(日付が変わっているので)昨日の夕方、お仲間さんを訪問していろいろ意見交換をさせて頂いた。
その中で出てきた言葉が妙に気になって、10時ごろ就寝したものの寝付けず、また起きて記事を書いている。ご本人も読まれるだろうから、そうすると気にされるとは思うのだが、どうかご容赦頂きたい。
私は立川支部の役員や執行部、最近の研修内容に対して常々批判的だが、その社長曰く「自分が考えているようにならないから納得できないでいるのでは」とのこと。社長は誰より私のことを理解していてくれる人ではあるが、その社長をしてその発言であるのなら、他の人ならもっとだろうな、と考えたのだ。もちろん、私のことを誰がどう批判しようがかまわないが、私はそんな子供みたいな思考回路の持ち主ではない。
どこの支部でもそうなっていそうだが、ここんとこ、支部は本部からの通達に唯々諾々と従っているだけで独自の考えや提案を発信することがなくなっているように思う。幹事会(旧理事会)を開いてもほとんど「異議なし」で用件の伝達のみで終わっているとも聞く。一般会員ならともかく、今の業界の有り様に対して何の意見も持っていない役員がいるならアホだし、意見を持っていても発言しないならもっとヒドイと思う。
私が「30人いる役員さんは個人的に付き合えばほとんどが楽しくていい人なんだろうけど、役員としては役立たずのポンコツだと思う」と言うと、「そういうこと(言い方)はブログでは書かないほうがいいと思う」との指摘も受けた。せっかくのアドバイスだが私はその件については従わない。「役立たずのポンコツ」というのは紛れもない事実だから。「それは違う」と反論できる役員がいるならいつでも受けて立ちたい。もっとも、「正しければ何を言ってもかまわない」とも思っていない。相手によりけり、である。
近いうちに書くが、今の業界は「何でもアリ」になっていて、このまま進めば業界の存続にも関わるような危うい事態に陥っている、と私は思っているのだが、支部も本部もそういう危機感はまるで無い。だいいち、役員の中で、末端会員のことを気遣い目配りしている人が果たして何人いるのか。ゼロとは言わないが皆無に近いのではないか。役員からして「自分の会社が儲かっていればそれで良い」とでも考えているのであろう。業協会は多くの会員業者の集まりである。会員業者の中には、大きな業者も、うちみたいな個人経営の業者も、経営者の高齢化でPCひとつ満足に使えないで後継難に陥っている業者もあるだろう。それらの業者が共存できる道を共に考えてくれてこその協会ではないのか。しかるに今、協会がやっていることは何なのか。
そして、役職に就いている年寄りたるもの、後進の人たちに間違いのない指針を示して遺してやることが役員の務めではないのか、と思うのだ。自分のことで精一杯なら役員など引き受けなければ良さそうなもの。
立川支部だけに関していえば、もっと悪いことに、会員に対して平気で嘘をつく人間が役職に就いているし、無能なイエスマンで周りを固めているようにも思う。誰か救世主が現れなければジリ貧になるであろう。
と書くと、「だったらオマエがやれ」と言う輩も出るものだろうけど、支部とはいえども執行部は「社長がいなくても社員が会社を回してくれる」とか、「社長が会社を空けていても経営的に困らない」といった業者の社長でなければ、志だけ持っていても務まらない。要するに、経済的に(経営的に)困窮していなくてヒマが作れる人でないとダメなのだ。つまり個人経営の事業者には無理ということ。そういうのも問題である。立川支部で言えば、宅建業の免許は受けているが5年間も実質的に不動産業を営んでいない人が支部長になっている有様だし、「いちおう選挙で選ばれたんだから」との意見もあるだろうけど、それは方法論の話、資質面で言えば「ちゃんと宅建業を営んでいる人の中に適任者がいなかったものか」不思議に思う。350社も会員業者がいれば、若くても大局的に物事を見られる経営者が誰かいたんじゃないだろうか・・・。
今の世の中、みんな「いい子」「物分かりのいい子」になろうとしていて、自ら火の粉を被ったり、誰かの捨石になろう、という覚悟の人間は少ない。実は私も、そういう気はなくなってきた。「打てば響く」相手でなければ努力するだけ無駄、と思えるからだ。広報委員会が無くなった後、何人かの役員さんに「委員ではなくなりましたが、何かお役に立てることがあったら遠慮なく仰ってください。何でも手伝いますから」と声を掛けていたのだが、すっかりテンションは下がっている。自惚れ、と言われそうだが、私みたいな人間が一人いればけっこう重宝する場面もあるだろうに、みんな怖がってて使いたくないんだろうな、とは思う。
本人に面と向かってもハッキリ物を言う性格だが、ブログ等で誰かを強烈に批判していたりすれば、いつかは我が身に返って来るのも承知している。私にとっては「沈黙は金」でなく「沈黙は卑怯」であって、いつか自分が潰されることになっても自分が信じた道を安易な妥協をすることなくこのまま進むしかない。
ただしこれは、私にアドバイスしてくれた社長の生き方や考え方を否定するものではない。人それぞれに立場や付き合いや考え方があるものだから、「自分が思っているようなことを言ってくれないから」ということで批判したりもしないし。私は、ダメなものはダメ、おかしいものはおかしい、と言っているだけである。
ここからは7時間経ってから書き足した部分、
結局、寝たのは今朝6時過ぎ、最後に時間を見たのが6時10分で、目覚めたのが8時10分。せっかく目が冴えていたので、業界のことだけでなくいろんなことを考えていた。横になって安静にしていると、良いアイデアが浮かんだりする。ま、転んでもタダ起きない性格なので
うちのが昨晩12時ごろ隣のリビングから寝室に入ってきた時に声を掛けたら、「まだ起きてたの?」と驚くかと思いきや、「鼾が聞こえなかったからまだ起きてるんだな、と思ってた」とのこと・・・、夫婦である。
そう、私の鼾が聞こえなくなった時は、私が「起きているか死んでしまったか」のどちらかであろう(*^^)v
どうしたんでしょう?
え?、荒れてますか??、いつも通りだと思いますが・・・(*^^)v
それは、価値観の問題でしょうね。傍から見ていて、「なんであんな些細なことで怒るのか」と思えたり、「あんなにまで言われていてどうして怒らないのか」と思えること、よくあるでしょう。あとは、同じことを言われても「誰に言われたか」で腹が立ったり立たなかったり・・・。人は、自分が大切にしているモノ(価値観)を否定されたり誤解を受けると、事の大小に関係なく憤慨するものだと思いますよ。
昔から、学校の規則や先生の言ってることが「おかしい」と思っても、常に学校に抗議するのは私だけでしたね。なので、学校側からの反撃も私一人で受けることになって、そういうのには免疫が出来ていますが、思うのは、「昔も今も、変わってないなあ、みんなイイ子になっちゃって・・・」ということ。
私は、「おかしい」と思っていても、誰かが言ってくれるのを待っている奴が一番嫌いなんですよ。もちろん、毎度書いていますが、人それぞれに立場や付き合いや損得なんかも絡んできますから、全てに対して批判的、ということではありません。その程度の包容力くらいは持ち合わせていますしね。
一昨晩は「腹が立って寝られなかった」のでなく「考え事をしていて寝られなかった」だけ、であります。
実は、一昨日2時間しか寝ていないので昨晩は強烈な睡魔に襲われるかと思いきや、零時すぎまで寝られなくて、今朝はいつもどおり早起きしました。やはり、いろいろ考えていて寝られなかったですね。
さて、今日は昼寝でもするかな♪