2016年07月01日

降旗学記者の記事を私が批判する理由

海老蔵氏の奥様の病状に関する報道を巡って書かれた降旗学の記事がどう間違っているかを纏める。

この記事、題名の「海老蔵の取材自粛要請に週刊誌が応じない理由」というのを見ただけで、内容が酷いものであることは直ぐに判った。読まなくても判る、ということ。

これが「私が海老蔵の取材自粛要請に応じない理由」と言うならいいのだが、最初から逃げを打っている。子供の喧嘩で「〇〇ちゃんも言ってたもん」と言うのと同じくらいのレベル。「そう考えているのは私だけではない、だから私の言い分が正しい」と暗に言いたいんだろうけど、公に意見を発表するなら、例え他社も同様に考えていたとしても「私はこう思う」と書くべきで、卑怯である。

次に、私の記事で書いているが、

「病気だからそっとしといてくれ、と言うなら、子供のお披露目なんか取材してやらないよ」という内容は、半ば脅迫(恫喝)である。海老蔵氏は「本人のストレスだけでなく近隣の迷惑になるから」と、至極あたりまえのことをお願いしているに過ぎない。「覚醒剤や大麻使用といった不法行為や不倫したことを内緒にしといてくれ」と言っているのなら海老蔵氏の勝手だが、そうではない。

そして、

「海老蔵氏の気持ちは理解しているが、しかし、そこで“はい”と引き下がったら、雑誌メディアは存在意義を失う」という主張。「需要があるから書いている」というのはゴシップネタで食べている雑誌メディアの勝手な言い分である。それは「存在意義」ではなく、自分たちにとって都合のよい「存在理由」でしかない。

では、例えば、パチンコ屋や風俗店に「存在意義」はあるだろうか。需要があっても、そこには存在意義なんか無い。現代のようにネットでH動画が自由に観られる時代と違って、そういう情報を得られる機会のほとんど無い時代の赤線であるなら存在意義があったと思うし現代の風俗店も必要とは思うが、それでも風俗店に「存在意義」までは無いだろう。需要の有無で存在意義を語るのは愚かな話。

私の親父も生前はパチンコが大好きだったが、需要があってもパチンコ屋に存在意義は無いと思う。パチンコ屋に存在意義を認めているのは金正恩くらいのものではないか。

これが、時期を合わせて、さりげなく「症状別の癌の名医100選」とか「がんを克服した人たち」という特集を組むなら「存在意義は無い」とは言わない。

互いに有名人でもあるのに1年8ヶ月も奥様の病気を隠し続けていた海老蔵氏の辛さがどれほどのものだったか。報知新聞のスクープによって、もう隠さなくてよくなった時の海老蔵氏の安堵と新たに始まる別の辛さ、というものを本当に降旗学が理解しているなら、あんな記事は書けないと思う。

そんなだから、ところどころ海老蔵夫妻を気遣うような前置きが書かれていても本音ではそんなことなど全く考えていないのは透けて見えている。どう尤もらしい理由を並べても、「自分が食べていく為に人の不幸をネタにしている」ことへの言い訳でしかない。

キツイ言い方だが、あんな記事を書くような人間に育てた親の顔が見たい、それくらいの思いである。


                                       以上


 コメントの返信はしばらくしませんのでご了承ください。




posted by poohpapa at 06:13| Comment(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
poohpapaさんを上回る粘着質なので、「存在意義」に関するコメントは千日手なのでもう書きません。(^―^)

諸般の善悪とは関係なく、ジャーナリストに適した資質というものはあると思います。
当たり前のことを表明しなきゃいけない社会というのは嫌ですね。

これからはコメントは控えますので、ブログを続けていかれることを望んでおります。m(_ _;)m
Posted by ハリケーン at 2016年07月01日 07:59
歌舞伎にとっては、人の生き死にすらも興行のネタですから何とも因果な商売です。

役者のプライベートの部分に脚光があたることは、他の伝統芸能ではあまり見られない部分ですね。
海老蔵氏はそこを嫌がっているようですが、歌舞伎にとっては必要不可欠な要素です。

歌舞伎は、大仰で派手ということが目立ちますが、裏を返せば洗練されておらず大味で雑な演劇で、とても「芸」として成立するレベルにはありません。
足りない部分をどこで補っているかと言うと、観客に対して役者の「人生」を売ることで、演劇の中に「人生」を投影してもらい、感情移入してもらうという方法を取っています。

プライベートのもがき苦しむ姿を見せることすらも、歌舞伎の演目の一部と言っても良いかと思います。

歌舞伎とは、役者が「人生」を売ることで、初めて「芸」として成立する演劇なのですよ。
河原乞食の時代から、この本質は変わっていないかと思います。


私も、記者の言うことには一理あるかと思っています。

海老蔵氏は、自分から「人生」を売り渡すという覚悟がなく、
マスコミ各社に「人生」を勝手に売られることへの不平不満を口にします。
しかし、一座の存亡を賭けてまで、「人生」を売らないという覚悟があるようには思えません。
その中途半端さが、会見だけでなく芸にも表れてしまっています。


悪魔に魂を売り渡さなければ、一流の歌舞伎役者にはなれず。
歌舞伎とは本当に因果な商売です。
Posted by AK at 2016年07月01日 23:41
それ、歌舞伎じゃなくて何かと間違えてませんか?
そんなことで一流の芸が成り立つなら苦労はしませんよ!!!!!!!

Posted by とく at 2016年07月06日 19:54
AKさん、おはようございます

能とか狂言の芸能は日本人にとっては全く関心のないものになってしまっていますね。歌舞伎役者が普通に時代劇や刑事モノのテレビドラマに出ることはあっても、野村萬斎さんでさえドラマに出ることはあまり無いですもんね。どうしても一般の認知度が低くなってしまいますね。

<<歌舞伎は、大仰で派手ということが目立ちますが、裏を返せば洗練されておらず大味で雑な演劇で、とても「芸」として成立するレベルにはありません。

それは手厳しいですね。私は逆に、計算が行き届いた緻密な演出がなされていると思っています。俳優やタレントの中から人間国宝になる人より歌舞伎役者からなる人のほうが多いですし。

<<プライベートのもがき苦しむ姿を見せることすらも、歌舞伎の演目の一部と言っても良いかと思います。

私はそんなふうには思いません。そんなことは有り得ないでしょう。実のところ、今までAKさんからのコメントでいろんなことを教えて頂いていて、ご指摘が的確で、その博識ぶりや慧眼ぶりに驚かされていましたが、このコメントに関しては、別のAKさんのコメントなのかな、と思ったほどです。

<<海老蔵氏は、自分から「人生」を売り渡すという覚悟がなく、
マスコミ各社に「人生」を勝手に売られることへの不平不満を口にします。
しかし、一座の存亡を賭けてまで、「人生」を売らないという覚悟があるようには思えません。
その中途半端さが、会見だけでなく芸にも表れてしまっています。

海老蔵氏、「自分の人生を売る覚悟」なんて必要ありません。降旗学の言ってることは身勝手で論点がずれていて、今まさに都知事選に立候補している鳥越俊太郎と同じです。

正直、今回のAKさんのコメントは削除したほうがいいかな、と迷ったほどであります。ただ、私にとっては今後もAKさんからのご意見やアドバイスは本当に必要なもの、と思っています。

なので、今後ともどうぞ宜しくお願いします。




Posted by poohpapa at 2016年07月20日 09:18
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