6月11日付けの朝刊の「編集手帳」欄に、こんな記事があった。感動したのでご紹介させて頂きたい。
(読売新聞を取っていて)お読みになられた方も多いと思うが・・・、
長谷川伸のニセ者が熱海の温泉旅館に泊まった。「旅先で金が不足して困っている」と、従業員の女性に無心した。金を用意すべく女性が実家に戻ったあいだに、ニセ作家はボロを出して御用となった◆話を伝え聞いた長谷川は、この旅館を訪ねて女性に礼を述べた。「一面識もない私に金を用立てる気になってくれて、ありがとう」と。長谷川門下の村上元三氏がある随筆に書いている◆「瞼の母」などで知られる長谷川は一家離散で小学校は2年しか通えず、早くから浮世の辛酸をなめている。他人の情けによって刻みの深い人生観を培った人ならではの挿話だろう◆ニセ息子が跋扈し、電話の相手は詐欺師かと、まず疑わねば身を守れないご時世である。女性の善意に発した軽率さと、その善意に知らぬ顔でいられない作家のこまやかな心と、どちらも妙に懐かしい。きょうはその人の没後50年の命日にあたる◆震災後、折に触れて胸をよぎる長谷川作の都々逸がある。<渡る世間は丁目と半目、善いと悪いは一つ置き>。そのたびに、「そう悪いことばかりは続かないさ」と肩を叩かれた、そんな気がする。 (原文のまま)
私が何に感動したかと言うと・・・、
未遂に終わったとはいえ女性が金を用立てようとした相手は本物の長谷川伸である。女性は長谷川伸本人だと思っていたのだから当然にそういうことになる。ならば自分と関係ないところで起きた事件であっても長谷川伸が女性に感謝したのは当然のこと。当時は現代のように顔と名前が容易に結びつかないもの。昨今ではそんな話が聞こえてきても「ネタにして笑うだけ」という有名人も多いのではないか。新幹線もない当時、有名作家がわざわざ熱海の宿を訪ねてその女性に礼を言った、ということに感動したのだ。
最近はそういう人、以前よりずっと減っていると感じている。不況とはいえ半世紀前とは比較にならないくらい物質的にも経済的にも豊かになったが、反面、人の心にはゆとりが無くなっている。私が言うと恩着せがましくなるが「アンタ、私によくそんなことが言えるよね(できるよね)」と言いたくなる人はけっこういる。裏切りは以ての外、見返りを期待しているのでもなく、せめて忘れずいてくれたなら嬉しいのだが・・・。
ちなみに、長谷川伸氏はこういう人、私でも子供の頃から名前を存じ上げていた。今の世を生きている我々には想像もつかない壮絶な苦労なさっていた方だと解かる。池波正太郎氏の師でもあったようだ。
合掌
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