重いテーマでもあるので、Cさんの孤独死に関してはひとまずこれで区切りにしたい。この後は何かの動きがあれば随時書いていきたい。諸先輩には「そんなの何度も経験してるよ」と言われそうだが・・・。
さて、孤独死したCさんは我が身に死が迫っているのを自覚していたハズなのに何も「終活」などしていなかったようで、これからご遺族は大変である。もしかすると遺言書とか、PCの中にそういった類のものがあるかも知れないが、何と言ってもゴミの山である。正直、どこから手を付けていいか分からない。
家主さんにもご親族にも「こちらで全てやります」と言ったものの、何か出てくるか何も出てこないのか全く不明だから、業者が片付けるにしても、どなたかに立ち会ってもらったほうがいいのかも、と思った。
昨日、auの解約をしようとしてHPを見たら、死亡による解約は「死亡したことが分かる診断書等の原本」と携帯本体、届出人の印鑑が要る、とのことで、それらはご親族が預かっているので、解約はご親族の方にお願いすることにした。
居所の解からない娘さんへの形見に、小さな物なら当方で預かっていてもいいか・・・、と思っていたが、全てご親族にお送りしたほうがいいのかも、と思ったりして・・・。この件では、みんな誰も後々関わりたくない、というのが本音ではなかろうか。私はそう思ったので「当方でやります」と言ったのだが、auの解約でさえそんなだから、だんだんと気が重くなってきた・・・。何度も言うが、「傍迷惑な死に方」である。
性格としては、Cさんと私はよく似ている部分もある。非常に執念深いところなんか全く同じである。私もCさんも一歩間違えればストーカーになりうる性格では、と私は思っている。どちらも、仲良くしている分には頼り甲斐があって重宝するが、ひとたび怒らせたなら手に負えないくらい厄介な存在になる。
私からすれば「言いがかり」で「逆恨み」もいいところだが、Cさんの性格だと私に対する恨み辛みがPCに書き連ねられていても不思議はない。いや、きっと書かれているだろう。私は気にしないけど。
では、Cさんが我々に何も良いことを遺さなかったのか、と言うと、そうではない。身近で起きた事件だけに「終活の必要性」や「死との向き合い方」を考える良いきっかけを与えてくれたのは間違いない。ここ数日は我が家でも「死」に対していろいろ話すようになったし。
ハッキリ言ってしまえば「反面教師」である。猫との関わりにしても生き方にしても、全てCさんの逆をやれば幸せになれる、と思われる。正直、これはぜひ真似したい、というものは何も無かった。
ところで、私はうちのに「私が死んだらサッサと再婚してかまわないよ」と普段から言っているのだが、「再婚はしないよ。お父ちゃんの性格だと化けて出てきそうな気がするから・・・」と言われている。
たしかに、私の性格だとうちのが再婚したら夢枕に立つかも。うちのはよく解かっている。だが、本当に再婚はしてもらいたい。歳をとって一人暮らしをしていたら、最期はCさんのようにならないとも限らない。子どもがいて同居していれば心配ないが、では「その子供の最期はどうなるのか・・・」、ま、心配し始めたらキリが無いが、人間、明日のことは誰にも解からないのだから常に「備え」は必要だろう。
いや、もっと必要なものがある。死んでいく人にとっても残される人にとっても最も必要なもの、それは、
「覚悟」だと思う。覚悟というものは終活だけで必要なものでなく、日々の暮らしの中で何につけても必要なもの。平和で安全な暮らしに慣れてしまった日本人にとって「覚悟」なんて今はどこにもない。国を護るのにも暮らしを護るのにも、死んでいくにも残されるのにも、絶対に必要なものだろうに・・・。
私はこれから折に触れてCさんのことを思い出すだろう。「あんなふうにはなりたくないもの」と・・・。それがCさんに対する一番の供養になるのでは、と思うようになった。
私も趣味では蒐集癖がある性質なので、生前に手放すことができそうにありません。
今でもそれらを同好の士に譲り渡すことは吝かではありませんが、あげたものがヤフオクとかに出品されてたりするとちょっと心が寂しくなると思うので…
自分の葬儀にはそんなに人は集まらないだろうなぁ、と感じます。
父親の葬儀にかなり偉くなってリタイアした友人たちが沢山お別れに来てくれたのを見ているので、少し残念な人生かもしれません。
父親はちっとも偉くならなかったのですが、多くの人に慕われていたのだなと思って嬉しくなりました。
いえいえ、ハリケーンさんの葬儀なら大勢集まると思いますよ。私は参列しませんけど(^◇^)
遠すぎますし、だいいち、連絡も頂けないかと・・・。と言うか、私のほうが先ですもんね。
私もいろいろコレクションしていて、それらは私にとっては宝物ですが、他の人にはタダのガラクタでしかありませんもんね。唯一、貰い手が決まっているのはテレカですね。娘が「欲しい」と言ってます。ただし、テレカが欲しいのでなく、きっと換金目的かと思いますが。
うちのがいつも「こんなの、お父ちゃんが死んだらどうすんのよ」と言ってます。ヤフオクにでも出せば老後の生活費の足しにはなりそうですが。
ところで、私は「誰も来てくれない」のを恐れて葬儀はしないことにしています(おい)
今は、ただ合掌のみで。
その節は性別を勘違いして申し訳ありませんでしたm(_ _)m
余談、と言う事で、私の長〜〜い話も書いてしまいます。
私の2歳上の兄が亡くなったのは、昨年の八月十日、その頃私は社命に依り福島県で除染作業に関わる警備で長期出張中でした。
ただ、運転免許証の更新が必要となり、当月の8日に帰阪して居り、葬儀にも立ち会えた訳なのです。
背骨の難病で、兄は10年以上前から老人の様になって居り、仕事も出来なくなり、無収入でした。
煙草は止められなかったけれど、酒は一滴も呑まなくなりました。
かつて一晩にウイスキーをボトル二本も空けた事もあり、ラウンジにツケが有り、何百万も借金を作り、父に肩代わりさせた屑っぷりは欠片も無く、
晩年?は仏様っぽくさえなって居ました(物欲が殆ど無い)
白木の箱に納棺される時も、頭が蓋の邪魔になり、閉じる事は出来ませんでした。
斎場では、お骨は親子四人だけで拾いました。
焼かれてやっと曲がった背骨から解放された兄に、生前がどれだけ辛かったのだろうか?と、
自分なら自死していたかも?と改めて思い知りました。
私の兄も反面教師に違いありません。
でも憎悪は一欠片も無くなり、たわい無い話題で何時間も喋り続けた日々だけ、未だ忘れられずに居ます。
兄は自分の中では死なないのだなぁ、と思っています。
自分の終活も、ちゃんと考えなくては、、、
Cさんのご冥福を御祈り致します。
ずっと読んでいてくださったのが判って凄く嬉しいです。でも、ほんと、久しぶりですね(^◇^)
クマさんのコメントは、ま2さんの横レス、ということで私は読むだけにさせて頂きますね。その後の、ま2さんのコメントも同様ですね。
でね、今日の記事でも書きましたが、私はCさんの冥福なんてとても祈れません。そんな気になどなれるもんですか。焼香はしましたけど・・・。私にとってはそういう奴だった、ということです。
この間の久しぶりのコメント返信にCさんの〜という言葉があったのですが、何の事だろう?と思っていました。
随分と記事を読んでなかったのです。
ごめんなさい。
今日飛ばし読みをしていてふと目に留まったコメントの中の「エル」。
ハッとしました。
この一言でやっとわかりました。
薄情ですよね。
件の方は、私の今はほとんど書いていないブログで良くやり取りをしていました。
でも・・・
あるやりとり、正確に言うと私のブログへの彼からの要求が筋が違うと思い、その要求には従いましたが、それを境に彼のブログもまったく読まなくなりました。
彼はPCのプロでしたから、私が読みに行けばログで分かりますから、意地になって読みに行きませんでした。
そして私の環境の変化もあり、いつからかまったく彼の事は心の中からこぼれていました。
手間はかからない事だったんですよ、要求自体はね。
でも当時私はムッと来てしまったんです。
こういう事を許したらこれからも要求、と言うか甘えを許すような気がして。
ほぼ行きずりの私なんかが何をしたって、いえ、何もできなかったですが、それでも
かわいそうで。
かわいそうで。
彼の要求をのみ、その後シャットアウトした時。
深く考えていませんでした。
むしろささやかな意趣返しの気分で。
バカだ
バカだ
私も、彼も。
1日を大事に、と言う言葉。
その時その時を丁寧に、と言う誰かの言葉。
今ほど感じた事はありません。
泣けてきます。
率直に申しまして、彼は精神を病んでいたので、正常な判断力や価値観を持ち合わせていませんでしたね。私の家では、うちのがとにかく「ノルン命」でもあるので、ノルンのことを最優先で考えるようにしていて、家の中の家具の配置でさえ気を遣ったりしますが、そういうことで言えば、彼の部屋がだんだんとゴミ屋敷状態になっていくことがエルちゃんにとって「どれほど」のことなのか、全く配慮されてなかったのが信じられません。
体を壊していて、先に逝くことも充分に予測できたはずなのに、それすら配慮されていませんでした。
亡くなった時、というか1ヶ月半も経ってから無事に発見されたのは奇跡です。記事にも書きましたが、餌をどうしていたかは今も不明で、水は風呂場の浴槽にジーンズを洗濯しようとして張ってあった洗剤の入った水を飲んでいたようです。
何より、冷たくなって動かない飼主を見ながら、いつもの餌と水が無く、真っ暗な夜を迎えることがどれほど心細かったことか、今思い出しても涙が出ます。「お父ちゃん、起きないなあ・・・」としか解からなかったでしょうね、きっと。
時に、その最愛のエルちゃんでさえストレスの捌け口にしていたようで・・・。今、新しい飼主さんの下で幸せに暮らしているのが唯一の救いです。
本当は、悔しいんですよ。悲しいとか腹立たしいとか寂しいでなく、なぜか悔しいんです。
家族やペットのことだけでなく、自分のことすら考えられない人、私の周りに今も何人かいます。
葉山猫さんへのCさんからの要求・・・、なんとなく「あのこと」なんだろうな、と分かります。記事に書いてらっしゃいましたもんね。
昨日も、親族の方とお話していました。その親族の方(血縁はありません)にも大変な迷惑をかけた死に方をしているワケで、部屋は家財こそ出しましたがリフォームはまだ出来ていません。
あちこちに迷惑を掛けるだけの死に方、嫌ですね。何度も書いてますが、改心してあの世から「エルを助けてくれて有り難う」などと思ってくれているハズもなく、「ザマア見ろ!、困らせてやったわ」くらいに見下しているのは間違いありません。そういう人間性と病気ですから。
アイツに関しては、私は自分が死ぬまで悪口を言い続けます。それが私なりの供養ですね。
葉山猫さんがアイツのことで落ち込んだり反省する必要なんてありませんよ、それは間違いなく。