2016年02月27日

「熊本の名校長・最後の授業」

予定を超えて3日続けての手抜き記事、

YouTubeで見つけた「ちょっと感動的な動画」、と言っても、文章がスクロールされるだけだけど、

「熊本の名校長・最後の授業」 大畑誠也

「大畑誠也」というのは校長先生のお名前。とても立派な教育者でいらっしゃるのが伝わってくる。ただ言葉だけで「親を大切にしなさい」と言っても右から左、こうして伝えれば一生記憶に残る。

私も一度だけ母親の手を引いて歩いたことがある。中学の卒業間際の三者面談に来てもらった時である。小学校まではよく授業参観にも来てもらっていたが、中学からは入学式も授業参観も、そして卒業式にも来てもらわなかった。小学校の卒業式、私が答辞を読むのに、それでも来てもらわなかった。

なぜなら・・・、

お袋は、晴れの席で着られるような服が無かったから。それと、間接リュウマチで歩行が難儀だったからである。それでも、進路を決める三者面談には来てもらわないワケにもいかず、タクシー代も無く・・・。

三者面談を終えて3階の教室から非常口の薄暗い階段を使って下りる時、お袋の手を引いた記憶がある。中学と家までは徒歩30分くらい。ゆっくりゆっくり歩いた。家に帰ってから、「ありがとな、今日は嬉しかった」と言われた。本当に嬉しそうな顔をしていた。私が一生のうちでお袋に優しくしたのはその時くらいかも。

あ・・・、あと、小学4年の時に(裕福な)友だちの家に遊びに行って饅頭を出されて、自分では食べずに、友だちのお母さんに「おかあちゃんが饅頭が好きだからボクの分、持って帰っていいですか?」と言って、頂いて帰ったことがある。後で友だちが家に残っている饅頭を全部届けてくれた。私が帰った後で「アイツんち、凄く貧乏なんだよ」と言ってくれたんだろう。今なら恥ずかしくて出来ない話 (*´ω`)

でも待てよ・・・、私なら今でもやるかも・・・。「これ、うちのノルンが好きなんで・・・」

posted by poohpapa at 06:17| Comment(10) | おすすめサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
で、全部自分で食ったりして。
Posted by Occhan at 2016年02月27日 06:25
Occhanさん、おはようございます

いいえ、私は一個も食べませんでしたよ〜。

いつもは、一個だけもらったお菓子なんかを「オレはお腹へっとらんから食べや」と言って、私が食べるのを見ていましたが、本当はお袋も食べたいだろうな、と、よく解かってました。それでも、食べたい気持ちが強くて喜んで食べちゃいましたね。だから、食べなかった、食べることができなかったのです。

※ お袋は自分のことをオレと言ってました。
Posted by poohpapa at 2016年02月27日 08:05
そう言えば、小さい時 近くのお金持ちの家がテレビを買ったということで、よく見にいってました。いまから考えると随分迷惑をかけていたんだなあと思いますね。
饅頭はもらいませんでした
Posted by たか at 2016年02月27日 09:55
たかさん、こんにちは

そう、私の子供の頃も、近所の金持ちの同級生の家にテレビを観させてもらいに行ってました。日曜日の昼の「月光仮面」と、同じく夜の「ポパイ」でした。当時、テレビがある、というのはステータスでしたね。プロレス中継をしている日は寿司屋さんが混んでたし、高校時代にカラーテレビのある喫茶店もまた混んでました。

これから先、50年後にはどうなっているんでしょう・・・。私は生きてませんが (^◇^)
Posted by poohpapa at 2016年02月27日 11:06
poohpapa さん今晩は。

お饅頭のお話、お母さんの気持ちがよく判ります。
私は子供の頃、姉の提案で二人の小遣いを集めて、
母の日に初めてプレゼントをしたことがあります。
小学生の二人ですから、金額は微々たるもの。
カーネーション1輪とショートケーキ1個がやっとで、
子供二人からのプレゼントとして母にあげました。
母は小さなケーキ1個を前にして涙ぐんでいましたが、
「ひとりでは食べれない」と言って包丁で綺麗に
3等分して三人で分けて食べました。
小さなショートケーキの三等分でしたから、私
などはひと口でしたが、この時のケーキの味は
生涯忘れられません。
プレゼントだからといって母は自分だけ食べる
ことなどできない、その親心は自分がその後、
親の立場になってよく判りました。

で、話は終わりたいところですが、
poohpapa さんの大好きな女店員さんの話。

花屋でカーネーションを一輪買って、残りのお金で
何を買おうかと姉が悩みました。
そこで私が「ケーキがいい」と言ったのです。
お祝いにはケーキ、という子供の単純な発想でした。
微々たる持ち金を考えずに言い出すところがやはり子供です。

姉は「買えないよー」と言いながらも
二人でケーキ屋さんを覗いて見たら、
イチゴの載ったショートケーキ1個なら買える値段でした。
そこで姉が店員さんに「ショートケーキひとつお願いします」
と注文しました。
その時、店員のお姉さんは私が赤いカーネーションを持っているのに
気付いたのでしょう。
姉は何も言わなかったのに、ショートケーキ1個がちょうど入る
箱を用意し、綺麗な包み紙で包み、さらには鮮やかなリボンで
結び、豪華なプレゼントの体裁を整えてくれました。

母がたまにここでケーキを買って来るので知っているのですが、
普段は箱を包む紙はお店の名が入った白い紙で、縛るのも
細い紐です。
女店員さんがたった1個の注文に、ずっとニコニコして
宝石箱でも包むように丁寧にリボンを掛けてくれたのが
印象的でした。
接客の何たるかを知っている女店員さんの体験談でした。




Posted by トントン at 2016年02月27日 22:02
トントンさん、おはようございます

朝から泣いてしまいました。コメントで泣くこと、滅多にありませんが・・・。

全て、ハートなんですよね。大人でなくても、子供にも解かりますね、相手がハートがあるかどうか、本当に優しいのかどうか。とくに叱られている時に、自分のことを思って叱ってくれているのか単に怒りに任せて叱りつけているのか、なんてことは・・・。大人になった時、子供から逆襲が始まったりします。

そのケーキ屋さんの店員さんのこと、トントンさんはきっと一生忘れませんよね。私も似たような体験をしています。二度ほど記事で書いたかと思いますが、

小学3年生の頃、町でテレビ番組の収録があって、各家庭に1枚だけ入場券が配られました。うちは子だくさんで一枚では当然に足りません、兄弟がみんな観たくてしかたないのてすから。するとお袋が「入り口で『後でお母ちゃんが持ってくるから』と言って入れてもらえ」と言うのです。さすがに大阪出身ですね。言われるままに近所の体育館に行って、係の(たぶん市の職員)にそう伝えると、思ったとおり「ダメだよ」と言われました。それで諦めて帰ろうとすると・・・、

年配の職員の方が、その若い職員に目配せして「いいからみんな入りなさい」と入れてくれました。子供の言葉が嘘だと分っていて、そして私も「嘘だと知っていながら入れてくれたんだ」と分っていて、阿吽の呼吸、とでも言うか・・・。今の立川市の職員とはえらい違いです。天と地どころではありません。

今も、あの時のオジサンのことをよく思い出します。自分の価値観の一つの原点にもなっています。

それにしても、たまに、そのケーキ屋さんの店員さんみたいな人に出会うと、ほんと、幸せな気分になれますね。その店員さんも、今頃はきっと幸せな人生を送っていると思いますね。

余計な話ですが、うちのお客さんでも、「この人は幸せになれるな」とか「舅や姑と上手く行かないだろな」とか直ぐに分かる時があります。その基準も、やはり「ハートがあるかないか」、ですね。
Posted by poohpapa at 2016年02月28日 07:07
こんばんは

またまたニュース以外で久しぶりに覘いて、トントンさんのお話とpapaさんの入場のお話で泣かされてしまった・・・
最近涙もろいのに拍車がかかってる・・・

先週酔っぱらって地面とキッスして顔面負傷しても泣かなかったのに・・・ 
あ。感動的なお話を台無しにしてしまった。

(こんな失敗は初めてです! ←念の為)

Posted by 葉山猫 at 2016年02月28日 23:32
葉山猫さん、おはようございます

実は・・・、ほぼ毎日、葉山猫さんのサイトを訪問してますよ〜 (^◇^)

トントンさんの「店員さんのお話」、もの凄く感動しましたね。店員さんが、いちいち「あら、お母さんにプレゼントするの?、だったらキレイに包んであげましょうね」などと言わずに黙ってしてくれたのが素晴らしいですね。私が店員だったら家族の数を訊いて人数分入れる、なんて「余計なこと」までしそうです。「過ぎたるは及ばざるが如し」と解かってはいますが・・・ (*´ω`)

ところで、葉山猫さんらしくない顔面強打、大丈夫ですか?

考えようによっては「そこまで飲めたら気持ちいい」でしょうね。などと、下戸は考えます (^◇^)
Posted by poohpapa at 2016年02月29日 06:32
自分の子供を持つと意識が変わりますね。

両親共他界して十年以上経ちますが、自分の子供がきるまでは親孝行できなかったのをずっと後悔していました。でも、子供を持つと自分の子供から常に感謝されて恭しく扱われていなくてもちっとも気にならないことが分かったので、少し罪の意識から離れることができました。
子供を思う親の気持ち>>>>子供が親に感謝する気持ち、ということだと思います。これは絶対的な基準ではないので、親のことを真剣に思って常に感謝している子供でさえ、その親が子供を思う気持ちの方が数倍大きいのではないかなということです。

私の場合子供ができるのがかなり遅かったので、そういう気持ちに気付くのに遅れましたが、自分に子供のいない人は決して気付くことはないだろうと思います。私には未だに独身でバカタレな親友がいますが、飲んで話している時に親孝行ができなかったことをとても悔やんでいたので、そうじゃないんだという話をしてあげましたが、他人からの話で心の棘が抜けたとは思えませんでした。

まぁ「明日からやる!」というのは永久にしないのと同じなので、同じ状況になった時には結局親孝行はしないんでしょうけど…
そこがディケンズの「クリスマス・キャロル」ものに素直に納得できないところですね。
Posted by ハリケーン at 2016年02月29日 08:23
ハリケーンさん、再び、おはようございます

「孝行を したい時には 親は無し」、で、私が死んで「孝行できなかった、してなかった」ことを後悔してくれるならまだしも、うちの3人の子供たち、誰もそんなこと考えないと思いますね。

私は思うのですよ。ハリケーンさんはお子さん一人だけど、私なんかからすると「親の宝」どころの話でなく、将来的には「国の宝」にも成り得るお子さんだから、もの凄く幸せだし、お嬢さん、存在しているだけで親孝行ですね。返す返すも、その時を自分の目で見られないのが残念ですよ、本当に。

私は・・・、「適当に親不孝で、そこそこ親孝行だった」と自分では思っています。両親の教えは今もしっかり生きていますので。何かをプレゼントしたとか、いい思いをさせたとか、そんなことより、最高の親孝行をしている、と思っています。

それとは別に、恩師に対しても、(主に授業以外で)教えて頂いたことをしっかり覚えていて、卒業後の人生で生かしていて、尚且つ今もお付き合いさせて頂いているのですから、自分は良い教え子だと思いますね。今もお付き合いが残っていること自体が珍しいことでしょうし。もちろん、私が義理堅いのでなく、先生が一人一人の教え子を大切にしてくださっているから、なんですけど。

元々、親なんて子供からの見返りなんて求めていないものですから、何かしてくれなくてもいいのですが、たまには連絡くらいしてきてくれると嬉しいのですけどね。

でね、ハリケーンさんは十分すぎるくらいに親孝行したと私には思えますよ。

Posted by poohpapa at 2016年02月29日 09:10
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