは人情だから、である。全部のお客さんに気に入ってもらえる商売など望むべくもないのだし。同じことをしていても、相手によってはとても喜ばれることもあるし恨まれたり嫌われることもある。それは価値観や立場の違いで仕方ない。
GWが明けたら、あと二人、継続中の生活保護のお客さんの部屋探しに再び着手することになっていて、正直、気が重い。どう考えても「保護の必要は無いのでは」と思える内容だから、である。
看板こそ掲げてないが当社は今「ワケあり専門不動産」になっている。だが、私はそれでかまわない

「仏様のような人です」「仏罰を受けるよ」、普段は大人しそうでであるが、きっと羊の皮を被った狼なのかも知れません。
出会ったところは、非常に良い点をついてました。
<<いつもダンボール生活寸前の私ですが、本当にそうなったらご相談させていただきますね。
何を仰いますやら・・・、occhanさんはもの凄い特技をお持ちですから「食い詰める」なんてことは有り得ませんよ。私なんかの取引主任者なんかとは比較になりませんもん(*^^)v
私個人は「ワケあり不動産」でも「悪徳不動産」でもかまわないのですが。大切なのは名前でなく実態ですから。そういえば、既に漫画で「ワケアリ不動産」というのがあるみたいですね。
不動産屋はもの凄い資産家とも社会の底辺を生きているような人とも接しますが、どちらかに特化するなら私は後者のほうがいいですね。もちろん、作業にはたいへんなストレスを伴うことになりますが、喜んで頂けますモン。ま、人生の帳尻合わせ、と言えなくもありませんが^_^;
私を「仏様のよう」と言う方は、そういう立場でいらっしゃるからで、そのまま「そりゃそうだ」とは思いません。逆に「仏罰を受けるよ」と言う方は、立場の違いと言うより宗教的な価値観の違いと何か大きな誤解があると思っています。いずれにしても相手の話を聞かずに「問答無用」という姿勢は良くないでしょう。
たかさんの「出会い」、たぶんキャバクラ、でしょうね(*^^)v