2015年07月13日

いいね、こういう清々しいニュース(^◇^)

主将と助っ人9人の文理開成5回コールド負け/千葉

<高校野球千葉大会:小見川19−5文理開成>◇11日◇1回戦◇青葉の森野球場

1人だけの野球部員、高橋空聖(ひろき)主将と助っ人9人の文理開成が、19失点で5回コールド負けを喫した。3回には7安打に8四球、3失策と守備が崩れ、16失点。それでも、部活動に所属していなかった助っ人の4番黒川英充捕手(3年)が2打席連続本塁打を含む3打点の活躍で、一矢報いた。

 今年4月から文理開成に転入。前校では1年の冬まで野球部に所属していた黒川は「2本とも完璧な1本でした。大差で負けたけれど、楽しめました」とやり切った表情を見せた。

 遊学館(石川)時代の05年に甲子園でベンチ入りした角田佳昭監督(28)は「もしかしたら勝てるかも、という気持ちが3回の大量失点に出てしまった。高橋は3年間、1人になってもよくやり続けてくれた。黒川も真剣に取り組んでくれた成果が出た」と選手をねぎらった。

日刊スポーツ 7月11日(土)22時1分配信


まるで青春ドラマのようなお話。文理開成のナイン、負けても清々しい気分だったことであろう。それにしても、主将一人を除いて他の9人は全員が助っ人、しかも、その助っ人選手の一人が2打席連続ホームランというのも凄い。うん、やはり、少し話を膨らませればテレビドラマになりそうるんるん

舞台は東北の片田舎の高校。他校との練習試合に「出れば負け」の連続で、このままでは将来にとって何の得も無い、と部員は一人また一人と退部していく。野球部には美人マネージャーがいて選手の相談相手にもなり説得もしていたが、ついには部員が3人になってしまう。そんな中、隣町の高校との併合があって生徒数が増えることになったが、元々その高校には野球部が無かった。マネージャーはバレー部や陸上部など、他のクラブの生徒に応援を頼む。なんとか数だけは9人集まったが、野球に興味があったワケでなく、選手は皆、マネージャー目当て。紆余曲折はあったが県大会予選の初戦を迎える。

どうにか2回戦までは勝ち進むのだが、3回戦からは強豪校とも当たることになる。「もういいんじゃないか」と闘う前から諦める選手たちを見ていて、マネージャーはある秘策を思いつく。それは・・・、


言っておくけど、青春ドラマなんだから、続きは単なる「色仕掛けの繋ぎ止め」じゃないよ(^◇^)

まあね、地方予選(県大会)の決勝まで奇跡的に勝ち進んで、決勝戦で甲子園常連校に挑んで散る、というのが筋書きとしては過度に漫画チックにならずに涙を誘えて感動的になるかも。

縦糸はそういう感じで、横糸は家族との絆や確執がテーマ。母子家庭あり大家族あり、無理解な両親や野球部には全く期待していない地元の人たち、思わぬ進撃に掌を返す学校側、などなど。昔は「東芝日曜劇場」なんかでそういうドラマをよくやってたけど・・・、今は不正経理でそれどころじゃないしわーい(嬉しい顔)


ずっと以前に書いていたと思うけど・・・、

助っ人、という話で半世紀前の中学時代を思い出した。私の通っていた半田中学のコーラス部は部員数が不足していて、そのままではNHK全国学校音楽コンクール合唱の部に出場することは出来なかった。そこで顧問の掛埜先生が音楽好きな生徒に声を掛けて即席の合唱チームを作った。私もそのうちの一人だった。

ほとんど遊びのつもりだったが、その寄せ集めチームが、なんと、15校くらいが参加する尾張南地区大会で学校創立以来初めて優勝したのだ。最初の予選である尾張南地区大会の優勝校は常に亀崎中学で、半田中学校は過去に3位に入賞したことが一度あるだけ。それがまさか優勝してしまうとは・・・。県大会への出場切符を手にし、名古屋のNHKホールで行われた県大会で3位に入賞してしまった。それには自分たちが一番驚いた。

自発的に行っていた早朝の練習は、最初のうちこそ顧問の先生も来ていたが、そのうち全く顔を見せなくなった。良く言えば「生徒の自主性を尊重した」ということだが、本音ではきっと面倒くさかったんだろう。その掛埜先生も昨年お亡くなりになったと聞く・・・。

今度帰省したなら墓前にご焼香させて頂こう。

posted by poohpapa at 05:08| Comment(4) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その4番の助っ人知ってるかもしれません。
柔道部で肉体労働者みたいなでっかい弁当箱持っているはずです。
確か葉っぱ咥えた巨漢も一緒に連れてきたはず…
Posted by ハリケーン at 2015年07月13日 10:29
ハリケーンさん、こんにちは

私も知ってますよ〜。新聞配達しながら病気でやつれたお母さんの生活を支えた歌を歌ってた人と同じ名前ですよね。

まあね、元々は野球部にいたと言っても、2打席連続ホームランは凄いです。

きっと、卒業後もみんな集まったりするでしょうね(^◇^)
Posted by poohpapa at 2015年07月13日 11:36
半田中学時代のお話、羨ましいです。
とてもドラマチックですよねー^ ^

私の音楽活動で、最初に華々しい場所で演奏したのが、寝屋川市民会館と言う立派なホールで高専祭でした。
其処でフラットマンドリンで演奏したインストが、当時の先生方の話題になった事は、照れました。何しろ音楽室の助手をしていた女性から『良かったら教えて下さい』と言われた位です、恐れ多くて逃げましたが(笑)

本編の、野球のお話も素敵ですよねぇ^ ^
コールド負けでも5点の反撃は効いてますよ、良い想い出になった事でしょう。
パパ様の妄想小説も読みたいな〜(ハリケーン様のつっこみ付きで、、オイ!^_^)
Posted by 街のクマ at 2015年07月14日 03:42
クマさん、おはようございます

遠い昔の話なので、よけいにドラマチック、夢の中の世界になるものなんでしょうね(遠い目)

コーラス部の話、顧問の先生は早朝練習の3日目には来なくなってましたね。早朝練習も生徒の方から申し出た話で、ピアノ伴奏も私の1学年下でコーラス部の部員じゃない人。凄く可愛くて上手かったですね。同学年にもっと凄い生徒がいましたけど断られたみたい。同級生のほうは一足先にNHKの音楽コンクールのピアノの部で県大会で優勝してましたね。もちろん、伴奏を引き受けてくれた下級生も素晴らしかったです。

部員も助っ人も伴奏者も、みんな遅刻せず練習に励みました。私の人生の中で「必死に頑張った」のは、その時と宅建受験の時くらいですね。あとは適当に生きてますので(^◇^)

ところで、クマさん、音楽室の助手をしていた女性にマンドリンを教えてあげれば良かったのに・・・。好みのタイプじゃなかったとか歳が離れていたとか、そういうことかなあ・・・。違うか^^;

でもって、高校野球の千葉予選の話、いいですよね。スポーツは、勝った側より負けた側にこそドラマがある、そんな気がしますね。彼らはこの日を一生誇りに思えることでしょう。
Posted by poohpapa at 2015年07月14日 06:33
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