この歳まで生きてきて、今年「初めての体験」をした。体験、と言っても、何も無い体験、である。
年賀状の「お年玉の懸賞」に一枚も当たらなかったのだ。昔と比べると切手シートの下二桁も2組になったし等級も少なくなっていて当たりにくくはなっているが、それでも毎年3枚くらいは当たっていた。
頂いた年賀状は150枚ほど、それでも当たらない。中学時代でさえ毎年30枚くらいは届いていて何枚かは当選している。ま、当たってもせいぜい切手シートの上のレターセットどまりだが。
考えてみれば、今までに5000枚ほどのお年玉くじ付きの年賀はがきが届いていて、それでもその程度しか当たらないのだから宝くじの一等や前後賞など当たるワケがない。今年の年賀はがきはカスリもしなかった。つまり、「あ、惜しい!」というのが一枚も無かったのである。今までが運が良かっただけで、それで当たり前かも知れないが、一番違い、というのも無かったのだ。
出さないで家に残った未使用の年賀はがきで当選したものがあると、こちらから出さずに届いて不義理をしてしまった相手に、その当選している年賀はがきで遅めの返信(寒中見舞い)を出したこともある。
ちなみに、私製の年賀はがき(当然にお年玉くじが付いていないもの)で、なおかつ全面が家族の写真だったりすると正直ちょっとガッカリする。写真付きだと近況や元気そうな様子が確認できるけど、同じ郵便料金なんだから自己満足の家族写真の私製葉書より「お年玉くじ」付きの年賀はがきで出したほうがいいと思う。言ってることがいささかセコいけど、それが本音 ^^;
ところで、お年玉の抽選結果の話はそれくらいにして、その昔に同じようなことを書いているが、
年賀状に関しては毎年大いに悩まされることがある。それは、この人に今年も出すべきか止めてもいいか、ということ。毎年出していて、去年は出したけど向こうからは届かなくて、ならば今年は様子を見ようか、もし来なければもう出すのを止めよう、と考えて出さずにいたら届いてしまったり・・・。最初にこちらが不義理したワケではないのに、向こうから元旦に届いているのにこちらからは返信という形になって・・・。互いに出してない(届かない)から「よし、これで来年からは完全に止められる」と思っていたら翌年届いたりして・・・。そんなことが毎年繰り返されるのは困ったモンだ (*´ω`)
そうなると、相手もまた同じように悩んでいるかも知れない。お互いさまなんだろうけど、出すのは簡単だが、止める判断は難しい。大した手間でも経費でもないのだけどけっこう悩む。
実は、お一人だけ、「もう互いに出すのを止めてもいいのでは」と私が毎年相当に悩んでいる相手がいる。それは、当人同士は何のわだかまりも無いのだけど、相手が「私と大変なトラブルに発展した人」のグループの中の人だということ。きっと一方的に私のことを悪く聞かされているだろうし。今さら誤解を解きたいとも思わない。何と言っても、私はトラブルの相手との裁判に勝っているのだから。先方さんも私に年賀状を出すのは辛いのではなかろうか。
商売をしているから立場の違いで「こちらから出したけど先方から届かない」というのは全くかまわないし気にしないのだが、中には「私から出してるのに、向こうから出さない(返信も無い)ものかねえ・・・」と思える人もいて、相手の本音が垣間見えるようで辛い時もある。もしかして、自分で気づかないうちに相手に何かしていたのかな、と気になったりして・・・。筆不精だと知っていても気になるもの。
年賀状は互いに出さないけど凄く仲が良い人もたくさんいる。全部がそうなってくれたら楽でいいんだけど。ふだん顔を合わしている相手でなく、年に一度、年賀状だけで互いの無事を確認できる間柄の人にだけ出せばいいように思える。改めて「今年も宜しく」なんて出す必要があるんだろうか。
逆に、うちなんか小さな店なんだし、本当は全入居者に出すくらいでもいいのかも。年賀状ではなく、むしろ誕生祝いのカードを送ったほうがいいのかも知れないが、相手によりけりだしなあ・・・。
たった1枚の年賀状にもいろんな思いが詰まっているものなんだろう。世界を見渡せば、クリスマスカードやバースデーカードを送る国はあっても年賀状みたいな慣習(システム)がある国は日本くらいのものかも知れない。年賀状なんて・・・、無ければ寂しいしあれば悩ましいもの。
最初から私が「年賀状は1枚も出さない人」と皆に周知されていれば良いのだろうが、全く出さないワケにもいかないものだし、それはある意味「友人知人がたくさんいる者の贅沢な悩み」なんだろう。
などと、きっと来年(今年の末)も再来年も、ずっと同じことで悩んでいるんだろう・・・。
今年は、年賀状の「お年玉の懸賞」に1枚だけ当たりました。昨年は2枚だったので、
半分になってしましました。これで、今年の運は半分になったようです。
poohpapaさんは当たらなかったのですか。これって、今年の運勢がバッチリ当たってい
るのかもしれませんね。
年賀状、退職してから毎年減り続けています。昨年こなければ、今年は出さないように
していますが、すると、来たりして、困ったもんです。しかし、その時はもう出さないと
決めてますね。
でもそのはがきで切手の当選はなかったなぁ…
今年は1枚だけ受け取りました。(*^_^*)
年賀状はねえ・・・、無間地獄、って感じですね (*´ω`)
たかさんは切手シートが1枚当たったことで今年の運は使い切っているかも・・・ (^◇^)
私の場合は、仕事関係は別にして、友人知人はどちらかが死亡するまでは出し続けることになりそうで、年賀はがきが届かなくなったら、それが訃報だったりして・・・。
上京して最初に就職した会社の先輩や中学時代の恩師、高校時代の先輩後輩、同級生・・・、といろいろですが、互いに年賀状を出し合わない人で仲が良い友人知人も同じくらいいて・・・、そういうのが無くても付き合いが維持できるのは幸せなことではあります。悩んでいた時には、皆に「もう年賀状を出すのやめようや」と言いたくなったこともあったりして・・・。
でも、年に一度の年賀はがきで日頃の不義理を赦して頂けるなら仕方ないですかね。
<<出すつもりがなかったのに出しちゃったもんだから、私の年賀状を見て出してないと勘違いして返信してしまったということですね。
もしかして・・・、私??。それ、似たようなことがありました。私の場合、「出すつもりがなかったのに出しちゃった」のでなく、逆のケースで、ふと「出してるハズだけど、もしかして出してなかったかなあ・・・」と不安になって後で再び(?)出しました。それって「晩御飯はまだか?」「お爺ちゃん、さっき食べたでしょ!?」というのと似てますね。
ああ・・・、ハリケーンさんは自分が出した年賀状のくじ番号の控えをとっていそうですね (*^_^*)
すっかり、コメントが遠ざかっていましたが、時折読ませて頂いていました(#^^#)。
地域の役員仕事や、子育て、仕事に追われる余裕のない毎日で、
お恥ずかしいです💦
やっと私にも、お返しが出来る日が
やってきました…
今年、2枚切手シートが当たったんです!(笑)
あたたかいハートのお返しがやっとできますね。。
まだ、手帳に2枚のはがきを挟んだままで交換に行けていないので、
交換してきますね(*^^*)…
実は、毎日、二度は必ずおずさんのことを思い出しているんですよ、本当に。二度は、というのが意味深ですけど、それはおずさんと私にしか分からない秘密、ですね (^◇^)
でも、忙しい、ということは日々の暮らしが充実している、ということで、喜ばしいことですね。
でもって、もしかして、切手シートを一組お送り頂ける、ということかと・・・。先にお礼を言っちゃいますけど、有り難うございます。遠慮なく頂きます (*´ω`)
poohpapaさんのコメントはうれしかったです。
じぶんが居なくなった後そんな風に思い出してもらえたら、人間嬉しいですよね
( *´艸`)♡
生きていてもうれしいものですね(*^^*)
<<じぶんが居なくなった後そんな風に思い出してもらえたら、人間嬉しいですよね
ご体調、崩していらっしゃるんでしょうか・・・。ちと心配ですが・・・。
たぶん、おずさんも私も、死んだら「誰かが折に触れて思い出してくれる」人間だと思います。そう思いたいですね。いえ、きっとそうですとも。まあね、どんなふうに思い出してくれるかが問題ですが (^◇^)
まだ、じぶんの後世のことを事を思うのには、
早かったですね💦
げんきに暮らしています(*^^*)v
どんな思い出し方でもいいので、子どもたちの記憶の中に時折居られたら
しあわせですっ(*^^*)…
papaさんを、思い出される方はホントに大勢いらっしゃるように
感じます(*^^*)♡
女性も多いのでは( *´艸`)〜♪
私の告別式では、焼香の順番待ちの若い女性の列が1kmにも達して・・・、だといいですね (^◇^)
本音では(理想としては)、香典に50円玉100円玉を握りしめたお年寄りが来てくれることですね。と言っても、葬式をする気は無いのですが。
良くも悪しくも印象には残ってると思いますね。私の名前を聞いて「誰だか分らない」という同級生もいないでしょう。ま、田舎で私の姿を見かけて物陰から「野郎・・・、生きてやがったか・・・」と呟く奴もいるかもです。
おずさんは一病息災で長生きしますよ、きっと (*^_^*)